7.異郷での再会
「こいつはまずいな……」
まずいで済む問題ではないだろうが、この状況で正確な表現ができるほどのボキャブラリーも無い。
気付けば、周囲は地獄と化していた。
地面は鉛のように固く冷たく、生物を育む役割を放棄しているかのよう。そんな大地にも生えている樹木は、鉄のような木の葉を茂らせ、虚からは黒炎が噴き出している。
真円の綻びは少しずつ縮小し、空はガラスのようにひび割れ、天には太陽も月も星も存在を許さない。空気はよどみ、風には腐臭が混じり、怨嗟のこもった呻き声がどこからともかく聞こえてきた。
それでいて、遥か遠くに拠点にしているホテルやビルの明かりが見える。どうやら、空間がねじ曲がっているらしい。
「それはそれとして、ユウト。あれを殺してはならぬ理由とはなんだ?」
どういう意図――人が理解可能な意図なのか別として――からか、小山のような肉塊は動かずじっとしている。
そんな無貌太母コーエリレナトを油断なく視界に収めながら、ヴァルトルーデは最も愛し信頼する男に疑問をぶつける。
邪悪の波動を感じ直ぐにでも討ち祓いたいだろうに、じっと我慢する聖堂騎士。ユウトは、そんな彼女にたまらない愛おしさを感じたが、顔には出さない。
「無貌太母コーエリレナトは、ブルーワーズにおけるすべての母だという説がある。人もエルフもドワーフも動物も魚も、すべてだ」
「……なんとなく思い出したぞ。その後、なぜか狂って悪魔を生み出し、善の神々に封じられたのだったな」
抹殺ではなく封印。
それは、生命で地を満たした功績があったため……とされているが、もうひとつ、一部でだけまことしやかにささやかれている説がある。
「ああ。なぜ封印に留まったかというと、無貌太母を亡き者にすると、すべての生命が死に絶えるからだ――とも言われている」
根源が消えたが故の呪いで、人もエルフもドワーフも動物も魚も悪魔もすべて死ぬ。もしくは、新しく子が生まれることが無くなるという異端の伝承があった。
そして、無貌太母コーエリレナトが狂ったのは、永遠に存在せねば愛しい我が子たちが絶滅し、永遠に存在すれば延々と愛しい我が子たちの死を見ることになるからだとも。
「まあ、これはちょっとセンチメンタル過ぎると思うけどな」
「なるほど……な。真偽は別にして、ここに放置はできまい?」
「ああ。だから、なんとかして帰ってもらいたいんだが……」
にしたって、なんだってこんな厄介な相手が現れるんだと誰にともなく愚痴る。
蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザドや悪の半神ヴェルガと対峙した経験もあっていつも通りでいられるが、常人ならあの冒涜的な存在感にあてられただけでただでは済まない。
心配そうに背後で崩れ落ちたままの真名を振り返ってから、ユウトは気を引き締める。
「まあ、あの巨体だ。多少削っても、問題はなかろう」
遠近感が狂いそうになる巨体へ向かって、一歩踏み出す。
同時に、討魔神剣を天に掲げて神の力を招聘した。
「《雷光進軍》」
ヴァルトルーデが聖なる霊気をまとうと同時に、雷光の如き速さで地を駆ける。その風を切る音は、妙なる音楽の様に悪を粉砕する突撃を祝福した。
そのまま、身もだえ続けるコーエリレナトへと、衝突するかのように討魔神剣を振り下ろす。
奈落に迅雷がほとばしり、小山のような肉の塊が揺れた。分厚い皮膚を突き破り、彼女の身長ほどありそうな脂肪の層をまき散らし、どの部位かは分からないが、確実にその存在を削り取った。
「呪文、使えるのかよ!」
「驚くのは、そちらですか……」
多少は慣れたらしい真名が、ふらふらと近づきながらあきれたように言う。つい先ほどもヴァルトルーデの非常識さは見せつけられていたが、今回は極めつけだ。
とても個人で起こせる破壊ではない。
「大丈夫?」
「なんとか……。でも、タブレットがあれでは、もう。いえ、あってもあれでは……」
「まあ、そうだな」
「心配せず、そこで見ていると良い。世界がこの状態になってから、未だ遠くはあるがヘレノニア神とのつながりが、戻ってきたのだ」
視線は、相手を見据えたまま。そんな状態でも気遣いながらヴァルトルーデが言う。
ここが奈落に等しい場なのであれば、それも当然かも知れない。だが、地球よりも、この世界の方がブルーワーズに近しいようだ。その皮肉に、ユウトは唇を歪める。
「じゃあ、俺もいけるか。――《魔力感知》」
無貌太母と対峙しながら語る彼女の背中を見ながら、ユウトは周囲の魔力を確認する。いや、それ以前に、発動自体なんの問題なかった。
魔力も、《魔力感知》を使用した視界では、濃い黒。性質は別として、量は充分。そして、この場なら、因果の反動も存在しないだろう。
ならば、自重する必要など無い!
