11.全知竜ダァル=ルカッシュ(後)
「《エレメンタル・ミサイル》」
ユウトに頼みがあると言われた瞬間に始めた精神集中が終わり、ヨナの眼前に無数の炎の矢が現れる。
その一本一本が、弩砲で撃ち出すような、槍にも匹敵する大きさだ。
具体的な指示を聞かぬとも、ユウトの意図を完全に把握している。
「ヨナ、ドラゴンじゃなくてオベリスクを狙ってくれ」
「りょーかい!」
なんの疑問も持たず、アルビノの少女は超能力で生み出した源素の飛翔体を解放する。
その暴力的行為にさえ目をつぶれば、実に可愛らしい仕草だった。
「ユウト、正気か!?」
ヴァルトルーデが泡を食って止めようとするが、遅い。それ以前に、ヨナに止めるつもりが無い。
「ダァル=ルカッシュは俺がこういう判断をすることも分かっていたはずだ。だから、破壊したって酷いことにはならないさ」
「そうではない。オベリスクが使えれば……」
「まあ、多少残念だけどな。そもそも、ヨナだって本当に壊すつもりでは――」
「もちろん、全壊させる」
「……だよな」
ヨナが解き放った、無数の炎の槍が全知竜ダァル=ルカッシュを飛び越えて、数十メートルはあるオベリスクへと殺到する。
ミサイルが弧を描いて、ビルへと落ちていくかのような非現実的な光景。
一方的に加えられる破壊。
――そうなるはずだった。
「グルッギャアアアアンンンッッ」
全知竜の咆哮。
耳をつんざき脳を揺さぶる轟音は、しかし、その場の生物に向けられたものではなかった。
「ゆがめられたっぽい」
「そういうこと、みたいだな……」
不快感に顔を歪めつつ、ユウトは《エレメンタル・ミサイル》のあり得ない軌道と挙動に首を振る。
オベリスクを崩壊させるはずだった源素の飛翔体は、漆黒の花崗岩でできた直立するモニュメントに到達することは叶わず、進路を捩じ曲げられる。
その先には、狂えるダァル=ルカッシュの巨体。
先ほどの咆哮を遙かに超える、着弾の轟音。
破壊の証左でもある、膨大な熱に爆風。
「ガァッアアアアンンンッッ」
さすがに、対象を完全に歪めることまではできなかったのだろう。代わりに雨霰と降り注ぐ《エレメンタル・ミサイル》を受けて、さしもの狂える全知竜も身をよじった。
流麗なフォルムを誇っていたはずの全身が焼け焦げ、虹色の鱗は剥がれて肉が露出する。
「まあ、これはこれで?」
「うんうん。跳ね返したり、どっかにやったりまではできないっぽいね。ボクの矢が跳ね返されるとか、マジ勘弁」
「ああ。それが分かったのは収穫だ」
それは確かに、正しかった。
しかし、未来を――すべてを知るダァル=ルカッシュが、意味も無く攻撃を受けるはずも無い。
「グルッギャアアアアンンンッッ」
再度、暴風を巻き起こす咆哮を放って、大きく身をよじる。
山が動くような震動。
同時に、虹色だった鱗が真紅に染まる。
「火の源素の攻撃を受けたから色が変わった?」
「いえ、今まで以上に暴力的な情動を感じるわ」
元より存在していなかった理性は当然、ついに、戦術を組み立てる知恵すらも放棄したとでも言うのか。
「これ、ゲームでよくある怒り状態ってやつなんじゃ……」
「そうだろうな」
ダァル=ルカッシュの変化にいち早く気付いた二人の来訪者が、手早く仲間たちへ説明をしていく。
「完全に狂ったというわけか」
小手先の技巧など関係ない。単純な殴り合いになる。
そう確信したエグザイルが、嬉しそうに楽しそうに笑った。あの数十メートルはある山のような壁のようなドラゴンと力比べができると喜んでいる。
そして、アルシアも、それに乗った。
「とはいえ、防御に一手使わせたのは僥倖です」
トラス=シンク、死と魔術の女神の聖印に手を触れた大司教は、防御を固めるのではなく攻勢に出ることを選んだ。
「我が頼もしき仲間たちに、全知竜の正気が求める滅びを与えるため、その手にしたる刃に光る輝きを与えん――《光輝なる刃》」
装甲を無効化する第八階梯の神術呪文。
その対象は、ドラゴンの強固な鱗も例外ではない。
ヴァルトルーデの討魔神剣、エグザイルのスパイク・フレイル、ラーシアの複合短弓が、聖なる輝きに包まれる。
「うおおおっっっ」
