12.エピローグ 二度目の……
「下がれ!」
ヴァルトルーデの号令一下。弛緩していた雰囲気が一瞬で切り替わり、ユウトを中心にして再集結を果たす。
それを頼もしく感じながら、離れた所にいるアカネへ視線を送った。
ようやく被虐の女吸血鬼ダーラも再生を果たし、彼女の護衛についている。
疲労も消耗もあるが、万全と表現して良いだろう。
改めて、螺旋のように捩れた巨大な腕へと視線を戻す。
オベリスクから無数に生えてきたそれは20メートル近くもあり、まるで品定めするかのようにゆらゆらと揺れていた。
「あれがなんだかまだ分からないが、ろくなもんじゃないのは間違いない。まずは――」
ユウトが即座に指示を出そうとするが、最後まで言い切ることはできなかった。
イソギンチャクのように揺れていた螺旋腕が、唐突にぴたりと止まる。
一瞬の静寂。
砂糖の山に集る蟻のように、腐肉に群がる獣のように。生理的な嫌悪感を催すような動きで、全知竜ダァル=ルカッシュの亡骸へ殺到した。
螺旋の巨腕。
その先端が、全知竜の鱗に触れる。
そう認識した瞬間、ダァル=ルカッシュは消失した。
比喩でもなんでもない、それが起こった現象。
あの山の如き巨体を、ヴァルトルーデやエグザイルですら死力を尽くして退けたダァル=ルカッシュを、ほんの一撫でで消し去った。
「くっ」
「これは……」
あまりにも濃厚な悪の、否、それを超越した禍々しき気配に、ヴァルトルーデとアルシア。二人の聖職者が思わず膝をつく。
それで、確信に変わった。
「絶望の螺旋……」
世界そのものを虚無へと還元する旧く偉大なるもの。
この世界とは別の次元から突如として現れた殲滅者。
かつて、善と悪の神々が共闘しても消滅させられず、牢獄へと繋いだ邪悪なるもの。
ユウトがこのブルーワーズへ転移したとき。その一年後、襲い来るは〝虚無の帳〟を転移させたとき。アカネがこちらへ来たとき。
度重なるオベリスクの使用に刺激されたのか、まだ寝返りを打った程度だろうが、絶望の螺旋がブルーワーズに顕現を果たした。
彼のトリアーデが生きていたら、欣喜雀躍していただろう光景。
聖職者である二人のように膝をつきはしなかったが――あのラーシアでさえも――顔を蒼白にし、思考がまとまらない。
(ダァル=ルカッシュの全知は、この絶望の螺旋にも及ぶのか?)
まさか、及ぶはずがない。もしそこまで含んでいたならば、理性も狂気もなく精神死していただろう。
絶望が、ユウトの心に帳を下ろす。
戦う? 倒す? あれを?
触れただけで、すべてを消滅させ、風化させ、滅亡させるあれに立ち向かう?
だが、逃げてどうなる? あそこから這い出てきたら、すべて。このブルーワーズだけでなく、『忘却の大地』も天上も奈落も、等しく滅びを迎えるだろう。
オベリスクを破壊するだけで回避できる? 駄目だとして、他に方法はある?
「いや。だからなんだっていうんだ」
ユウトは怯懦を振り払った。
全知など関係ない。それに従うわけではない。言われたからやるわけではない。
大切なものがある。守りたいものがある。
「やることは変わらない。なにも変わらない」
ユウトは、呪文書ではなく腰から下げていた巻物入れへ手を伸ばす。そこには、未完成で使うことはないと思っていた自作呪文が収納されていた。
あの絶望の螺旋は、まだ目覚めかけですらない。ただ、無意識に意味もなく小指を伸ばしただけ。
それを証明するかのように、ダァル=ルカッシュを消滅させた螺旋の巨腕は、次の標的を探すかのように、再びゆらゆらと震えていた。
まだ、間に合うはずだ。
「朱音、こっちへ集まって。みんなは手出ししないで、警戒だけ。ヨナ、《テレポート》を頼む。ダァル=ルカッシュがいなくなった今なら、瞬間移動も使えるはずだ」
矢継ぎ早に指示を出しつつ、ユウト自身は巻物を持って前に出る。
意外な行動に、誰もが止めるタイミングを失った。
「ユウトは?」
「俺は、自分で戻るよ」
ヨナの問いかけに、ユウトは少しだけ立ち止まり、顔は正面を向けたまま答えた。
「ユウトくんを止めて!」
一番初めに気づいたのは、アルシア。
感情感知の指輪で、なにをするかは分からないが、覚悟を決めたことに気づいたのだろう。珍しく余裕の無い声でアルシアが叫ぶ。
(別に、俺が犠牲になってみんなを助ける……ってわけじゃないんだけどな)
ユウトは苦笑するが、説明する時間はない。
なにしろ、標的を定めた螺旋の巨腕がこちらへ向かってきているのだ。
それを引きつけるかのように、ゆっくりと。
迷いも狼狽もなく、ユウトは自作の巻物を天に掲げた。
使うのは、初めて。
だが、このオベリスクの魔力があれば、必ず発動する。
「《星を翔る者》」
「ユウト……ッッ!」
アルシアの叫びを聞いて、なにより彼女の自身、得体の知れない衝動に突き動かされて、ヴァルトルーデは走った。これ以上、本気で、真剣になったことはないというほど、走った。
今度こそユウトは振り向き、彼女の姿を瞳に映す。
好きになった人のことを侮っていた。
そんな表情を浮かべて。
けれど、呪文は止まらない。
オベリスクが集積していた魔力を総ざらいし、かつて大賢者に発動不能と言わしめた次元移動の呪文が解き放たれた。
「勇人! ヴァル!」
ユウトが、七色の光に包まれる。
次元移動の前兆だ。
それと時を同じくして、ヴァルトルーデは追いつき、ユウトの肩を掴んだ。
絶対に手放さない。そう言ったはずだと、悪魔すらたじろぐ美貌で不退転の覚悟を伝える。
ユウトは、彼女と、愛する人とした初めてのキスを思い出していた。
もう、止めることはできない。
視界が、世界が、光に包まれる。
音も失われた。
思考も停止する。
永遠とも感じる数秒。
数秒とも思える永遠。
扉は閉じた。
絶望の螺旋は、眠り続けている。
世界は救われた。
彼らは再び、世界を救った。
――扉を閉じた英雄は、もう、この世界のどこにもいない。
「ここは……」
目を開き、最初に感じたのはまぶしい光。
見れば、夏の終わりの太陽が容赦なく照りつけている。
騒がしい、風の音。
いや、これは騒音だ。
久しぶりに聞くその音は、不快感と同時に郷愁を天草勇人へともたらした。
「なんだ、あれは。鉄の馬車がもの凄い速度で走っていくぞ」
聞き慣れた声。耳朶に快い、愛する人の、愛してくれている女性の声が染み渡る。
「ああ……。お約束のリアクションをありがとう」
今になって、自分が道路に座っていることに気づいた。
夏の太陽に熱せられたアスファルトが、手のひらを焼く。
「帰ってきちまったか」
かつて望んだ結末。
あの場では、他に方法もなかった。
けれど、声も表情も苦い。
天草勇人は、故郷へ帰還を果たした。
ブルーワーズへ戻る保証も無いままに。
今回で、Episode 3完結となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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また、Episode4の連載も開始しています。
今後とも、よろしくお願いします。