12.賢哲会議(中)
賢哲会議の一級魔導官と称する秦野真名との邂逅から一時間後。ユウトは、最上階のスイートルームに足を踏み入れていた。
シックで落ち着いた色合いの室内。照明の光も柔らかい。
部屋の中央に置かれているのは、見るからに高級そうな絨毯にソファ。壁際には60インチはありそうな液晶テレビが置かれ、部屋自体もそれに見劣りしない広さがある。
このリビングの他に、当然ベッドルームもあるはずだが、そちらを利用することはないだろう。
日本にいた頃に使う機会があるはずもなく、ブルーワーズでも高級宿に泊まれる頃には自宅を購入していたので、社会的な身分や財産の割には縁遠い場所だった。
「ヴァルとホテルか……」
想像もしていなかったシチュエーションだ。まあ、アカネの顔を思い浮かべたら、泣き笑いだったのでなにもする気は無い……というか、元から、そういうつもりではない。
アルシアのことは、どうぞどうぞとむしろ勧めてきそうなので思い浮かべたりしない。
「ここは、賢哲会議が押さえている部屋ですから、自由に過ごしてください」
「高い建物だな」
遠慮もせず窓際に移動したヴァルトルーデが、最上階から地上を見下ろす。
地上数十メートルからの眺め。
ブルーワーズでは呪文で空を飛んでの移動を日常的に行っていたのだから、高度だけ比べれば幾分低い。だが、建物から、それも夜景となればまた違うのだろう。
それ自体が宝玉に等しい蒼の瞳を輝かせて、地球の夜を眺めていた。
「とりあえず罠もなさそうだし、話を始めようか」
「そうだな」
当然、異世界最強の聖堂騎士が見慣れぬ光景にはしゃいでいるだけのはずがない。
ここに来るまでと部屋に入ってから、充分に周囲の気配や敵意を調べている。
「そんな。私たちが騙すようなことをするはずが……」
「初対面の相手を無条件に信じられるほどできた人間じゃないんだ。お互い、怪しい連中だしね」
あえて露悪的に言うと、断りも入れずにソファに身を沈ませる。今のユウトは実にラフな格好で、場違いにも程があった。
けれど、堂々とした仕草は高校生とは思えない貫禄を感じさせる。
真名はその正面に座り、ヴァルトルーデはなにがあっても対応できるよう、ソファには座らずユウトの背後に影の如く寄り添った。
「じゃ、まずは自己紹介……は無駄か。こっちのことは知っているみたいだし」
「いえ、知っているのはセンパイのことだけです」
「……先に、そっちが知っていることを聞きたいな」
「いいでしょう。無駄が省けますから」
効率的ですねと、真名も同意する。
「私たち賢哲会議は、センパイを次元移動者だと認識しています」
「次元移動者……ね。次元って、なにをどこに移動するのさ。俺が、何ヶ月も別の世界に行っていたとでも言いたいのかな? 家出少年に貼るレッテルにしては、少し恥ずかしすぎる」
「最近の高校生は、あんな高度な呪文を使えるようになっていたんですね。知りませんでした」
今更とぼけても無駄かと、ユウトは苦笑する。
そんな彼を、少し意地が悪すぎるぞと、ヴァルトルーデがこつんと頭を叩いた。
「怒られちゃ仕方ない。そこは認めよう。俺はこの地球とは異なる世界へ迷い込んでいた。後ろにいる彼女は、その世界の住人だよ」
「ヴァルトルーデ・イスタスだ」
「聞いていいかな? なぜ、俺が次元移動者だと認めた? どうやって俺にたどり着いたんだ?」
「これは、私とは管轄が違う話で受け売りに近いのですが……」
そう律儀に前置きしたうえで、タブレットを操作して資料を出しながら真名が口を開いた。
「次元の境界が揺らぎ、彼方から此方へ、此方から彼方への転移というのは古来よりいくつかの例があります。私たち賢哲会議は、元々、そういった異界からもたらされる神秘を収集・研究することが目的の組織でもあります」
「できれば、否定したい話だ」
「ごもっともですが、続けても構いませんか?」
無言で首を縦に振った。
「動機も脈絡も無い失踪者・行方不明者は、元々私たちの調査対象です」
「俺なんか、まさにど真ん中だったわけだ」
「はい。そこへ更に、三木朱音センパイも続きました。我々からすれば、天草センパイをマークするのは至極当然の話です」
「なるほどね」
筋は通っている。
こっちに戻ってからは目立たないように気をつけてはいたが、完全に目を付けられていたということであれば、露見するのも止むを得なかったのだ。
知られている以上、じたばたしても仕方がない。
後は、少しでも多く情報を引き出して、お互いの着地点を見つけなくては。
そのためにも、ユウトは続きを待つが……まるで気乗りしないお見合いのように、沈黙が続くだけだった。
「……それだけ?」
「これは賢哲会議とは無関係ですが、私は天草センパイの一学年下です。ですが、センパイの行方不明騒ぎまで、名前も存在も知りませんでした」
「それはこっちも同じだけど……」
学校にいた頃からマークされていたと言われるよりはましだが、どうでもいいと言えばどうでもいい。
「そうなのか? 同じ学校なのだろう?」
「全体で千人ぐらいいるんだぜ? ちょっと美人なぐらいで、他の学年の生徒のことなんか耳に入ったりしないよ」
「そうか。まあ、ユウトがそういう人格で、助かったのか苦労したのか、微妙なところだな……」
「アルシア姐さんみたいなこと、言わないでくれ……」
話がずれた。
もう戻るわけにはいかない学校の話などしている場合ではない。
足を組み替え、ユウトは核心に迫る言葉を口にした。
「俺がどんな世界にいたとか、どんな技能を持ってるとか、そういうのは?」
「知りません」
「なにも?」
「はい」
振り返って、ヴァルトルーデを仰ぎ見る。
だが、返ってきたのは無情にも、首を横に振る否定の動作。どうやら、嘘を吐いているわけでもないらしい。
(仮に、あくまでも仮に、呪文とかを扱う組織が地球に万が一あったとしてだ。不思議の塊みたいなところから戻ってきた人間がいたら、情報をすべて聞いたうえで交渉に来るんじゃないか?)
