9.ソラへ……
「まったく、《重力反転》で持ち上げられぬとは、想像を絶する重量ではないか」
「飛ぶ……飛ばす……」
ヴァイナマリネンのぼやきを聞き流しつつ、ユウトは思考の海に潜る。
飛ぶ……飛行機?
エンジン。
滑走路。
……助走?
「あんなの、ロケットでも打ち上げられないでしょ……」
「宇宙まで行く必要はないと思いますが……」
初対面のアカネと真名。
地球人らしい感性で、この異常事態を分かち合う。
ユウトたちの非常識さに関しては、慣れと諦めの境地だ。重力を反転させるなど、真面目に考えるのもばからしい。
「それで、婿殿。どうするのだ?」
ロケット?
ガス……燃焼……噴射……。
無理だ。そんな呪文も魔法具など無い。万策尽きたとは言いたくないが、あの質量は純粋に単純に暴力だ。
「くっ。さすがに、一方的にとはいかんか」
「このような状態でも、悪魔諸侯の一柱か」
無貌太母に接敵するヴァルトルーデと、その肉体の上に陣取るアルサス。二人は、コーエリレナトから飛び出た鞭のような血管による攻撃にさらされ、その対処に追われていた。
それだけではない。
さすがにラーシアの援護も常時とはいかず、また、ただ身じろぎしただけでも人の身には脅威以外の何ものでもなかった。
「つり上げる? 持ち上げる? 投げる?」
ヴァルトルーデたちのためにも早く糸口を掴みたいが、茫洋として明確なイメージにならない。
「無貌太母に自ら、帰ってもらう……」
できれば、とっくにやっている。
天を見上げれば、少しずつ、だが確実に縮小していく真円の綻び。
時計の針を止めることができるなら、ユウトは魂だって売るだろう。
「って、できるじゃないか!」
素早く呪文書をめくり、9ページ分切り裂く。
そのまま自らの周囲に展開し、ページの連なりが回転と停止を繰り返して凍れる刻を作り出した。
「《時間停止》」
灰色の世界。
音もなにもかが止まった世界。
たった一人だけの世界。
そこでユウトは、試行錯誤を繰り広げる。
アカネはロケットなどと言っていたが、さすがになにかを噴射させて持ち上げるような呪文は存在しない。
いくら《大願》や《奇跡》でも、できない相談だ。
「だいたい、あのコーエリレナトにロケットエンジンとか着けられるわけないじゃんよ。どんだけシュールだ」
言葉に出した方が、考えがまとまりやすい。イグ・ヌス=ザドの時もこんなことやってたよなと、苦笑いを浮かべる。
「あと、他に運べるようなのだと、車? 車輪とか着けられないし、空飛べないし……。じゃあ、電車? ドラゴンでも引っ張れなかったのに……って、待てよ」
なにか、閃きそうな気がする。掴めそうな気がした。
そんな予感に突き動かされて、ユウトは曖昧模糊とした思考を必死にまとめ上げようともがくようにあえぐように思考を続ける。
そうしながら、巻物入れに入れている、呪文のストックを確認していた。
「線路、コーエリレナトを車両に見立てて……」
足りない。それだけでは、足りない。
「なんか、映画かアニメで見たよな。ロケット以外で宇宙に物を運ぶ……」
今度は、まだ不明瞭なアイディアのパズルのピースを埋めるべく多元大全をめくっていく。
違う、これではないと、マッドサイエンティストのような勢いで、知識の塊を読み進めること数分。
「これだ。マスドライバー」
まるで、SFだ。誇大妄想だ。
だが、できるような気がする。それこそが、理術呪文において最も重要な要素。
「俺一人でやる必要はない。みんなに手伝ってもらって……」
自分は部分を担当し、どこを任せるべきか。
穴だらけだろうが、設計図が急速に埋まっていく。
そして、最後の1ピース。
そこには、問答無用で現実を改変する要素が必要だった。
つまり、最も頼りたくない人物に借りを作ることになる。
「いいさ、失敗したらお終いなんだから」
そう覚悟を決めるのと、《時間停止》の持続時間が切れるのは同時だった。
「ヨナ、こっちへ来てくれ」
世界に色が戻り、通常時間に帰還するや否やヨナを呼び出すユウト。
「なに?」
地道に《エレメンタル・ミサイル》でコーエリレナトへ攻撃をしていたヨナは、ユウトに駆け寄り、思い切り踏み切って真っ正面から頭へ抱きついてくる。
「ヨナ!」
「だって、久しぶりだし」
アルシアからの叱責にもここは引かず、ぬいぐるみのように頭を抱き抱えた。
「とりあえず、これじゃ話せないだろ」
そんな彼女を引きはがし、代わりにちゃんとした肩車にしてから用件を伝える。
