8.総攻撃
ユウトとヴァルトルーデは後に知らされることになるが、ヴァイナマリネンやヴェルガらが地球に現れるまでの経緯は、実に混沌としたものだった。
本来の意味でヴェルガを警戒する、アルサス王子。別の意味で油断せず一挙手一投足を監視するアカネとアルシア。今にも攻撃を仕掛けそうなヨナ。
そして、一切、意に介さぬヴェルガ。
彼女としては、そもそも同行しているという意識が無い。たまたま目的地が一緒だったというだけのこと。
少なくとも、意識――注意を払っているのは、大賢者に対してのみ。
そのヴァイナマリネンは、全員で取り囲めばヴェルガを討てるのではないかというアルサス王子からの無言のプレッシャーに気づかぬ振りをして――本当に気付いていない可能性もあるが――先を急ぐ。
そんな師の様子を、メルエルは苦笑交じりで静観していた。もしかすると、若い頃を思い出していたのかも知れない。
いつしか、アルサス王子も呉越同舟の状況を認めざるを得なくなった。
もちろん同行者として認めたわけではないが、百層迷宮を下る度に増え続けるモンスターの数に、それどころでは無くなったのだ。
エグザイルとラーシアは、先に進むのが最優先――早くユウトと合流して丸投げしよう――と、黙々と自らの仕事を果たしていく。
そしてペトラ・チェルノフは、始終曖昧な状態で同行していた。
ユウトの特訓で耐性がついていた彼女は完全に正気を失うこともできず、ただ流れに身を任せて嵐が過ぎ去るのを待ち、心の中で師匠に助けを求めていた。
こうしてたどり着いた第百層。
すでに、無貌太母コーエリレナトの姿はなく、三つ目のオベリスクがあるという百一層への扉も開いていた。
この百層迷宮は、無貌太母を封じ、彼女が産み出すモンスターを地上に出さぬための檻だったのだろうが、なぜ、その最も奥にオベリスクが隠されていたのだろうか。
「迷宮を維持するための魔力集積具かとも思うたが、案外、絶望の螺旋が這い出てきた際に、かみ合わせるつもりだったのかも知れんな」
弟子であるメルエルからの問いに、大賢者はそう答える。
絶望の螺旋のすべてを滅亡させる力と、無限にクリーチャーを産み出すコーエリレナトの衝突。仮に無貌太母が滅してすべての生命が死に絶えても、世界が滅ぶよりはマシだというのか。
まさに、この舞台装置を作った神のみぞ知る。
いずれにせよ、時空が乱れて無貌太母が異世界へと転移するとは、予想していなかったに違いない。
あるいは人の子が解決すると分かっていたのかも知れないが、神々の意図はもはや無関係。
誰一人欠けることなく百一層へたどり着いた彼らは、アカネの記憶を基にヴァイナマリネンが使用した《星を翔る者》で次元の綻びを越え、地球へとやってきたのだ。
たどり着いた先は、奈落だったが。
その地での本格的な戦闘は、超能力による爆撃で始まった。
「《エレメンタルバースト》」
白い少女の眼前に大気が集まり、一抱えほどもある球状に収束する。
細く病的なまでに白い指で指し示した先へ、まさに音の速さで飛び、炸裂し、音波の砲弾で無数のモンスターを吹き飛ばし、殺傷した。
「《セレリティ》」
さらに、ヨナ自身の時間を早め、ほぼ同時にもう一発を射出。思うがままに、無貌太母の子らを蹂躙する。
奈落の空気に混じる、濃密な血臭と死臭。
瞬間的な精神力の消耗でアルビノの少女はその白い肌に玉のような汗を浮かべるが、倒れるほどではないようだ。
〝虚無の帳〟が作り上げた、絶望の螺旋の人造勇者候補。ユウトたちにその運命から既に解き放たれている彼女だったが、その力は変わらないどころかいや増すばかり。
ヴェルガも、彼女にしては珍しく称賛する。
「ほほう、やるではないか。百層迷宮では加減しておったな。まあ、単純な破壊のみでは一流になれても、それを超えることはできぬが」
「むかつく……。年増のくせに」
「童女がさえずりおるわ」
ヴェルガはまったく意に介さない。むしろ、意味もなくその豊かな胸を見せつけるように揉み、ユウトを赤面させる。
「くっ、殺す……ッ」
「仮にそれが可能だったとしても、誰かの体が成長することはなかろうが」
「仲悪いなぁ」
けれど、よく考えればこの二人が仲良く結託される方が困る。
「アカネさん、こちらへ」
「真名、ペトラ。二人も、朱音の近くへ行くんだ」
アルシアがなにをしようとしているのか察したユウトが、二人に指示を出す。ペトラは無条件に、真名は訝しがりながらも、サイドテールとポニーテールを揺らして従った。
「なにをするの?」
「あなたたちの安全を確保します」
ポーチから一掴みの粉末――銀粉に聖印や聖堂騎士が使用した武具の欠片を混ぜたもの――を取り出し、三人の周囲に円を描く。
「《神の城塁》」
白く清浄な光が半球を描き、三人の少女を奈落から隔離した。
「この中なら、生半可な攻撃をものともしません。もっとも、中から外へも影響を及ぼすことはできませんが」
「ああ。結界みたいな?」
「この魔術は、いったい……」
もう慣れて柔軟に受け入れるアカネと、自らの知識に照らし合わせても一端すら理解できない呪文に驚きを隠せない真名。ペトラは、事実上の戦力外通告に悔しそうにしながらも、迷惑はかけられないとおとなしくするようだ。
「どれ、ワシも」
「加減をしてくださいよ、我が師よ」
「バカを言うな。生まれてこの方、ワシは常に全力全開よ」
