3.帰還と転移(後)
四人の話し合いは、ヴァルトルーデに配慮してダイニングテーブルで行われた。これに不満を表明したのはコロだったが、ユウトが抱き上げて膝の上に乗せることで決着した。ローブはとっくに脱いだ制服姿のため毛がついてしまいそうだが、気にしない。
もっとも、ユウトが撫でている間は大人しいというだけで、その手が止まれば容赦なく尻尾を振り、鳴き声を上げて抗議してくるのだが。
「ええと、ヴァル。こっちが俺の父さんの天草頼蔵。あっち風に言えばライゾウ・アマクサな。それから、母さんは春子って言うんだ」
「ば、ヴァルトルーデ・イスタスだ……です。よろしくお願い、します」
四人掛けのダイニングテーブルで、それぞれパートナー同士が隣に座って話し合う。
ユウトと同じく転移時に言語翻訳の能力を得たのか、会話に関してはなんの問題もなかった。
それにしても、いつもの威風堂々とした聖堂騎士は、どこへ消えてしまったというのか。ほとんど内容のない自己紹介にも、そのこと自体に気づいていない。もちろん、なにをどうよろしくしてほしいのか、本人にも不明だ。
あまりにも緊張しているためか、室温を快適に維持しているエアコンや、蛍光灯の存在にも気づかない。
綿が入った厚みのある上衣にズボンを身につけた――正確には、鎧下になった――ヴァルトルーデは、まるで借りてきた猫のよう。
その規格外の美しさを除けば、だが。
「どうしましょう、あなた。外人さんよ、とんでもない美人さんよ。モデルかしら女優かしら」
「落ち着きなさい。みっともない」
「そうね。ふう……。私はゆうちゃんのお母さんで、天草春子よ。ゆうちゃんとは、どういう関係なの?」
「関係というと……」
「母さん、みっともないと言っているぞ。すまないね。私は、勇人の父の頼蔵だ」
「父さん、母さん。彼女は、俺がこっちからいなくなっている間に世話になった人で……」
もちろん、それだけではない。
暑かったでしょと淹れてくれたアイスコーヒー――初めての飲み物に、ヴァルトルーデは珍しそうに見ているだけで手をつけてはいない――をあおってから、ユウトは改めて覚悟を決めた。
「婚約者の……一人です」
「やっぱり!」
「……一人、とはどういう意味だ?」
「じゅ、順を追って説明するから」
ブルーワーズで数多のモンスターと戦い、〝虚無の帳〟を打ち倒し、喧嘩を売ってきた貴族を叩きのめし、国家を代表するような人物と渡り合ってきたユウト。
それでも、実の父の眼光を向けられると思わず身構えてしまう。
なにしろ、相手はどこからどう見ても武闘派ヤクザにしか見えない。これで真っ当なサラリーマンなのだから、世界は神秘に満ちている。
それを本人も気にしてか、伊達眼鏡をかけていた。そのお陰で、インテリヤクザに見える程度には眼光も和らいでいる。
「怒らないで聞いてほしいんだけど、ええと、あれだ。俺は神隠しにあったような感じで、地球じゃない場所にいたんだ。二年以上も」
「まあ、神隠し……?」
「…………」
母親の天然な返しが逆にありがたい。父からは怒鳴られても仕方ないと覚悟していたが、無言を貫いている。人格者なのか、それとも信頼されているのか。
とにかく、今は事実を伝えるしかない。
「ファンタジーっていうのかな。偶然、そんな剣と魔法の世界に迷い込んで、魔法使いになって、ちょっと世界を救って、ヴァルトルーデが領地もらったので手伝ったりしてた」
「ユウトの言葉は、真実だ。“常勝”ヘレノニアに誓う……誓います?」
「ヴァル、普通でいいよ」
ユウトから贈られた玻璃鉄のネックレスに、左手薬指に嵌めた指輪。それらを意識せず触れつつ、ヴァルトルーデも支援する。
彼の両親を前に、どう話して良いか迷いながらではあるが。
「…………」
「…………」
沈黙の帳が降りる。
それは、そうだ。あっさりと信じられるような話ではない。
「分かった」
「え?」
「嘘なら、もっと現実的な話をするだろう。なんの手がかりもなかった状況とも符号する。見たところ、薬物を使われている様子や精神を病んでいる様子もない。私の常識では計り知れないが、常識を超える出来事があった。そういうことなのだろう」
頼蔵は、理論で常識を踏み越えた。
その乱暴ともいえる理屈に、ユウトは唖然としてしまう。駄目だった場合……というよりは、絶対信じられるわけがないからと、証拠になるような物をリストアップしていたのに。
「あらあら。映画みたいな話ね」
「えっと……。母さんも俺の話を信じるの?」
「当たり前じゃない。ゆうちゃんは、私に嘘なんか吐かないもの」
少々のことでは動じない、大らかな性格の母。ほとんど、叱られた記憶もない。
けれど、ユウトが小学生の頃。まだ子犬だったコロを散歩させる約束を破って遊びに出たとき、一度だけ怒られた。具体的なやりとりは忘れてしまったが、それ以来、ユウトは決して約束を破ったことはない。