「ヨナ、テレパシーで俺の考えをみんなに届けてくれ」
「ん。分かった」
アルビノの少女はその病的なまでに白い指を彼の額に置き、やはり、抱き抱えるようにした。その状態で、まず、ユウトの思考を読む。
「《マインド・ボンド》」
流れるイメージを、ヨナは受け入れ咀嚼する。無貌太母コーエリレナトをブルーワーズへ送り返すためのイメージを。
レール、雷光、撃ち出す。
要素は、それだけ。
けれど、その発想はブルーワーズの住人の常識や限界を遙かに超えたものだった。
「あっ、はっはは。すっごぉい!」
喜び勇んで、そのイメージを乗せた精神波を全員に――真名もヴェルガも例外なく――送信する。
「勇人、あんたって人は……」
最初に反応したのは、アカネだ。
この中で、最もユウトと時を過ごした。つまり、少なくともこの地球では一番彼と同じものを見て触ってきた。そんなアカネがあきれたようにうめく。
なんのアニメやゲームよ。
そう激しく詰め寄りたかったが、それはできない。アルシアが作ってくれた結界の外へ出ないだけの分別があったというよりは、できるかも知れないと思ったから。
いや、違う。
見てみたい。
そう、思ったのだ。
「可能、なのでしょうか?」
一方、真名は半信半疑。当然の反応だが、まだ薄いぐらいだ。
「ユウトができると言うのだ。やれるのだろう」
「そうですね」
「他に手も、なさそうだしね~」
そしてユウトの仲間たちは、ただ信頼を寄せる。
「妾が、要か」
いたずらっ子のような目つきで笑うと表現するには欲望が強すぎる表情で、ヴェルガが濡れた瞳をユウトへ向けた。
「この借りは高くつくぞえ?」
「分かってるさ。女帝ヴェルガをあごで使おうっていうんだからな」
この無茶なプランを通すには、実際、ヴェルガの協力は不可欠だった。だから、ユウトも色々吹っ切っている。
「ひとつだけ言うことを聞こう」
「ユウトくん!?」
「ただし、拒否権はありで。世界平和のためにな」
「まあ、良かろう。他ならぬ婿殿の頼みであるし、妾自身その光景を見てみたくもあるわ」
いい暇つぶしができた。
それくらいの軽さで、半神は承諾する。
もちろん、悪の女帝ならではの邪悪な思考を巡らせながらではあったが。
「ならやるぞ! 《鉄の壁》」
「《ウォール・アイアン》」
老人と幼女が、タイミングを合わせたかのように呪文と超能力を発動させる。少しだけ、応用を利かせて。
どちらも鉄の壁を創造するものだが、アレンジを施すことで、アーチを描く橋のようにも、ただの直線にも形状を変えられる。
ヴァイナマリネン魔術学院へと続く橋も、そうやって作り出されたものだ。
今回は、無貌太母コーエリレナトの両脇――どこに腕があるのか肉に埋もれて分からないが――に、まるで線路のように鉄の壁を生み出した。
あまりにも突然。それでいて当然のように建設される線路。早回しの映像のようで、どこかユーモラスだ。
この場にいる地球出身者には、ジェットコースターのレールのように見えたかも知れない。
ただし、落下することなく、天――真円の綻――へと続くレールだが。
「輝ける刃」
無貌太母の上に乗ったままのアルサス王子は、その肉へトレイターを突き立て、“常勝”ヘレノニアから授かった雷光の力を解放する。
威力は、微々たるもの。
しかし、効果は持続する。
「死と魔術を司るもの、偉大なる詠唱者、沈黙の監視者、いと気高き女神よ。“常勝”の雷を永久にし、無貌太母を束縛せん」
さらに、アルシアの《奇跡》によって、その雷は丘のようなコーエリレナトの余って波打つ皮膚を網の目のように覆い、帯電させる。
ユウトからのリクエスト通り役目を果たしたアルサス王子は、近くをかすめ飛ぶメルエルが変じた赤竜へと飛び移った。ドラゴンはそのまま上昇し、滞空して成り行きを見守る。
その眼下で、無貌太母コーエリレナトがまた絶叫と共に、身じろぎをする。命の危機に瀕し、本能がいや増したのか。全身がぽこぽこと沸き立ち、新たな生命が生まれようとする。
出産の前兆。
それを感じ取った二人が、帯電する無貌太母へ向けて討魔神剣とスパイク・フレイルを振るう。
「させるかっ」
「聖撃連舞――陸式」
イグ・ヌス=ザド、蜘蛛の亜神を重傷に追い込んだ、エグザイルの連撃。炎の精霊皇子イル・カンジュアルを消滅させた、ヴァルトルーデの《降魔の一撃》。
それを同時にたたき込んだ。
「やりすぎ……じゃないのかよ」
これ以上の怪物の氾濫は防がれた。