先ほど、ユウトを追って前へ出ていた狂える全知竜ダァル=ルカッシュ。
ちょうど良い位置にいると、岩巨人が愛用のスパイク・フレイルを渾身の力を込めて叩きつける。
錨のようなトゲ付きの打撃部が、ドラゴンの胴体部の赤い鱗を貫き肉を裂き、出血を強いる――はずだった。
「ぬう?」
まるで、そこにダァル=ルカッシュが存在していなかったかのように、スパイク・フレイルは虚空を通過し地面を盛大にえぐる。
「次だ!」
けれど、エグザイルは拘泥しない。
両腕と背筋の力を総動員して、スパイク・フレイルを跳ね上げる。その攻撃は、今度こそ狂える全知竜を捉え、その巨体を僅かではあるがよろめかせた。
岩巨人は、まだ止まらない。
ハンマー投げのように自ら回転し、スパイク・フレイルを振り回すと、その遠心力を乗せた一撃を反対側に叩き込んだ。
汗と反動で流れた血が、エグザイルの全身を彩る。
しかし、狂えるダァル=ルカッシュのダメージはそれを遙かに超える。
いかに巨大なドラゴンであろうと、すべてを知り狂った存在であろうと、生物であることには変わりない。許容量を超える打撃を受ければ、その先に待つのは死だ。
アルビノの超能力者による爆撃。岩巨人に加えられた二発。
それだけで、所々鱗は剥がれ、その鱗の色と重なって判別は難しいが、生命の源である血液は滝のように流れ、足下に血の池を作っている。
「《狙撃手の宴》」
そこへ重ねるように、ラーシアの矢が飛ぶ。
狂える全知竜ダァル=ルカッシュに比べるべくもない、か細い矢だ。急所に撃ち込まれようが、さしたる損傷になるとも思えない。いや、そもそも、そこに届く前に折れてしまいそう。
だが、それは有象無象の放つ矢だから。
《光輝なる刃》の加護も受けて放たれた金色の矢は、紙のように真紅の鱗を通過し、肉の中を進み、内臓を撃ち貫く。
けれど、すべてではなかった。
その内の何本かは、どいう理屈なのか、ダァル=ルカッシュを通過して何処かへと飛び去ってしまう。
「跳ね返されないけどスカされた!」
六本ほど同時に撃ち、肉をえぐったのは半分ほどだろうか。
「刻を止めてどうこうというよりも、確率を操作されているみたいだ」
「確率?」
聞き返すヴァルトルーデのため、ユウトは理解しやすい言葉を探す。
「分かりやすく大げさに言うと、運命……かな?」
エグザイルのスパイク・フレイルが直撃するはずだった未来。
ラーシアの矢で急所を貫かれているはずだった今。
その現実を改変し、いずれも外れる運命を確定させた。それが無ければ、累積した攻撃で、すでに打ち倒せていたかもしれない。
「なるほど、な」
納得したと、聖堂騎士がかかとを打ち合わせる。飛行の軍靴が起動し、神の恩寵を受けた聖女を空中へと運ぶ。
「“常勝”ヘレノニアよ、勝利と正義を守護する御方よ。御身の加護を、《降魔の一撃》を我に与えん!」
討魔神剣を掲げて、ヴァルトルーデは祈りを捧げた。
それはすぐさま聞き届けられ、手にした剣が、全身が、淡い光の霊気が包み込まれる。
「グッリアアァッッッ」
永久的狂気に陥ったダァル=ルカッシュが、ただ動くものを破壊するために。そのためだけに、強靱な爪を振るい、それだけで恐竜ほどもある尾で叩きつけ、牙で噛み砕かんとする。
飛行しながら、聖堂騎士は神から賜った剣で打ち払い、致命的な打撃を避ける盾で受け、ため息が出るような機動ですべてを退けた……はずだった。
「やはりか!」
気づけば、巨大な爪が目の前に出現していた。
咄嗟に、討魔神剣で止めようとするが、彼我のサイズ差は絶大。
爪が魔法銀の鎧を貫き、まるで虫でも払うかのように地面へ叩きつけられる。
「くっ……」
だが、ヴァルトルーデは耐え抜いた。膝をつきながらも瞳から闘志は消えない。治癒呪文も待たずに、再度、空中へと飛び上がる。
ある程度、予想、あるいは覚悟をしていたからこその行動。
「どうなってるの……」
呆然とした、アカネのつぶやき。
無事なのは良かった、嬉しい。
だが、あの衝撃は列車に轢かれるのと変わらない。いや、殺意がある分、それすらも凌駕するだろう。
それを、いくら鎧を着て、オーラに包まれているといっても、耐えられるものだろうか?
