10.全知竜ダァル=ルカッシュ(中)
「まあ、それ自体はこっちの目的からそう外れてはいないから構わないんだけど……そのつもりなら、俺たちの手を借りるまでもないんじゃないか?」
当然の、しかし言いにくい指摘をユウトは平然と口にした。
『返す返すも、話が早くて助かる。理由は単純だ。その未来は最悪ではないが、悪しきものとなるが故』
「……まるで未来が分かるみたいな物言いだな」
『いかにも。ダァル=ルカッシュは全知竜となったのだから』
「その選択肢を選んだことで訪れる結果まで、分かるって?」
『いかにも』
平然と――少なくとも、心に響く声に乱れはなく――肯定するダァル=ルカッシュ。
もし事実だとするならば……。
「確かに、狂気に陥りもするでしょうね」
「……どういうことだ?」
恐らく、理解が追いついていないのはヴァルトルーデ一人ではないだろう。
ダァル=ルカッシュに説明を任せては、さらに混乱させかねない。そのため、ユウトは急いで分かりやすい説明を頭の中で組み立てる。
「真実かどうかは分からないが、あの次元竜、いや全知竜は、この世のすべて森羅万象のすべてを知っている。それも、過去・現在・未来のすべてを」
「結構なことではないか……と思うが、その顔を見ると私が間違っているようだな」
『否。イスタス公爵よ、あながち誤りではない。少なくとも、かつてのダァル=ルカッシュはそう判断したのだから』
「公爵? 私は、伯爵だぞ。……いや、それも全知だからか」
ヴァルトルーデが先回りして、ダァル=ルカッシュの言葉を理解する。
だが、それにアカネが反論を試みた。
「私たちが認識していない未来を指摘したって、全知――なんでも知ってるって証明にはならないわよね?」
『妥当な指摘だ、芸術神の称賛を受けし革新の担い手よ』
「え? なにそれ?」
『三木朱音、汝は絵画、音楽、服飾など、文化の革新者として名を残すこととなる』
「それこそ、認識していない未来よね? ね?」
「……ありえそうだから判断に困るな」
そして、自重するにはもう遅いかも知れない。
「まあ、それはともかくだ。今の全知竜を見るとそうは感じないけど、たぶん、すべてを知ってしまった負荷で、加えて、すべてを知ってしまった倦怠で、ダァル=ルカッシュは永劫の狂気に陥ったってことなんだろう」
『狂気に陥ったダァル=ルカッシュを説明するのは困難だが、目の前に存在する者はすべて打ち壊し蹂躙するだけの存在になっている。永劫密林の外に出ないのは、このオベリスクと深く同期しているからに過ぎない』
巣にこもった魔獣でしかないと、ダァル=ルカッシュの思念は自嘲する。
しかも、それがいつまで保つかも分からないとも精神波で伝えてきた。
「そこまで聞いたら、滅ぼすのもやらないわけじゃないが……」
『ダァル=ルカッシュが自死を選ばなかったのは、その後を考えたからだ。それをダァル=ルカッシュは知っている。ダァル=ルカッシュが自死した場合、食料と人口の問題を解決した女帝ヴェルガは、大規模な侵攻作戦を実行する』
「疑うわけじゃないが」
口出しをせず周囲を警戒していたエグザイルが、初めて疑問を挟む。
「普通、国内が安定しても即座に外へ軍を向けることはないんじゃないか? 貴族の武力を削ぎたいわけでもないだろう」
「おおー。エグが軍事を越えて政治的な見識まで」
「わ、私だって気づいていたぞ?」
『女帝ヴェルガは普通ではない』
それに対するダァル=ルカッシュの返答は端的だった。
ただ、自明のことだったためか、被虐の吸血鬼ダーラも特に反応を示さない。元々、痛みにしか関心がないのかも知れないが……。