「そう、だな。まあ、理解したとは言ったが俄には信じられん。けどな、私たちはお前の親だぞ。子供が嘘を吐いているかどうかぐらいは分かる」
「私は、分からないわよ。だって、嘘を言われたことなんてないもの」
「そこで、私に張り合ってどうする」
まるで無能な舎弟にあきれるような口調だが、間違いなく仲むつまじい夫婦の会話である。
「ふう……」
ユウトは、深い深いため息を吐いた。
信じてもらえるというのは、やはり嬉しい。
「素敵なご両親ではないか」
「ああ。どうやって証明しようか考えてたのが、無駄になっちまったけどな」
「そういえば魔法を使えるって言ってたわよね。すごい。見てみたいわ」
「いや、魔法を使うのは危険だから……」
そう母親をなだめつつ、ユウトはまずコロをヴァルトルーデに預けた。
「大人しくしてろよ」
「キャウッ、ワッ、ハウッハハッ」
「わっ、なめてきたぞ」
ヴァルトルーデも犬と触れあったことはあるが、それは猟犬に近い犬種だけ。小型の愛玩犬など、見るのも初めてだ。しかし、人懐っこく接してくるポメラニアンに隔意など一瞬で吹き飛び、自然と笑顔になる。
世界で一番可愛いものの組み合わせだ。
ユウトは決意した。必ず、写真を撮らなければならないと。
その気持ちは、母親とも共有したものだった。
そんな二人と一匹を意識しつつ、無限貯蔵のバッグへと手を伸ばす。
そこから取り出したのは、リ・クトゥアへ行くときにも使った空飛ぶ絨毯。フローリングの上、1メートルほどに浮かぶ絨毯は締まらない光景だが、母は信じてくれた。
「ゆうちゃんが行ってたのは、アラビアンナイトみたいな所だったのね!」
なにか誤解が生まれてしまったが、いきなり駆け寄って乗ろうとするのだから、訂正する暇もない。
「危ないぞ、母さん」
妻の運動能力――子供に遺伝せず良かったが、その代わり父親の目つきの悪さが似てしまった――を知る夫が、慌てて小さな体を支える。
「大丈夫よ。あなたも、一緒に乗りましょう?」
「……どうぞ」
「いや、止めておこう」
明らかにこれが入るはずもないバッグも、種も仕掛けもなく浮いている絨毯も、息子の話を裏付けるのに充分。二年経過していると言う部分など、すべてを完全に信じたわけではないが、信じてやることはできる。
それに、周囲で待機していないと、いつ妻が落ちるか分からない。
だから、先手を打った。
「話が進まない。降りなさい」
「は~い」
「いや、絨毯を降ろすから」
怪我でもされてはたまらないと、ユウトは空飛ぶ絨毯に触れてゆっくりと床まで降りるよう命じる。
「ちょっと、脱線しちゃったけど、楽しかったわ」
「常識では語れない境遇にあったことは分かったが、勇人。もし関係がなかったらすまないが、隠しておくわけにもいかん。実はな……」
「うん、分かってる。朱音のことでしょう?」
「知っているのか?」
ユウトは無言でうなずいた。
いよいよ、核心へ近づいている。
緊張に喉が渇き、グラスへと手を伸ばすが、氷しか残っていない。
「ユウト、飲むか?」
「悪い」
手を着けていなかったアイスコーヒーを愛する人から受け取り、氷が溶けてやや薄くなった黒い液体を嚥下する。
「ふう……。朱音も俺と同じように、あっち――ブルーワーズという世界なんだけど――に来たよ。俺たちと一緒にいる」
「そうか……」
「まあ、朱音があっちに来たのは俺のせいというか、俺がなかなか帰ってこられなかった理由にもつながるんだけど、ああ、説明しづらいな」
「アカネには、私も世話になっている。特に病気も怪我もない……はずだ」
最後、断言できなかったのは、転移した後の状況が分からないから。
それでも、家族ぐるみの付き合いを長く続けていて娘同然に思っていた少女の消息を知り、頼蔵と春子は安堵した。
二人がいなくなった時期はバラバラだが、連続失踪事件のようになっているのだ。彼女の両親も心配していることだろう。
「朱音のところのおじさんとおばさんに説明するのは、構わない。というか、父さんと母さんに話すのを優先するだけで、俺から言うつもりだった。でも、警察にも俺たちが無事なことは、伝えないでほしい。わがままなのは分かってるけど――」
「それが、必要なことなんだな?」
「うん」
父親の確認に頷き、ユウトは続ける。
「ひとつは、今回がイレギュラー……準備をして、意図的に戻ってきたわけじゃないから。だから、朱音を連れて、いつまたこっちへ来られるか分からない」
「ゆうちゃん、その言い方だと……」
「父さん、母さん、ごめん。俺は、こっちでずっと過ごすつもりはない。少なくとも、あっち――ブルーワーズを生活の拠点にするつもり」
言った、ついに言ってしまった。
それが、一番幸せになれると決心した、決断した。それなのに、心が揺らぐのはなぜなんだろう?
