11.賢哲会議(前)
「監視だって?」
それに、賢哲会議? 一級魔導官?
(いつから、地球はこんなオカルトになったんだ?)
薄いながらも魔力があれば、それを使う術が開発されても不思議は無いのかも知れないが……。容易には認めたくなかった。
「ユウト、まずはあの粘液の化物どもをなんとかするのが先決だ」
「ああ……。すまない」
色々と常識が崩壊しかけていたユウト。だが、姿隠しの指輪を外した婚約者からの叱咤に、なんとか精神の均衡を取り戻した。
アカネからは、「今更、あんたが常識とか言うの?」とジト目で反論されそうだが。
「秦野真名、君のことはよく分からないが、ひとつ確認したい。そちらに、あれをどうにかする手立てはあるのか?」
「あると言いたいところですが、先ほどのが最大の攻撃呪文です」
「マジか」
真名からの慇懃だが悔しそうな告白に、ユウトは再び唖然とする。一級魔導官などと言っていたが、まさか第一階梯の呪文しか使えないとは。
粘液の化物越しに会話をしている状態だが、そのモンスターたちは、徐々にばらけ始めている。
急がなくては、後悔することになりそうだった。
「結局、俺がやるしかないんじゃないか……。いや、ヴァル頼みがある」
「分かった。なにをすればいい?」
「彼女をこっちに連れてきてくれ」
「承知した」
そこには、疑問も躊躇もない。ただ、信頼だけがあった。
「ヘレノニア、常勝不敗の軍神よ! 我に魔を退ける力を与えん!」
即座に、《降魔の一撃》の霊気を全身にみなぎらせた聖堂騎士が、最短距離――粘液の化物のただ中――へ突っ込んでいく。
まるで戦場を走破する戦車のように駆け抜け、あっさりとエメラルドのタブレットを抱える魔術師の少女へとたどり着いた。
真名は、そんなヴァルトルーデを信じられないものを見たとばかりに惚けている。
無茶な突破と、そのありえないほどの美麗さと。どちらに驚けばいいのかも分からない。
「大人しくしていろ」
「なにをするんですか? ひゃ、ふあいっ」
そんな心の動きを知るはずもなく、そのまま問答無用で抱え上げた。
真名は、先ほどのように粘液の化物へと突っ込んでいく未来を想像して悲鳴を上げそうになった。
「触手がうねっている所に私を連れていって、どうするつもりですか!?」
「問題ない」
粘液の化物は、数が減って空白地となった部分をすでに埋め、徐々にではあるが、前後へ広がり始めている。
つまり、時間がない。
だから、ヴァルトルーデは無理をせず飛んだ。
飛行の軍靴のかかとを打ち鳴らし、翼が現れる。それを目視で確認することもなく、人一人抱えて空を翔る。
まるで、北欧神話の戦乙女のよう。
ただ、ひとつ言い添えるならば、ヴァルトルーデの方がオーディンの娘よりも強く美しいということだろうか。
「待たせたな」
「ありがと」
「私、空を飛びましたよ?」
数十秒の空の旅を終え、同じ高校の制服の少女が呆然とつぶやく。
そんな彼女を見て、魔術師のわりに、耐性が低いなとユウトは微妙な表情を浮かべる。
《七光障壁》程度を極大呪文などと呼んだとおり、どうも地球の理術呪文のレベルは全体的に低いらしい。まあ、高くても困るが。
そう思っている時点で、だいぶ地球の常識から逸脱してしまっていることにユウトは気づいていない。幸か不幸か、それも誰にとってなのかは分からないけれど。
「前置きは抜きにしよう。そっちが使った呪文は、なぜ大きな音が鳴ったり、モンスターが現れたりしなかったんだ?」
「因果の反動ですね。え? なんでそんなことも知らないんですか? 知らずに呪文を使ったんですか?」
「まず質問に答えてくれ」
咎めるような口調や気になる話はあったが、すべて後回し。
つかみかからんばかりの勢いで、ユウトがポニーテールの少女に詰問する。
「それは、このタブレットから投射した魔法陣で――」
「分かった。俺が、あれを一掃する。その魔法陣で、二次被害を抑えてほしい」
「そんな。魔法陣ひとつが精一杯なのに、あんな極大呪文なんか……」
「階梯――レベルは落とす。粘液の化物を街にやるわけにはいかない」
「わかり、ました」
粘液の化物をにらみつけながら、ユウトが言う。真名も、それに反論することはできなかった。