当然ながらアカネは気づかないが、それは尺度が違っている可能性も考えられる。
ユウトが大魔術師の枠を越えて亜神級呪文を行使できるように、ヴァルトルーデもまた、英雄を伝説を超え、神の階に足をかけているのかも知れなかった。
真相は、この場では分からない。
少なくとも、そんなことにヴァルトルーデは関心を持たない。
「私の《降魔の一撃》から逃れられるか、試してみるか?」
そう、やることは変わらない。
「《神性猛襲》」
《降魔の一撃》を強化する聖堂騎士専用の神術呪文を唱え、ヴァルトルーデは狂える全知竜へと飛ぶ。
閃光が走った。
一瞬で燃やし尽くし、すべてを昇華させる一撃。
狂える全知竜ダァル=ルカッシュは動かない。
すべてを知るが故に永久的狂気へ陥り、狂戦士のように見境がなくなった今のダァル=ルカッシュでも、理解していたのだ。
その一撃をかわし、生き延びる可能性。
それが、皆無であることを。
「せめて、安らかな死を迎えんことを」
天使の如き美貌を憂色に染めて、ヴァルトルーデが討魔神剣を鞘に収めた。
まるでそれが合図だったかのように、ダァル=ルカッシュがずれていく。
巨大な竜。
真紅のドラゴン。
その首が、ちょうど中間で断たれ、重力に引かれて落ちていった。
遅れて、ヨナ、エグザイル、ラーシアに散々痛めつけられた胴体部も、同じ道をたどる。
「終わったの……?」
ただ成り行きを見守る他に無かったアカネが呆然とつぶやいた。
「あ? 今、フラグ立てちゃった? って、いやいや。現実でそんな……」
ユウト以外には分からない理由で、あたふたするもう一人の来訪者。
「さすがに、それは――」
ユウトがなにか言い掛けたところで、世界が虹色の光に満ちる。
「オベリスクからか!?」
最も近くにいたヴァルトルーデが看破するが、収まるのを待つしかない。
世界が虹色に染まったまま、数分が過ぎ。
目を開いたユウトたちが見たのは、三体に増えた狂える全知竜ダァル=ルカッシュ。
いずれも虹色ではなく狂化した真紅の鱗だったが、その内の一体は首を落とされたまま。けれど、まるで、逆再生するかのように、そのダァル=ルカッシュは元に戻っていく。
「どういうことだ?」
「どうもこうも、生き返ったんじゃないの?」
「全知竜という名からは想定できませんでしたが……」
ヴァルトルーデのつぶやきに答えるラーシアとアルシアの言葉にも、戸惑いが溢れていた。
「とりあえず、もっかいオベリスクに攻撃する?」
「まあ、一回も三回も変わらんだろ」
一方、ヨナとエグザイルの結論は単純明快。
そして、ユウトとアカネは、かなり離れた場所からではあったが、顔を見合わせてまさか……と思いつきを共有しようとしていた。
「これって、過去・現在・未来のドラゴンってことなんじゃない?」
「そうなると、三体同時に倒さなくちゃいけないのか?」
「パターン的にはそうよね……」
そんなある意味偏った“常識”は、当然、ブルーワーズの人々には通じない。
「そうか。では、手分けをするか」
「オレは左側にする」
「では、私は右側だ」
「なら、ボクは復活しかけの真ん中ね。楽そうだし」
けれど、信じてもらえた。
「よし。正解かどうかは分からないけど、三体同時に倒すぞ。とどめは、俺が担当する」
「では、私は態勢を整えましょう――《完全治癒》」
ブレスの後にも使用された治癒呪文で、仲間全員の傷を癒し、体力を回復させる。
準備は、それで充分だった。
「《エレメンタル・ミサイル》」