『戦争を起こすのは、愛しい天草勇人を手中にするため』
「そうくるか……」
眩暈がしてユウトは頭を押さえるものの、それはまだ序の口だった。
『大規模侵攻作戦の結果には、いくつかの分岐がある。その中には、天草勇人が女帝ヴェルガの軍門に下り、魔王として世界に覇を唱える道もあれば、戦場で大切なものを失ったが為、リ・クトゥアへ渡り彼の地を統一したうえで、ヴェルガ帝国へ挑む道もあった』
悪堕ちか復讐者か。
どちらにしろ、ろくな未来ではなかった。
『これは一例に過ぎない。汝らが、ダァル=ルカッシュを滅ぼすことが最も良い未来につながる。それを理解してほしかった』
「めんどくさいから、やっちゃおう?」
アルビノの少女から身も蓋もない意見が飛び出すが、実のところ、それがダァル=ルカッシュの意向に最も沿うものでもあった。
『天草勇人とイスタス公爵らには、面倒を強いることになるが』
「じゃあ、面倒ついでに教えてほしい」
なにしろ、相手は全知だ。
本能的に嘘を見抜くヴァルトルーデが否定しない以上、言うとおりにするのが一番正しいのだろう。
それでも……。
「俺には、なにが、未来はすべて見切ったから殺してくれだ。攻略wikiを読んで、クリアした気になってるだけじゃねえか……なんて訳知り顔で言う権利はない。大魔術師だなんて言ったって、できることはたかがしれてる」
『…………』
ダァル=ルカッシュの思念は沈黙を選んだ。
なにを言われるか分かっていて、それに対して返す言葉もひとつしかなくとも、ユウトの意志を尊重したから。
「だけど、俺は聞きたい。全知竜よ、滅びを与えるほか、俺たちにできることはないのかと」
狂気に陥っている、このままでは永劫密林が広がっていく。
それ故、次元竜ダァル=ルカッシュを討つと決めた。
しかし、実際に話をした限り理性的で、滅ぼす必要があるとは思えない。性質も、悪ではなく善に近い。
『天草勇人、三木朱音。二人のお陰で、ダァル=ルカッシュは久々に正気を取り戻すことができた。だが、ダァル=ルカッシュは、罪を犯した』
「罪? そんなもの、誰だって……」
『ひとつは、徒に全知を追い求めオベリスクに手を出したこと。もうひとつは、狂気から逃れるため世界の境界を歪めたこと』
淡々と、ありのままに自らの行いを披瀝していく。
『全知となることでダァル=ルカッシュは、狂を発した。ならば、世界の枠を広げ、ダァル=ルカッシュの知識がすべてではなくなれば、正気に戻ると判断した』
「なるほど。それで地球から恐竜たちを持ってきたのね」
『だが、逆に彼の地の歴史は古く長く扱いきれなかった。あの生物は、二人からするとどの程度前のものに当たるのか、ダァル=ルカッシュは問いかけたい』
「確か、絶滅したのは6500万年前だっけ?」
『なるほど。道理』
「ユウトやアカネの世界は、どうなっているのだ……」
その年数を聞いてヴァルトルーデは固まってしまったが、桁数の多い数に接するとそうなるので仕方がない。
「だから、俺と朱音がいるとマシになるわけか……」
『然り。なれど、それも限界のようだ』
完全にオブジェと化していた、オベリスクに埋まった虹色の髪の女。
その表面に、ぴしりとひびが入る。それは徐々に大きくなり、オベリスクそのものが鳴動を始める。
『ダァル=ルカッシュの知識には、ダァル=ルカッシュが生存する未来はない。故に、先ほどの問いへの回答は、ダァル=ルカッシュを滅ぼしてくれることこそが最上となる』
一拍置いて、思念は続く。