そうではないということはつまり、賢哲会議という組織自体、ユウトの詳細を掴んではいないのだろう。
一級魔導管などと、恐らく上位にあるだろう彼女に、知らせない理由など無い。
相手のことを完全に信頼しているわけではないが、疑う根拠もなかった。
「あまりにも高度な呪文を平然と使用するので、驚いてしまいました。そちらのヴァルトルーデさんも、想像を超える身体能力に驚きを隠せません」
確かに、表現がかぶっているのに気づかないほど、衝撃的だったのだろう。
ユウトとしては、相手がなにも知らなかったことの方が、衝撃的だった。
「因果の反動というのは、なんだ?」
「やはり、それもご存じなかったんですね」
あきれと納得。そんな感情を混合した彼女は、しかし、それ以上は言わず、説明のために口を開く。
「世界法則から外れた事象への反動。世界の揺り戻し。賢哲会議は、そう理解しています」
「意味が分からんな」
後ろに立つヴァルトルーデが腕を組み、首を傾げる。
世界法則という抽象的な概念が理解できないのではなく、呪文だけがその対象になる理屈が分からない。
「魔法具はちゃんと作動するし、粘液の化物どもも、しっかりと存在しているではないか」
「すでに存在が確立しているかどうか、なんじゃないかな?」
少しだけ考えてから、ユウトはそう結論を口にした。
「さっきの口振りからすると、地球には魔法的なものを排除するなにかがあるんだろう。ただ、それも万能じゃないし、無茶もできない。無機物・有機物問わず、物体を消し去るなんてしたら、今度は通常の物理法則に反するから」
「では、呪文は違うのか?」
「呪文書という設計図はあるけど、まだそこに存在していないものだし、物理法則を無視しているようなものも多い」
「だが、この世界にも魔力は存在しているな」
「そう。だから、発動はする。でも、反動がある。毎回同じ反動なのかは、分からないけど。そして、たぶん、あの魔法陣はその反動を打ち消す……そもそも、引き起こさないように、隠蔽でもしているのかな? 上手く考えたものだと思うよ」
感心するかのように、ユウトは言った。
だが、感心するのは真名の方だ。
「その通りです。因果の反動の内容はランダムで規則性もありませんが……。でも、因果の反動も知らなかったのに、すぐ正解にたどり着くなんて」
「別に、誉められるようなことじゃない。それよりも、厄介なのは――」
「ああ。モンスターの存在だな。あれは、まずかろう」
ヴァルトルーデの表情が憂いを帯びる。
それがまた、美しい。
ユウトは元より、真名さえもしばし見とれてしまった。
「ええと、それに関してなのですが……」
一分ほどして、我に返った真名は誤解を解くため口を開く。
「因果の反動で、異界の生物が現れることはありえません」
「でも、現に……。ああ……。そうか、理屈としては、そうなるのか……」
あの花火のような音が因果の反動であり、粘液の化物の登場とは無関係。
そう言っても、なかなか納得できないだろう。
「ユウト、説明してくれ」
「分かってる。つまり、反動でもっとあり得ない現象が起こっちゃどうしようも無いってことさ。何度も言うけど、この世界には、モンスターなんていないんだ」
呪文の発動はルール違反だと、反動が起こる。いわば、常識の揺り戻し。なのに、それでモンスターが出てきては意味がない。
世界法則や次元境界が乱れて、あんな事態になったわけではないのだとユウトは解釈した。
「少なくとも、因果の反動による異世界生物の登場は確認されていません。ただの一例もです」
「その理屈は分かった。では、あれはどこからどうやってきたと言うのだ?」
「分かりません」
率直に、真名は力不足を認めた。
「その件も含みますが、我々賢哲会議は天草センパイに協力を要請したいと考えています。報酬も用意していますし、ご希望があれば便宜も図ります」
なんでもするから、力を貸してください。
後輩――面識はないが――から聞くには、実に不適当な言葉だった。
説明回が長引いて申し訳ありません。次回には、なんとか終わります。