だが、無貌太母は未だ健在。
無限とも思える生命力を前に、安心すべきかあきれるべきか分からなくなる。
ただ、生命が滅びないことには感謝すべきだろう。
そして、安心するのは、送り返してからでいい。
「では、初の共同作業と洒落込むこととするかえ」
「…………」
世界を救っても、俺は生きていられるのだろうか。
そんな素敵な未来予想図は忘却し、《飛行》の呪文を使用して飛び立つ。ヴェルガも続いて――その表情を確かめる勇気はなかった――コーエリレナトの頭部側へ移動する。
どこがどの部位に当たるかは不明瞭だが、つまり、レールの始点に陣取った。
「コーエリレナト。そなたの意図も知らねば、恨みもないが、妾のために褥へ戻るが良いわ」
ユウトが思いつき、イメージし、提案したのは、乱暴に言ってしまえば、レールガン方式のマスドライバー。つまり、帯電させて磁力で浮かせて超加速させ吹き飛ばす。
多元大全で少し調べただけだ。科学的には間違いだらけだろう。
けれど、物理を超越するのが呪文の力。間違っているのなら、その間違いを正解に改変すればいい。それこそが魔法の神髄。
そして、その力業を可能とするのが、半神の秘跡。
「《星霜》」
ヴェルガの豪奢な赤毛がはためき、闇のようなドレスが揺れる。
あふれ出る神の霊気。大気が逆巻き凄まじい熱が暴れ、結界内にいるはずのアカネたちすらも身の危険を感じた。ガラスを擦る音を数百倍にも増幅したかのように不快な音が、鼓膜に脳に突き刺さる。
そんな中にあっても、彼女の美しさは際立っていた。
当然だ。
伝えられたユウトのイメージを汲み取って練り上げた秘跡。つまり、二人の愛の結晶。無理でもやり通す。全力を尽くす。そうでなければ、女が廃るというもの。
そんな彼女が、美しくないはずがない。
まるでその女帝に屈したかのように、無貌太母の巨体が浮く。
ユウトは、感慨深げに帯電するコーエリレナトを見下ろす。
そして、決め手でありこのばかげた計画の発端となった呪文の巻物を、巻物入れから取り出した。
「《加速器》」
発動したのは、ユウトが馬車鉄道のために開発したオリジナル呪文。青白い光が、ヴァイナマリネンとヨナが創造した即席のレールを染め上げる。
レールの上を走る乗り物を増速させる呪文。
その乗り物とは即ち、無貌太母コーエリレナト。
グンッと残像すら知覚できぬ速さで、白い小山が移動する。摩擦熱に焼け焦げ、轟音が耳朶を震わせ、物理的な圧力を伴うソニックブームを起こしながら、天を目指して奈落となったこの地を抜ける。
その先には、縮小を続ける真円の綻び。その他二つの脈動によって刺激されたオベリスクが生み出した、次元の扉。
アカネは、ユウトと一緒に飛ばしたペットボトルロケットを連想した。アルサスは、巨大なクロスボウのようだとそのスケールに驚く。
巨大な白い肉の塊が超加速する様は、まさに現実を超越していた。
「そのまま行け!」
ユウトの声に押されたわけではないだろうが、無貌太母コーエリレナトは一瞬で真円の綻びまで到達し、そこで詰まった。まるで、虚にはまった小熊のようだ。
「なんて……」
「メルエル!」
師の呼び声に、「分かっています」とでも言うかのようにひとつ鳴いて、赤竜に変じたままのメルエルが、最後の一押しとばかりに巨体をぶつける。
アルサス王子も、赤竜の頭へ移動し、トレイターを突き入れた。
それがどれほどの効果を及ぼしたのかは分からないが――真円の綻びが繕われると同時に、無貌太母コーエリレナトは地球上から消え去った。赤竜やアルサスと共に。
あの二人なら、あっちで上手くやってくれるだろう。
最後はあっけない幕切れ。
「あー。完全に閉じちまったか。また、戻る手段を考えないとな……」
完全に緊張の糸が切れたユウトは空を飛びながら横になって、ゆっくりと落下していく。白いローブがたなびいて、まるで映画の1シーンのようだった。
「ふむ。なぜじゃ?」
そんな彼の傍らに立って、悪の半神がありえない――少なくともユウトにとっては――問いを投げかける。
「なぜって……」
「婿殿が大事にする仲間は、すべてこちら側におるではないか。一緒にいたいというだけであれば、この世界で過ごしても良かろう? なぜ、婿殿だけが犠牲になって、あちらへ戻ろうとする?」
反論はいくらでもできたが、棘のように引っかかって取れない。
それはまさに、呪いの言葉だった。
明日エピローグを投稿し、Ep4は終了となります。