3.いつも通りのやり方
「なあ、ユウト。最近こもりきりではないか?」
「そう? 外には出てるけどな。夜とか」
「あれは出かけるのではなく、出撃なのではないか?」
スイートルームのリビングで、ソファでは無く床にクッションを敷いてその上に座っているユウト。
そんな彼の邪魔をしないよう控えめに。
しかし、存在を主張するかのように背中に手を触れながら、ヴァルトルーデは気遣うように言う。
実際、賢哲会議が手配したホテルにそのまま棲み着いたユウトは、そこで呪文の解析や研究を続け、自宅にはたまにしか戻っていなかった。
それは突然のモンスターの出現に備えるという意味もあるのだが、両親やアカネの家族を巻き込まないようにという配慮が大きい。
愛犬とのスキンシップが減ったのは死活問題だが、仕方がないと血の涙を流して諦めていた。
「別に、引きこもってゲームやってるわけでもないし。今作ってる魔法具も、割と重要だし」
「それは、そうなのだが……。いや、げーむは知らんが……」
つまり、ヴァルトルーデはもっと構ってほしいと言っているのだ。けれど、ユウトは気付かない。というよりは、そんなこと想像もしていない。
それに、ユウトの研究は重要なものだった。
「それで、重要とはどういう魔法具なのだ?」
「簡単に言うと、警報機だね」
高そうなローテーブルの上に転がされた円盤状の防犯カメラ。
今、ユウトが行なっているのは、そんな電子機器を魔化する作業だった。それも、ひとつやふたつではない。
スイートルームの寝室には未開封のカメラが山と積まれ、ダイヤモンドや鷹の尾羽、高僧の書を灰にしたものやロザリオなどの聖印を砕いて作った粉など、稀少で高価な触媒も運び込まれている。
とはいえ、材料があっても、やはり一筋縄ではいかなかった。
まず、《道化師の領域》の提供を受けたユウトは、タブレットも借り受けてその術式を精査することから始めた。
結論から言うとそれは、ブルーワーズでは存在し得ない呪文。いや、技術だった。
賢哲会議が因果と呼ぶ世界法則。
その認識を歪め、隠蔽するのが《道化師の領域》という呪文の効果。「ありえない」ものを「ありえる」と誤認させてしまうのだ。
タブレットから真名が呪文を使用するときに展開された魔法陣と同種のもの。
「呪文の発動を隠蔽するための呪文? その呪文自体はどうなるのだ?」
「驚くべきことに、魔力消費がほとんどないんだよね。だからその疑問への解答は、《道化師の領域》を使用した際の反動は、無視できるほど軽微ってことになる」
「……随分と都合がいいのだな」
「うん。呪文というよりは、発動のコツとか儀式とかに近いね」
必要に迫られて開発されたのだろうし、その利便性には感心したが、やはり問題はあった。
「ただ、第四階梯の呪文ぐらいまでしか、カバーしきれない」
「むう……。それは厄介だな。もっと融通を利かせればいいだろうに」
全く使えないよりはましではあったが、レパートリーが半分以下になってしまっているのだ。手足を縛られているとまでは言わないが、これではブルーワーズへ帰ることもままならない。
だが、ヴァルトルーデの批判は酷な面もある。
なにしろ、真名よりも上位の特級魔導官でも第三階梯、最上位の教導官でも第四階梯の発動がやっと。それ以上の呪文の発動など、神話・伝説の領域なのだから。
「将来的には、《道化師の領域》を拡張してもっと上の階梯まで因果の反動を抑えられるようにしたいけど……」
「では、結局、今はなにを作っているのだ?」
ユウトの背中側からのぞき込むようにして、監視カメラを指でつつく。
その動きで、聖女の控えめなふくらみが、大魔術師の背中をわずかにこすった。
(母さんと一緒に買い物に行ってもらって良かった!)
幻影で姿をごまかす理術呪文を使って、春子とヴァルトルーデとで生活必需品を購入してもらったのだが、具体的になにが良かったのかは、口にできない。
ただ、理性のために良かったのは確かだ。
「さっきも言ったけど、警報機だよ。転移する対象を検知するね」
「あの呪文か。王都の家の倉庫にもかけていた……」
「そう。《転移警報》だ。ただ、下位バージョンだけどね」
効果範囲内に《瞬間移動》などで侵入者が転移してきた場合に、術者の精神へ警報を飛ばす第四階梯の理術呪文。
ほんの数分だが、転移を予知して事前に警告が発せられるのが最大の特徴だ。
より上位の呪文には、《瞬間移動》自体を失敗させたり、指定した別の場所に再転移させるという鬼畜な仕様のものも存在するが、さすがにそれを魔化することはできなかった。
「このカメラ――監視装置に《転移警報》と《道化師の領域》を魔化していろんな場所に設置すれば、今よりマシな体制が構築されるはずだけど、俺が作るしかないからね」
《転移警報》と《道化師の領域》を同時に組み込むのは、ギリギリだったがなんとかなった。しかし、《転移警報》を使えるのはユウトだけ(《瞬間移動》の呪文が存在しないのに、対抗手段が生まれるはずがない)。しかも、アラートの送信先にもカスタマイズが必要と量産には問題が多い。
それでも、従来は時空の歪みを観測し、付近にいる魔導官を派遣。もしくは、関係機関からの通報を受けての出動と、後手後手に回っていたのだ。
数が少ないのでカバー範囲も狭くなるが、長足の進歩と言える。
そのため、賢哲会議からは大量の資材と魔術的な触媒の提供を受け、ユウトが家内制手工業で頑張っている……のは賞賛されるべきだが、湯水の如く使用される素材の量と金額に、賢哲会議の経理担当者は顔を青くしていた。