「《三対精霊槍》」
呪文書から9ページ切り裂いて眼前に並べると、微かな光と共に六つの武器へと姿じる。
黄、青、赤、紫、白、黒。六源素の象徴色で彩られた豪奢な長槍だ。
それらが標的を定め、光をたなびかせて飛んでいく。
「第九階梯!? まさか、おとぎ話ではなかったのですか!?」
「うん。まったく問題ないな」
「どこがですか……」
もう、ユウトがやることは無い。
吸血侯爵ジーグアルト・クリューウィングへそうしたように、地・水・火・風・光・闇――源素の槍は自動的に無貌太母コーエリレナトの肉を穿ち破壊していくことだろう。
そんな光景をバックにユウトは真名に語りかける。
「もしかして、賢哲会議でも、第八階梯ぐらいまでしか把握してない?」
「それ以上の理術呪文なんて、開発されるはずがありません」
「……それはそうか」
過去はどうだったかは分からないが、第四階梯までしか因果の反動を抑えられないのだ。それが即ち使用できないということにはならないが、伝説や神話の彼方へ消え去っても仕方のないことだろう。
(亜神級呪文のことは、黙っておこう)
密かにそんな決意も固める。
「しかし、これでは埒があかんな」
「ああ。シャベルで山を削っている気分だ」
聖堂騎士の斬撃も大魔術師の呪文も、決定打にならない。それほど、コーエリレナトの耐久力はずば抜けていた。
でも、死ぬ心配が無さそうなのは幸いだ。
そんな風に、余裕でいられたのも、ここまでだった。
「ルオオォオオンンッッッッ」
太母の慟哭が異界に木霊する。
それは傷つけられた痛みによるものか、それとも子らの運命を知ったが故か。
産まれていく。
コーエリレナトの白く分厚い表皮を流れ落ちるかのように、数多の生命が生まれ落ちていく。
巨人がいた。それに匹敵するほど巨大な粘液の化物もいた。通常のものより一回り大きな猛獣たちが産声を上げ、数える気にもならない――まさに無数のゴブリンたちが叫声をあげる。
無言で進撃を開始する不死の怪物や泥、青銅、鋼の魔導人形たち。さらに、猛禽の上半身と馬の下半身を持つヒポグリフ、八本足で石化の邪視を持つ魔獣バジリスク、金色の鷲と獅子が組み合わさったグリフォン。
そして、ドラゴン。
ありとあらゆるモンスターが、現れた。《三対精霊槍》も、どれに向かうべきか戸惑うように上空を旋回している。
「なんとむちゃくちゃな」
「殺しきれないことはないけど……」
無貌太母の“生産力”が、これで打ち止めとは思えない。次も、大丈夫だとしよう。では、その次は?