再び、ヨナの目前に源素の矢が無数に現れる。
今度は、炎ではなく冷気。
しかも、ありったけの精神力を振り絞ったのか、先ほどの数倍の量。火力支援を一手に引き受けて余りある。
「いっけぇっ」
平坦な声の命令に従い、一度天井近くまで打ち上げられた氷の槍が一斉に降り注ぐ。三体となった狂える全知竜にも、オベリスクにも。
やはり、オベリスクへの攻撃を捩曲げるのは繊細な作業なのか、自らへの攻撃に対する確率操作はできないようだ。
滝のように流れ落ちる《エレメンタル・ミサイル》が、ダァル=ルカッシュの全身をまんべんなく貫き、冷気で足を止め、その場に釘付けにする。
「ヨナ、ナイスアシスト――《狙撃手の宴》」
それに合わせて、ラーシアから実体を持つ矢が飛び、目に脳に心臓にと体深くめり込んでいった。
「グルアァァッァアッッッ」
狂っていても、また、あの巨体でも痛みは即座に感じるらしく、真ん中にいた全知竜が叫びを上げて身をよじる。
「やりすぎるなよ、ヴァル」
「そっちこそ」
左右に分かれた前衛二人が、それぞれの獲物へ得物を振るう。
無造作で、無謀で、圧倒的な暴力。
反撃を喰らっても意に介さない。アルシアへの、そしてユウトへの信頼がその行動を支える。
確率操作により、攻撃が多少無効化されても構わない。その分、攻撃し続ければいいのだから。
瞬く間に命を削られていく、新たに現れた二体の狂えるダァル=ルカッシュ。
「ヨナには地味だって文句言われそうだけど――」
ユウトが、呪文書のページを9枚切り裂いて、三体の狂える全知竜の前に並べる。
「《死の呪幻》」
恐竜の群に出会ったら使うつもりで準備していた、第九階梯の理術呪文。
ユウトが呪文を唱えると同時に、呪文書のページがそれぞれのドラゴンへと飲み込まれていく。
だが、なにも起こらない。
「――――」
「――――」
「――――」
三体の狂える全知竜ダァル=ルカッシュも無反応。
だが、それでいい。
《死の呪幻》は、対象に恐るべき言葉と幻影を見せ死に至らしめる大魔術師級の呪文。相手が、弱っているほど効果は高い。
ただし、どんな言葉を投げかけられているのか、どんな幻を見ているのか。
それは、術者にも分からない。
分かるのは、結果のみ。
「――――」
「――――」
「――――」
三体の狂える全知竜ダァル=ルカッシュが、同時に息絶えてその場に崩れ落ちた。
この空洞をほとんど埋め尽くす、まるで、テレビで見たビルの破壊現場のような迫力。
だが、それだけ。
それで終わり。
「狂ってしまうと、全知竜としての怖さは無かったな」
理性的な行動が取れなければ、その能力もあまり意味がない。
確かに脅威だったが、終わってみれば完勝と言って良いだろう。
静かな結末だ。
最期にダァル=ルカッシュが正気を取り戻し、言葉を交わすことも出来はしない。
「今度こそ、終わったな」
戦闘時の凛々しい表情をふっと緩め、天使のように、いや、天使などより美しい相貌に暖かい笑顔を浮かべ、ヴァルトルーデが歩み寄ってくる。
ユウトも、それにうなずこうとして――足下から伝わる違和感に気が付いた。
「揺れてる?」
それは誰の言葉だっただろうか?
誰が言ってもおかしくなかったし、誰に確かめるまでもなく正しい言葉だった。
空洞が、世界が震動する。
その中心には、脈動するオベリスクがあり、そこから螺旋状になった腕が、無数に生えていた。
明日エピローグを更新し、Episode3は完結します。