「でも、ずっと行ったままにもしない。今まで帰ってこられなかったのは、その手段がなかったのもそうなんだけど、行き来できる方法を探してたからなんだ」
クローゼットを開けたら行って帰ってこられるのが理想かな。
そう付け加えて、ユウトは大きく息を吐いた。そして、両親の表情を盗み見る。
父は、相変わらずの鉄面皮。その真意は計り知れない――というよりは、怒っているようにしか見えない。母は予想もしていなかった息子の言葉に驚き、目と口を丸くしている。
親不孝だなと、ユウトは嘆息した。なんて勝手なんだと、自分を責めた。
それでも、その言葉を取り消すつもりはない。
「信じられないだろうし、子供がなにを言ってるんだって思われるかも知れないけど、あっちの世界で仕事もしているんだ。その責任もある」
「……何人だ?」
「え?」
「さっき、彼女は婚約者の一人と言っていただろう。何人なんだ?」
「三人」
父は嘆息し、母は目を輝かせる。
なじられたいわけではないが、その反応もどうなのかと、ユウトは苦笑してしまう。
「お前が行っていたという世界では、その、複数の妻を持つという行為は、法律的に、倫理的に問題はないのか?」
「倫理的には、一般的じゃないけど、後ろ指指されるほどの行為じゃないよ。法律的には……問題無いというか、問題にならないよう、法律を作った」
「……そうか」
自分で言っておいてなんだが、めちゃくちゃだ。逆の立場だったら、絶対に反対する。というか、まず殴り飛ばす。
「その中に、朱音ちゃんはいるの?」
「……うん。後一人は、旅の仲間というか……」
アルシアのことをどう説明すべきか、ユウトの言葉が止まる。
「その人も、大事な人なのね?」
「……間違いなく」
けれど、その問いには迷いなくうなずくことができた。
そんな息子を見て、諦めともつかない心境で頼蔵が口を開く。
「私が反対するのは、簡単だ。いや、するべきなのだろうが、息子を無責任な男にするわけにもいかん」
「父さん……」
「勇人の気持ちは分かった。しかし、警察に捜索願も出している。お前と朱音さんが見つからない限りは、無駄な仕事をすることになるんだぞ。心配してくれた人も、たくさんいる。それはどうするつもりなんだ」
独自に興信所を使っていることは知らせずに、頼蔵は息子の考えを問いただす。
自分たちが迷惑を被るのは良い。親なのだから、当然だ。他人に迷惑をかけた場合でも、最大限味方になってやりたいと思う。
けれど、無条件でとはいかない。
それは愛ではなく、ただの甘やかしだ。
「それは分かって……る、つもり。たぶん、本当には分かってないんだろうけど、迷惑をかけた、心配をかけたとは思ってる」
あの大量のメールを思い出す。
アカネと再会したとき、なじられたことを思い出す。
始まりは偶然の事故のようなもの。不可抗力だった。
だが、そう主張できるのは、あの時までの話。
ユウトは、選んだ。帰ることではなく、ブルーワーズで生きることを。だから、それは彼自身の罪だ。
「分かっているなら、これ以上は言わん。逆効果だからな」
「そうよね。勉強しなくちゃって思ってた時に、しなさいって言われると嫌な気持ちになるわよね」
「母さん……。理解ありすぎるのも、どうかと思うよ?」
「あなた……。子育てって、難しいわね」
「私も、実感しているよ」
恐らく、というか確実にベクトルは違うだろうが。
「俺が戻ってきたことを明らかにできないって話に関連することなんだけどさ……」
一番言いにくい言葉。
両親にとっては、最も残酷だろう事実を、ユウトはついに明らかにした。
「実は、戻ってきた手段が問題で、自動的にあっちへ戻ることになっているんだ」
《星を翔る者》
ユウトが開発し、大賢者ヴァイナマリネンの監修を受けた、次元を越える理術呪文。
ブルーワーズで既知の異世界のみならず、異なる宇宙、異なる法則、異なる神々を抱く世界への転移も可能とする。
そして、強力な時の巻き戻しも組み込まれ、一定の期間が経過したら元の世界へと自動的に帰還する亜神級呪文。
「俺とヴァルトルーデがいられるのは、最悪、数日だと思ってほしい」
もちろん対策は講じるつもりだし、そもそも効果が発揮されない場合もあるけど……。
そう、言い訳のように付け加えた説明は、残念ながら、両親の耳に届いてはいなかった。