押し切られる。
そんな未来が見えたその時、頭上から能天気な。しかし、聞き憶えのある懐かしい声が聞こえてきた。
「うっひゃー。すごいことになってる」
「間に合わなんだ時点で、こうなるだろうことは明白よ」
「殺りたい放題」
「ここ地球? え? ほんとに?」
見間違えではないか、聞き違えではないか。
そう、目を耳を、次いで頭を疑った。
けれど、アカネがアルシアが、ヨナが。ラーシア、エグザイルが、徐々に縮小する真円の綻びから降り立とうとしている光景は、妄想でも幻でもない。
「勇人!」
それを確信したのは、飛び降りてきたアカネが胸に飛び込んできて、その重みを体温を存在を感じたから。
「朱音、なんで、どうやって……」
「決まってるでしょ」
ユウトの胸に頭を押し当て彼の存在を堪能してから、アカネは、一歩だけ離れる。
「二人とも、帰ってくるのが遅いから迎えにきたのよ」
そうしてから指を突きつけるポーズを取って、予め言おうと決めていた台詞を口にした。
普通なら見ているこっちも恥ずかしいだけだが、妙に似合っているためユウトもリアクションに困る。だから、可愛いと得だななどと、どうでもいいことを考えていた。
「まったく。だからって……。そんな格好をしてるってことは危険なところを通ってきたんだろ?」
「あうわ。可愛くない服だったの忘れてたわ」
自衛のために着ていたローブだったが、やはり、女子高生的にはNGだったらしい。アカネが手で体を隠し、湿度の高い視線を向けてきたため、反射的に目をそらす。
その先には、もう一組の幼なじみたちがいた。
「ヴァル、慣れない環境でしたが、変わりありませんでしたか?」
「ああ。大丈夫だ。ユウトも一緒だったしな」
「暴飲暴食などしていませんね?」
「も、もちろんだ」
「……後で、ユウトくんにも確認しますよ?」
「していないぞ……私としては」
二人きりも悪くなかった。
でも、やっぱり仲間が一緒だと良いなと、どういうわけかノスタルジーに襲われる。
そんなユウトの前へアルシアが歩み寄り、存在を確かめるように指輪をしていない方の手で彼の顔をまさぐった。
「ユウトくんも。心配しましたよ……」
「ごめん。でも、信じてた」
「そういえば済むと思って」
すねたように、でも嬉しそうにアルシアは言った。
表情は真紅の眼帯で半ば隠されているが、ユウトにはそれが分かる。
二人の間に信頼という、ヴァルトルーデですら割り込めない絆があった。
そんな時間を作るため、仲間たちは先に邪魔者を排除しに行く。
残る仲間たちはといえば、エグザイルは軽く手だけ振って、モンスターの群へと分け入った。あの岩巨人なら、苦もなく万軍撃破するに違いない。
ラーシアの姿も見えないが、ドラゴンがどんどん落下しているということは、どこかに隠れ潜んで攻撃を仕掛けているはずだ。
「後で、色々問いつめる」
ヨナも、そんな予告を残してモンスターの群へと攻撃を仕掛けにいった。後が怖い。
「それで、なんでメルエル学長にアルサス王子にペトラまで?」
無視していたわけでも、気づかなかったわけでもない。
ただ、優先順位の問題というか、触れずに済ませたいという意識が働いたというか、それだけだ。
「無論、君らだけに偉業を達成せしめるわけにはいかないからさ」
「私は、付き添いのようなものかな」
「師匠、お会いしたかったです! そして、師匠の優しさを痛感しました……」
サイドテールと共に力なくうなだれる様に、思わずなにがあったのかと問いかける。
だが、それを遮るかのような大音声が奈落と化した世界に響きわたった。
「小僧! わしは無視か!」
「いや、じいさんはいない方が不思議っていうか」
やはり、触れたくなかっただけだ。
そう、もう一人の人物と同じように。
「久しいの、婿殿」
「そうでもないかな……」
「なるほど。褥では毎夜妾のことを思うておったと。女冥利に尽きるの」
「平安貴族かよ」
なにを言っても無駄だ。
そして、彼女がなにを言っても、事実であるような説得力もある。
美しいという賛辞では表現しきれない、色香と魅力はユウトも認めざるを得なかった。
「ヴェルガッ!」
だからというわけではないだろうが、ヴァルトルーデがかみつかんばかりに迫る。まるで、飼い主を守ろうとする忠犬のよう。
「婿殿?」
後輩の冷たい視線が痛い。
「一、二、三、四。……四?」
――痛いが、今はそれどころではない。
ヨナがいたら、自分が四番目とアピールをしていたに違いないが、それどころではない。ないのだ。
「みんな、どうやって……ってのは、後回しか」
「いかにもよ。坊主、無貌太母コーエリレナトは知っとるな?」
「ああ。でも――」
「あれは、真実よ。信じる信じないは自由だが、そのつもりでやれい」
「分かったよ」
結局、やることは変わらない。
それでいて、仲間が来てくれた。
負ける理由など、どこにもなかった。
無貌太母「わたしが、いったいなにをしたの……」
というわけで、(短めですが)Ep4そろそろ終わります。
Ep5はまた一週間ぐらいお休みをいただいてから再開予定です。