金でどうにかなるのなら、ためらわない。
どこにいてもユウトは相変わらずユウトだった。
「センパイのお陰で、かなり楽になりました」
「俺じゃなくて、『揺らぎ感知器』のお陰だろ」
「それを作ったセンパイのお陰ですよ。名前はどうかと思いますが」
「分かりやすいじゃないか。でも、俺とヴァルがこっちに来たせいでこんなことになってるのかも知れないのに、感謝しても良いのか?」
ある日の夜。
ユウトは真名と二人で公園にいた。
と言っても当然、ロマンスが生まれるようなシチュエーションではない。ユウトが作った『感知器』の警告に従い、ホテル近くの公園へ出動し、次元の綻びから出現したモンスターを排除した。それだけのこと。
また、《鏡面変装》を使用しているため、二人を正常に認識できる者もいなかった。
ヴァルトルーデは別の場所に現れた不死の怪物の対処に当たっており、賢哲会議の後処理班と一緒にこちらへ向かっているらしい。
「因果関係は不明です。しかし、仮にセンパイたちが原因であっても、それを咎めるのはお門違いというものでしょう」
「その方がありがたいけどね」
首をすくめてユウトは辺りを見回す。
この二人以外に、動く者は存在しない。動く者は。
「これは聞いても良いか迷ったのですが……」
「答えるかどうかは、俺が判断することだよ」
優しいと表現するには切なさが多いを微笑を浮かべて、ユウトは先を促した。この惨状――後処理が必要になる状況――を見れば、言いたいことは分かる。
「想像以上に命を奪うことに躊躇がないようでしたので、驚いています」
「だろうねぇ」
今夜出現したモンスターは、ゴブリンやホブゴブリン、オーガなど典型的な悪の相を持つ亜人種族の集団。それが、100に届こうかという群で現れたのだ。
《火球》で出鼻をくじき、後は《火炎障壁》などで取り囲んで殲滅するしかなかった。
「さすがに、なんとも思わないってことはないよ」
「そこまでは言っていません」
「そう? まあ、なんて言うかな? その辺を飛んでる虫は殺せないけど、血を吸おうとしたら、こっちに向かってきたら叩き潰すような感じ?」
「申し訳ありません。分かりません。私は、幼い頃から魔導官として教育を受け、その中には当然、戦闘行為も含まれていました。そのため、殺人に嫌悪感はありません」
「あるよ。無いわけがない」
背の低いポニーテールの後輩――実感はあまりないが――の言葉を、ユウトは言下に否定する。
「まず、殺人と戦闘行為の結果としての死亡は別だ。その辺の通行人に呪文ぶっぱなして殺したりはしないだろう?」
「当たり前です」
不本意ですと、わずかに頬を膨らませ、ほとんど分からないぐらい背伸びして抗議する。
そんな彼女をいさめながら、ユウトは思い出しながら語り出した。
「やらなければやられる――って言うのは簡単だけど、一番わかりやすくもあったな。俺の場合、あっちに転移した瞬間目の前に死体が転がってたからね。第一印象が大事ってやつだ」
もちろん、そこには美しい聖堂騎士がいたのだが、どう感じたかは誰にも語るつもりはない。
「最初に殺したのは、森の中で出会った狼だったかな。あのときは修業中で、姉弟子も一緒だったし、必死だった。あと、呪文だから直接手を下したという実感も薄かったしね。あとは、坂から転げ落ちるように……まあ、慣れだね」
そう言って、出てもいない汗を拭く。
今のユウトは、用心のため白い大魔術師のローブを羽織り、それにあわせて制服を着込んでいた。やはり、この組み合わせが一番落ち着く。
けれど、今はまだ夏。夜とはいえ、そんな格好では外に出られない。
そのため、《耐熱・耐寒》を使用しているのだが、実際に効果があるとは思わなかった。なぜなら、《耐熱・耐寒》は、健康が損なわれるような環境で初めて効果を発揮するのだから。
どうやら、日本の夏は補正が利くほど殺人的らしい。笑いそうになって、そんな状況ではないことに気づく。
「やはり、軽々しくうかがうべきではありませんでした。申し訳ありません」
「別に、気にしちゃいないさ」
「率直な人格であると自己認識していますので」
「それなら、三重婚なんて信じられないとでも言ってるんじゃないかな?」
「……言われたいんですか?」
「まさか」
そう否定するが、真名は半目でこちらをにらんでいた。まあ、変にかしこまられるよりは良い。
そう前向きな結論に達した瞬間、再び、『感知器』からの警報が届けられる。
「センパイっ!?」
「こいつは初めてのケースだな」
ユウトは呪文書を、真名はタブレットを構えて空を警戒する。
そのまま、数分。
またしても空中に、黒い月と見まがうような深淵が生まれた。
そこから生まれるように流れるようにこぼれ落ちる異形の怪物たち。
「こいつは……」
「なんておぞましい……」
針のような口吻を備え、猟犬ほどもある蚊の怪物がいた。
両の眼窩には暗い炎が灯り、骨の上をコールタールのような肉が次から次へと流れていく、小人の群があった。
丸太のように太い両腕をした、毛むくじゃらの猿のような怪物がいた。
他にも、見知った生き物をベースに、ありえない特徴が付け加えられた怪物が次々と真円の綻びからまろび出る。
「ダブレルグス、ヒュムーエムオス、エイポヌリス……」
ある意味で見知った、奈落に住まう悪魔。
その集団がついに、地球に、日本に、ユウトの故郷に姿を現した。