5.三つ目の
大軍に関所なしとは大軍で攻められると多少地の利があっても防ぎようが無いという身も蓋もない言葉だが、攻撃側が十人にも満たない集団であっても似たような状態にはなりうる。
要するに、強いものが勝つというストレートすぎる状況だ。
「アイアン・ゴーレムが二体、近づいてくるよ!」
先行して哨戒ににあたっていたラーシアが、警告の言葉と共に本隊へと戻ってくる。子供のような草原の種族と五メートルは超えるアイアン・ゴーレム。
それが十メートルも離れずに追跡してくる光景は傍目には切迫した状況だが、追われる本人が「死ねよゴーレムとか。急所も無いし」とぶつぶつ言いながらでは緊張感もなにもなかった。
「右は、私が対処する」
本人が言ったとおりヴァルトルーデの代わりに先頭にいたアルサス王子が宝剣トレイターを構えてアイアン・ゴーレムの一体へ駆けていく。
鋼鉄の魔導人形が並んで立てるほど広い通路。両手剣を振るうのになんら支障は無い。
ラーシアと入れ替わって最前線に立ったアルサス王子へ向け、その巨腕が振り下ろされる。
「この程度っ」
鉄塊そのものとも言える豪打だが、トレイターでがっちりと受け止めると、わずかに力を緩めてゴーレムのバランスを崩し、自らは流れるような動きで懐に入り込んだ。
そのまま手首を返して一閃。
銀光がきらめき、鉄腕が切り落とされた。
そんなアルサス王子に対し、健在なもう一体のアイアン・ゴーレムが向かっていく。
「私が!」
それに気付いたペトラが、ユウトから贈られた魔槍を構えて隊列の中程から飛び出した。無謀ではない。勝算はある。
冷静な判断と自信を胸にアイアン・ゴーレムへと近づく。
「《腐敗せし沼》」
メルエル学長がこれぞお手本とでも言うべきタイミングで適切な呪文を使用し、ゴーレムの下半身は奈落の汚泥に沈む。
その支援に感謝しつつペトラがサイドテールを振って槍を突き出そうとしたところ――
「どりゃぁっ」
その好機を見逃さなかったエグザイルが豪腕を振り下ろし、ペトラを掠めてスパイク・フレイルが飛んでいく。
金属と金属の衝突。
間違っても、戦場で響く音ではない。
だが、アイアン・ゴーレムの頭部がかち割られ、大きくへこんでいるという現実がペトラの視界に広がる。
「どれ、体が鈍るからの」
さらに、なにを考えているのか、ヴァイナマリネンが腰に下げていた魔剣を抜いてアイアン・ゴーレムへ無造作に近づいていく。
あまりにも自然で当たり前で、ペトラはただ見送ることしかできない。
「ほれ、とどめよ」
老人とは思えない跳躍力でアイアン・ゴーレムの頭部に飛び乗った大賢者が、エグザイルがへこませた部分にあわせて、軽く長剣を振るった。
用は済んだと、あっさり飛び下りる。
まるでそれが合図だったかのように、アイアン・ゴーレムの体の中心に亀裂が入り、後は、自重で真っ二つに裂けてしまった。
「剣、飾りじゃなかった」
「ファッションでこんなもの持たんよ、白い嬢ちゃん」
「でも、ユウトは剣とかへっぽこだし」
「それは、坊主が修業不足なのよ」
無茶苦茶な評価を下して呵々大笑し、魔剣を鞘に仕舞う。
ユウトもリ・クトゥアじゃ頑張ったんだけどなぁと、里の民から決闘の様子を聴取済みのラーシアは思うが、なにも言わなかった。
あの件をばらすのなら、ヴァルトルーデがいないと面白くない。
ほぼ同時に、もう一体のゴーレムを粉砕したアルサスも、なにかあれば援護できるように待機していたアルシアたちのもとへと戻ってくる。
「それにしても貴様の後の先を得意とする剣技に、防御の堅さは、レイのやつを思い出すわ」
「あのレイ・クルスと、私の剣技が似ているのですか」
王にして英雄を目指すとヘレノニアの分神体に誓ったアルサス王子が、英雄と比較されて目を輝かす。子供のような喜びようだ。ユーディットがいたら、うっとりと自分の世界に没入していたに違いない。
「そうさな。まあ、レイは肉も骨も断たせて、相手の命を絶つような戦いようであったが」
「あれは、心臓に悪かったですね。スィギル様は、いつも怒ってばかりで」
伝説を老人の茶飲み話のように語られても困ると、アルシアは苦笑する。ただ、彼女など、かなりマシな方だ。
「私たちは、TAS動画でも撮影しに来たのかしら?」
アカネは混乱している。
「私の出番が……」
ペトラは呆然としていた。
アイアン・ゴーレムは、魔導師以上の理術呪文の使い手が数ヶ月の時間を費やして産み出す魔導人形だ。
デザインの細部は制作者に委ねられるが、人型であることは共通している。
鋼鉄の肉体に、体躯に見合った剛力、直接的な攻撃呪文への耐性と護衛者として格好の性能を誇っているかなりの強敵。
だが、それは一般レベルでの話。
さすがに、このメンバーを前にしては、相手が可哀想になってしまうほどだ。
「ええと、今、地下何階だったっけ?」
「確か、八十二層だったはずです……」
百層迷宮は、その名の通り地下百階まで延々と続く地下迷宮である。
各層で広さも高さも異なるが、もっとも広い五十七階層で約二キロメートル四方。高さは巨人回廊と呼ばれる三十四層で三十メートルに及ぶ。
厚い石造りの壁と床で構成されており、各階層で構造はことなるものの、代わり映えのしない地下迷宮が百層目まで続いている。
誰が、なんのために建てたのか。