『だが、ダァル=ルカッシュを滅ぼすものが、そのような気持ちを持っていることをダァル=ルカッシュは嬉しく思う』
それが、最後の言葉となった。
ひび割れは頂点に達し、やがて剥離するかのようにダァル=ルカッシュが接点と呼んだ女性の造形物が落下する。
この割れ目から、巨大だが魚類にも似た細長い頭部が姿を現した。
「グルッギャアアアアンンンッッ」
思念ではなく、物理的な圧力すら伴う咆哮。
それを終えると、まるでオベリスクの中から出現するかのように、徐々に全身が露わになっていく。
真の姿を現した、全知竜ダァル=ルカッシュ。
虹色の鱗。
流線型に近い、シャープな体躯。
スマートな印象があるが、それでもなお、巨大だ。
永劫密林で戦ってきた恐竜たちよりも二周りは大きい。それはつまり、かのイグ・ヌス=ザドをも超えるサイズということ。
まさに、神話に謳われるべき存在。
違和感があるならば、ひとつ。
翼があるべき場所からは、奇妙に捻れた導管が生え、オベリスクへと続いている。いや、つながっていること。
「ギャッアアアアンンンッッ」
再びの竜の咆哮。
魂すらも消し飛ばすそれが、開戦の合図となった。
「ブレスが来るぞ、散れ!」
狂える全知竜ダァル=ルカッシュの口が開くのと、ユウトの警告は同時だった。
伝説、いや神話として語られるべき存在だろうが、こちらもブレスの一発でどうにかなるほど柔ではない。主にアカネ、ひいてはダーラへの警告だったが、被虐の吸血鬼は自らの役割を忘れてはいなかった。
アカネをかばうように抱き上げると、この空洞の奥。狂ったダァル=ルカッシュとは反対側に跳ぶ。
それを認識はしたが、狂える全知竜は揺らがない。
オベリスクから魔力を吸い上げ、常を超える力をそそぎ込む。
虹色の吐息が、空間を染め上げた。
火炎・冷気・雷撃・音波・強酸・猛毒・発狂。七色の吐息がヴァルトルーデたちを飲み込み、七つの属性が英雄たちの命を奪わんと猛り狂う。
「イル・カンジュアルの業炎にも、匹敵する威力だな」
けれど、ヴァルトルーデは沈まない。
魔法銀の板金鎧による防護もあるだろう、《精霊円護》の呪文による加護もある。
それでも無傷ではいられないが……同時に、“常勝”ヘレノニアの聖女を打ち倒すには、それでは足りない。
「普通に治せるだけ、ましというものでしょう」
そう言ったアルシアたち後衛は、ユウトが咄嗟に構築した《七光障壁》で難を逃れていた。ダーラは残念そうにしていたが、取り合ってはいられない。
相殺されたため魔法の壁は消え去っていたが、被害はアルシアの治癒呪文でリカバリーできる範囲に収まった。
ドラゴン全般に言えることだが、吐息による攻撃は連発できない。
その間隙を縫って、ヴァルトルーデは篭手と一体化した盾をかざして突撃し、エグザイルも猛然と前へ出てスパイク・フレイルを振り下ろす。
「ガァッアアアアッッ」
堕ちたる全知竜の咆哮。
今更それに恐怖を感じるはずもないが……その口腔には、まるで時間が切り取られでもしたかのように、虹色の吐息が集まっていた。
再び、世界が七色に染め上げられる。
あり得ない吐息攻撃の連続に、先頭のヴァルトルーデは全身を灼かれ、倒れ伏しはしなかったものの、その場に膝を突いてしまう。
けれど、それはまだマシな方。
再度《七光障壁》を構築する暇もなく、まともに虹色の吐息を――身軽なラーシアを除いて――喰らったユウトたちは、偶然エグザイルの陰にいたため致命傷こそ免れたものの、魔法具の衣服は焼け焦げ、深い傷を負っていた。
《精霊円護》などの支援呪文の効果があって、これだ。
その中でも、重傷なのはユウトだった。