それを見届けたユウトは、一呼吸置いて心を整える。そして、呪文書から4ページ分切り裂き、蠢く粘体たちの四方に配置した。
「《炎熱障壁》」
高さは犠牲に、代わりに全体を取り囲むようにする。ただし、火勢は最大に。
そう念じて、丁寧に術式をなぞる。
距離の限界と、実際の位置の修正。
壁の厚さと高さを設定。
炎の威力は最大に。
様々な情報が呪文書のページからほとばしり、脳内で確認し、制御し、設定していく。
今までの呪文発動が、整備された公道を走るようなものだとすれば、今のそれは、曲がりくねった山道を進むがごとく。
慎重に、確実に。
魔力の薄さに違和感はある。
だが、分かっていればどうと言うことはない。
ようやく、最適化された。チューニングに成功された。
そう確信すると同時に、縦横10メートル近い炎の壁が完成した。
近づくだけで、否、近づくことさえできない猛火。炎が物質化したかのような存在感。
やや紫がかった紅蓮の壁。
「なんて、すごい呪文……」
「こんなの大したことない。いいから、魔法陣ってのを!」
「言われなくても、分かっています!」
開き直るかのように、タブレットを操作して準備済みのスペルアプリをタップし、《炎熱障壁》の上空を向けてレンズをかざす。
「《道化師の領域》」
ひとつのみだが、先ほどよりも一回り大きな魔法陣が業火の壁の直上に描かれる。
だが、それだけ。
それ以上は、なにも起こらない。
「私の呪文で因果の反動を抑えます。早めに片付けてください」
「分かった」
あの魔法陣で、発動した後の爆音のようなものを抑制しているのだろう。そう当たりをつけたユウトは、再び呪文の制御に精神の集中させる。
壁から箱へ。
そして、線へ。
そのイメージ通り、《炎熱障壁》はわずかずつだが姿を変えていく。
上空から見ていたならば一組の対角がその距離を縮め、長方形を描いていた業火の壁が直線に近づく様に気付いただろう。
当然、その内部にいる粘液の化物が無事でいられるはずがない。
粘体を灼かれ、逃げ場もなく、再生も許されず、核は灰になる。
漂う異臭と、地面に残る焦げ跡。
「今度こそ、終わったか……」
ユウトが指を鳴らして呪文を解除した時、粘液の化物の痕跡は、それしか残っていなかった。
気付けば魔法陣も、さらにその上にあったはずの黒い月のような真円の綻びも消えて無くなっている。
「苦労をかけたな、ユウト」
「いや。こっちこそ助かった」
油断なく周囲を警戒しつつも、ほっとした表情でねぎらう二人。
しかし、ユウトはすぐに顔を引き締めて口を開いた。
「そうだ。先に言っておくけどな、ヴァル」
「なんだ?」
「本来、この世界にはあんなモンスターとか呪文とか無いんだからな。そこは誤解するなよ」
「そんなことか」
なぜわざわざ釘を刺すのか分からないと、ヴァルトルーデは討魔神剣を鞘に戻しながら首を傾げる。
「別に、ユウトの故郷について教えてくれたことが結果として虚偽になってしまったことを気にする必要などないのだぞ。それで、ユウトを嫌いになるはずもない」
「ヴァル……」
「それに、こちらでも理術呪文が存在することをユウトも知らなかったようだしな。もしかしたら、隠匿されているだけで、似たようなモンスターもいるやも知れぬ」
「うっ」
珍しく的を射た指摘に、ユウトはなにも言えなくなる。
「言ってくれた内容は嬉しいけど、そうじゃない。そうじゃないんだ……。科学が、この世界は科学がベースなんだ」
「カガク? つまり、魔法のことだろう?」
「よし。諦めた!」
早々にダメージコントロールを行なって、泥沼を避けた。
「いちゃつかれるのも結構ですが、センパイ」
そこに、秦野真名――賢哲会議の一級魔導官を自称し、ユウトの後輩らしい少女――が割り込み、不機嫌そうな顔で言った。
真面目だが融通を利かすのが苦手な事務屋、初めて会った頃のロートシルト王国宰相ディーター・シューケルを連想させる。
もちろん、彼女を忘れていたわけではない。単純にヴァルトルーデの方が優先順位が高かった。それだけだ。
面と向かっては言えないが……。
「お互いに、聞きたい話がたくさんあるのではないかと愚考するのですがいかがでしょう?」
とはいえ、ユウトとしてもその提案に否やはなかった。