心温まる、師弟の会話。
まず、ヴァイナマリネンが呪文書から9ページ切り裂いてモンスターの群の中心へとばらまく。
「《即死の雲》」
かつてエルフの大魔術師ガスパーが開発したと言われる、毒霧を生み出す理術呪文。毒ガスにまかれ、ゴブリンも巨人もグリフォンも。生けるものはすべて絶命する。
見ての通り、最大の特徴は致死性のガスをばらまくこと――ではない。
「あそこはもう充分だな。次は、右側を片づけるぞ」
その宣言通り、《即死の雲》が移動する。
地上に降りた雲がぷかぷか動く様はメルヘンと表現しても良いだろう。結果、ばたばたと死を量産していることに目をつぶれば。
「じいさん、えげつねえ……」
「それでは、我が師に代わり、魔術の神髄をお見せしよう。分かりやすくね」
メルエルも、節くれ立った指で呪文書をめくり9ページ分を切り裂いて、天に円環を作り出す。
「《星石落雨》」
天に空隙が生まれた。
星の世界との扉が開く。
星界から隕石を直接召喚する第九階梯の大呪文。大魔術師の象徴とも言える、破壊の力。
百層迷宮では使いどころが難しい呪文を準備していたのは、こうなることをどこかで予想していたからなのか。
どこに落ちても、大惨事に違いない。しかも、身を隠す場所などどこにもない荒野。《即死の雲》すら吹き散らし、その分、さらに無数の命を奪う。
「グッルッアアアァァァンンッ」
コーエリレナトの慟哭が響く。
それは、大質量にさらされた痛みか、我が子の死を悼んでいるのか。無貌太母が胎児のように踊り大地が揺れる。
ただし、これはただの露払いに過ぎない。
充分に遠距離から支援攻撃を行なったうえで、ヴァルトルーデ、エグザイル。そして、アルサス王子の三人が一気に駆け寄って本命――無貌太母コーエリレナトへと肉薄する。
「これなら、外す心配はないな!」
どこか嬉しそうに、岩巨人が錨のようなスパイク・フレイルを振るい、たたきつける。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
その度に肉が弾け、脂肪が飛び、悲鳴が上がる。
反動でエグザイルの岩のような肌にも血が伝うが、それこそ痛撃を与えた証と笑うだけ。
「ヘレノニアよ! 勝利者よ! 悪を討つ加護を!」
「悪を正し、世に秩序をもたらす力を!」
二人の聖堂騎士による、《降魔の一撃》。
討魔神剣とトレイターに黄金の祝福が宿り、悪を貫く刃となる。
ヴァルトルーデの攻撃は苛烈。
無抵抗な肉の山を粉砕し、掘削するように進んでいく。それでいて、壮絶なまでに美しい。
一方、アルサス王子は、エグザイルが振るったスパイク・フレイルの鎖に乗り、そのまま駆け抜けて無貌太母の上に乗る。
そして、切り裂くのではなく、貫いた。
トレイターが伝説の聖剣のように深々とコーエリレナトに突き刺さる。
そんな彼らと彼女へ、突如として無貌太母の肉から赤い縄のようなものが這い出て、絡み打ち据えようとする。
「待機しといて、正解だったね」
それが血管だと気づいた瞬間、虚空から放たれた無数の矢により打ち落とされて、誰の体にも届かない。
弓矢では大した傷は与えられないだろうと、サポートに回ったラーシアの勝ち。
そのまま常人であれば数百回は死んであまりある猛攻を受け止め続け、目の錯覚だろうか。あの小山のような無貌太母が一回り小さくなったように見えた。
「あの人は、このメンバーにフルボッコにされるほど悪いことをしたのかしらね……」
「存在自体が悪なのではないでしょうか? あと、人ではないのでは」
「出る幕がないのは確かですね……」
どちらが正義の味方なのか分からない光景。傍観者になってしまった三人が呆然とするそれを、面白い見せ物だと妖艶で淫らな微笑を浮かべて見物するヴェルガ。
「だが、婿殿。殺害してはならぬのであろう? あの巨体をどうにかする算段はついておるのかえ?」
そちらは見ず、ヴァイナマリネンの禿頭へと向き直る。
「じいさん、準備してんだろ?」
「予期していたわけではないが、一応な」
「そうか。残念ながら、私は無いな。故に、別の呪文で参加しよう」
大魔術師たちが、目を合わせてうなずきあう。
ブルーワーズでも、十人はいないだろう大魔術師。その中でも最高峰と呼ぶにふさわしい三人が共通した戦術。
「《重力反転》」
万有引力を反転させ、上へ落とす第八階梯の理術呪文。かつて、海賊船を三隻持ち上げたこの呪文を、ユウトとヴァイナマリネンが同時に、使用する。
これで、真円の綻びへと送り込もうというのだ。
「《竜身変化》」
さらに、メルエルの姿が一光のプリズムに覆われ、10メートルを遙かに越える赤竜へと変じる。
一声鳴いて飛び立ったドラゴンは、その強靱な後肢で段々になっている無貌太母の表皮をつかみ、真円の綻びへと羽ばたいた。
「いけるか!?」
地は天に、天は地となる。
山のような肉塊が、僅かに浮いた。
だが、それだけ。
「おや、惜しいこと」
轟音と鳴動を上げて、コーエリレナトは地に落ちた。
「いかがする、婿殿。このまま、無限に湧く無貌太母の子を倒しながら、殺さぬように調整を続けるのかえ?」
できはしまいと、ヴェルガが挑発する。
妾を頼れと、誘惑する。
「…………」
ユウトは、考え続ける。
ひとつで良いから、この状況をクリアにする冴えたやり方を。