四肢は無事だったものの、ユウトは指がいくつか欠損し、内臓をやられたのか血を吐く。
痛みに気が狂いそうになるが、咄嗟に、アルシアとヨナをかばった結果だ。後悔はしていない。
二人が無事なことを信じて、なんとか耐え抜く。
その一方、アカネは無傷だった。
ダーラが役目を果たした結果だが……感謝する気にはなれない。
「うひ、ふへへ……」
被虐の吸血鬼ダーラは、全身を焦がし凍傷を負い内部で骨が砕け肉を溶かし猛毒に侵されながら、気持ちよさそうに笑っていた。
ある意味、人間の盾の役割は果たしているが、もう一度機能するまで時間がかかりそうだ。
「アルシア、今のうちに!」
無傷でやり過ごしたラーシアが、いつの間にそこまで移動していたのか、ダァル=ルカッシュの真横から矢を目や脳へめがけ射かける。
「うう。急所はあるけどでかすぎる!」
元からそうだったのか。あるいは、全知竜となってから進化したのか。あまりにも巨大すぎるドラゴンは、恐竜すら屠った矢を受けても微動だにしない。
だが、時間は稼げた。
「もう少しだけ、耐えて」
普段よりも鈍い動きで。しかし、確実にトラス=シンクの聖印を手にして、死と魔術の女神に祈念を捧げる。
狂える全知竜が支配し、瞬間移動が抑止されるこの空間内でも、その願いは聞き届けられた。
仲間たちすべての体が淡い光の粒子に包まれ、柔らかく暖かなそれが瞬時に傷を癒していく。
ただし、ダーラは除いて。
もちろん、ヴェルガ帝国の手先だから……ではない。通常の治癒呪文を不死の怪物に使用しては、逆に破壊することになりかねない。
「助かった」
傷も痛みも完全に取り除かれたユウト。
感謝の言葉を述べながらも、視線は狂えるダァル=ルカッシュに固定されている。
(流れを変える……ッッ)
そのためには、出し惜しみはしていられない。
「《時間停止》」
刻を止め、刻を支配する第九階梯の大魔術師級呪文。
世界から色と音が消え、世界はユウトだけのものになる。
――そのはずだった。
「ガァッアアアアッッ」
「なにぃッッ」
動いていた。
咆哮を上げたダァル=ルカッシュは、ほんの数歩移動するだけでユウトへと肉薄し、その巨大な爪で押しつぶそうと前肢を振り上げる。
(次元竜だからッ)
時と空間を支配する次元竜。
それも、全知竜へと至った神話級の存在。
故に、刻が止まった空間でも自由に動くことができる。吐息攻撃を連続で使用したように見えたのも、《時間停止》の呪文に類する能力で自分の刻だけを進め、吐息を再充填したのだろう。
「《大魔術師の盾》」
その推測と、《差分爆裂》を使用するはずだったプランをかなぐり捨て、ユウトは自らが知る中で最高の防御呪文を発動し、からくも死の爪から逃れる。
今、この場ではダァル=ルカッシュと二人きり。
瞬間移動系統の呪文で距離を取ることもできないのだ。必死にもなる。
「解除」
身も世もなく走って全知竜から距離を取ったユウトは、《時間停止》を解除。
世界に色が戻り、位置関係が変わった状態で、時間が進み始めた。
「ほう。向こうから近づいてきてくれたか」
「エグ、いきなり近づかれたことを驚こう!? 後、ユウトが切り札使ったはずなのに、相手無傷だよ!」
ラーシアの指摘はもっともだが、今はそれに触れている暇はない。
アルビノの少女の背後まで移動していたユウトは、その肩に手を置いて言った。
「ヨナ。頼みがある!」
「任せて」
寄せられる信頼を嬉しく思いながら、ユウトはダァル=ルカッシュを見上げる。
「糸口は掴めた」
その視線は、狂った全知竜ダァル=ルカッシュではなく、更にその先へと向けられていた。