数百年に渡って賢者たちは百家争鳴を繰り返し、パス・ファインダーズが最下層にたどり着いてからも結論は出ていない。
分かっているのは、どれだけ倒し続けてもモンスターが“補充”されること。同時に財貨や魔法具などが、そのモンスターの所持品として、現れること。
そして、特定の階層には貴重な秘宝具が安置されている。
まるで、迷宮の奥へ人を誘うかのように。
そんな迷宮だったが、階層間の《瞬間移動》は抑止されていることから、モンスターやトラップは元に戻っても構造は変わらないが、短時間で踏破することは非常に難しい。
それに、パス・ファインダーズが百層まで到達し、そこになにも無いことが分かってから、無闇に地下を目指す冒険者もいなかった。
「だが、ここまで来るのに三日か。昔は――」
「まあ、こんなものでしょう。我が師よ、若い頃の話をすると若者に嫌われますよ」
「知ったことではないわ」
「好悪は別として、そろそろ本当のことを聞かせてもらいたいところですね」
エグザイルが率先してアイアン・ゴーレムの残骸を片付けている間、アルシアがしびれが切れたとヴァイナマリネンとメルエル、二人の大魔術師の前に立つ。
「アルシアさん、本当のことって?」
「アカネさん、私たちが、この百層迷宮になぜ潜ることになったか、建前はなんだったかしら?」
「確か、モンスターが消えたり異変が起こってるから、その調査を依頼されて……」
その異変が、ユウトやヴァルトルーデが帰ってこないことにも関係があるのではないか。そんな推測から、潜ることを決めたのだ。
「つまり、このおじいちゃんたちが隠し事してるって?」
「そんな失礼です」
「ま、そろそろ話す頃合いだろうて」
ペトラの擁護を正面から粉砕して、ヴァイナマリネンはアルシアからの疑念を受け止めた。
「だが、少し待て。関係者が、もう一人来るからの」
「我が師よ、それはどういう……」
メルエル学長すら知らない人物。
関係者がもう一人いるというその事実よりも、メルエルすら知らないという事態に戦慄が走る。
だが、それはある意味正解で、間違いでもあった。
「もう追いついてしもうたか」
闇の中から現れた、炎よりも濃い赤毛の美女。その闇を実体化させたかのようなドレスを身にまとい、しどけない姿で存在を露わにする。
「ヴェルガ……っ」
アカネの絞り出すような声に、ラーシアは即座に弓を構えて戦闘態勢を取り、エグザイルも慌ててこちらへ戻ろうとする。
一瞬遅れてアルサス王子もトレイターを抜いて前へ出て、ペトラは事態の推移についていけずおろおろとするだけ。
「もたもたしておると、妾が先に婿殿をさらってしまうぞ」
「この先に何があるのかは知りませんが、ユウトくんは渡せません」
アルシアがきっぱりと拒絶の言葉を叩き付け、女の舌戦が始まる。
「そもそも、女帝ともあろう存在が我々の通った後をついてくるとはさもしい所行ではありませんか」
「強者が弱者に配慮しただけのことよ。大した苦労もしておらぬだろうに、よう言うわ」
「やはり、お前さんも知っとる口か」
そんな戦いにも意を介さずヴァイナマリネンは悪の半神に問いかけた。鷹揚と、彼女の存在を受容している。
「ヴァイナマリネン殿とはいえ、ヴェルガと囀り合うおつもりであればっ――」
「時と場合によるわい。目的を履き違えるでないぞ」
「まったく、説明をしない癖が……」
勝手に騒いでいる徒人は無視して、ヴェルガはヴァイナマリネンにだけ言葉を伝える。
「天上に住まう母より、助言があったのよ」
「麗しき母子愛だな。めんどくさいことになったわ」
「お互い様であろう」
ヴァイナマリネンとヴェルガ。
善と悪を代表する超越者二人が、百層迷宮でにらみ合う。
一喝されたアルサス王子は元より、アルシアたちも動けない。すべての事情を把握していないからでもあるし、アカネやペトラを守らねばならないという足かせもあった。
「……仕方あるまい。一時休戦だな」
「さすが大賢者よ。なかなかに小賢しいの」
緊張感が一気に緩む。
二人は、二人だけが知る情報――ヴァイナマリネンは、確信に近い推測だが――を基に、妥協を成立させたようだ。
とはいえ、その二人以外はたまったものではない。
「我が師よ、第百層に無貌太母コーエリレナトが存在している。その事実と、関係があるのでしょうな?」
「悪魔諸侯の一柱とも無関係ではないが、それだけとも言えぬ」
奈落の支配者。
悪の化身。
悪魔の王。
その中でも伝説の存在とされていた、無貌太母コーエリレナト。地上に住まうすべての生命を産み落とし、その役目を終えた後に原因不明の狂を発し、悪魔を産み出したという地母神に相当する存在。
それが何も無いとされていた第百層にいる。
しかも、それを超える問題があるのだという。
「そうよの」
ヴェルガが淫らな笑顔を浮かべて、母から教わった事実を口にする。
もちろん親切からでらはない。
ユウトを奪った女たちの驚いた顔が見たかったからだ。
「例のオベリスクがあるのであろう? 隠されし第百一層に」
「そう、にらんでおる」
そして、消えたモンスターたちだけでなく――
「無貌太母コーエリレナトも、あの坊主の故郷――地球へ転移しようとしておるのではないかと疑っておる」
いつもと変わらぬはっきりとした口調で、ヴァイナマリネン。
世界で並ぶ立つものが無い大賢者は、そう疑念を口にした。