5.聖女vs女帝
「ヴァル!」
ギリギリで助かった。
歓喜を込めて愛する少女の名を呼ぶが、当然、拘束具はそのまま。まともに、ヴァルトルーデの顔も見られない。
「無事だな!?」
「ああ。危機一髪だったけどな」
「よもや、これほど早く現れるとはの……。余程、婿殿が心配だったと見える」
「ユウトから離れてもらおうか、今すぐに」
駆け寄りたいだろうに、ヴァルトルーデはぐっとそれをこらえる。代わりに、少しずつ件のベッドへと近づいていった。討魔神剣を構える姿に隙は無い。
だが、珍しく呼吸を乱し、汗ばんでいることからも、いらだち、焦っているのは明らか。
「ヴァルトルーデ・イスタス。そなたこそ出ていくべきであろう。それとも、愛の巣へ踏み込むのが聖堂騎士の仕事だったかえ?」
「愛の巣だと? この禍々しい空間のどこに、愛があるというのだ」
「今少し時間があれば、妾の胎に愛の結晶が宿るところであったのだがな」
「勝手に話を進めるんじゃねえ」
幸せそうに腹をさする淫微な手つきで、言わんとするところ。そして、行おうとしていた行為にヴァルトルーデも気づく。
本当に間に合って良かったという安堵、みすみすユウトの身を危うくしてしまったという悔恨、そしてヴェルガへの言葉にならない感情。
一瞬で、様々な想いに身を焦がす。
しかし、激発はしない。
ヴァルトルーデをこの場へ送り込むため、身を挺してくれた仲間たちがいる。助けなくてはならない人がいる。
だから、怒りの中にも冷静さは絶対に失わない。
「婿殿、このまま大人しゅうの」
ユウトにのしかかったままヴァルトルーデの相手をしていたヴェルガは、まるで子供を寝かしつけるかのような優しい言葉を発した後、ベッドから降りた。
「来たれ悪の三権よ」
王錫・王冠・指輪。
悪の王権を象徴する三つの秘宝具を呼び出し、恋敵へと向き直る。
「さて、かくも短時間で姿を現した理由。死ぬ前に、教えてもらえるかの」
「ユウトがそう願ったからだ」
「要領を得ぬな」
普段の淫らさを感じる声音とは異なり、怒気すら巡らせて不機嫌そうに女帝が言った。
「お互いに、時間稼ぎをする必要はあるまい」
輝くような美貌に闘志をみなぎらせ、やや腰を落としたヴァルトルーデが突撃の体勢をとる。
その全身から霊気が溢れ、聖なるオーラがヘレノニアの聖女の全身を覆った。
聖堂騎士の本気を感じ取り、ヴェルガも王錫をしっかりと握り直す。
「征くぞ」
ぐっと力強く大地を蹴り、風のような速度で悪の半神へと肉薄した。板金鎧の重さを感じさせない、ヴァルトルーデの加速。
そこから繰り出される、炎の精霊皇子イル・カンジュアルの巨槍を打ち砕いた突撃。
いかな半神であろうとも、まともに食らえばこの部屋の壁と同じ末路をたどるだろう。
「《障壁》」
それに対し、ヴェルガは王錫を軽く振るって不可視の盾を作り出した。
理術呪文のように、呪文書は必要としない。神術呪文のように、祈りも必要ない。超能力のように精神力も消耗しない。
秘跡。
神に等しきものたちが行使する、魔法にも似た現実改変能力だ。
「やあぁッッ」
けれど、そんなものは関係ない。
半神へと愚直に剣を振るい、遙か手前で不可視の障壁に阻まれるが、打ち砕けばいいだけとそのまま討魔神剣に力を込めた。
金属を打ち合わせたかのような、高く澄んだ音色が響きわたる。
だが、それも一瞬。
「ほう。やるではないか」
今度はガラスを割ったかのような破砕音が室内を満たす。
半神の防御壁を打ち破ったヴァルトルーデ。邪悪なる精霊皇子の巨槍を破壊した攻撃を、あっさりいなしたヴェルガ。どちらをより称賛すべきか。
事象としては、不可視の障壁はあっさりと砕け散り、さしもの女帝も後退を余儀なくされる。
つまり、ユウトから離れた。
その事実を前に少しだけ顔をしかめるが、ヴェルガはすぐにいつもの余裕を崩さない。
「大したものよの。だが、この城の兵力すべてを討ち果たしたとは、到底、思えぬが」
「ユウトが私に託してくれたのだ」
懐から指輪を取り出した。
プロポーズの時にユウトが贈った、状態感知の指輪。
それでユウトの位置を特定し、一直線にその方向へと進んだ。
即ち、ヨナが精神力を振り絞って次々と超能力を発動させては床に穴を穿ち、エグザイルやラーシアは近衛兵をさんざんに打ち負かし、アルシアはそれを支援した。
経路を一直線ではなく、一直線に道を造った。その結果として、ヴァルトルーデはここにいる。
「なるほどの。要所に配置した兵が無駄になったわ」
「あの玉座の間に護衛がいなかったのは、そのためかよ」
未だベッドに拘束されたままのユウトが、うめくように言った。
つまり、最初から拉致・監禁する予定だったのだ。
「《雷光連鎖》」
ヴェルガがかざした指輪から、雷鳴の奔流があふれ出た。
白い雷光が幾条も、美しき聖堂騎士めがけて殺到する。
「ユウトは渡さぬ。悪には屈さぬ」
だが、その程度なんだというのだ。秘跡だからといって、やることは変わらない。
ヴァルトルーデは、そのすべてを見切り、かわし、討魔神剣で切り裂き、幾本かは当たるに任せた。ヘレノニアの聖女を貫いた雷光はしかし、会談の前から準備していた《抵抗力増幅》や《源素円護》に阻まれ痛痒を与えることもできない。
不変。
味方にはこの上ない安心感をもたらし、敵対者にはいらだちを与える。
「お、ユウト。囚われのお姫様だね」
「ラーシア!」
そんな激戦をかいくぐりやってきた草原の種族。
指こそ指していないが、面白がるようにユウトをからかう。もっとも、未遂だったから言えることだが。
ユウトも逃れようと必死に身をよじるが、がちゃがちゃと鎖を鳴らすだけ。
あきらめて、ユウトはラーシアに哀願する。
「この枷、外してくれ」
「別にいいんだけど、横からボクなんかが手を出していいものかって悩みどころなんだよね」
「そうなったら、なんかもう、色々と終わりだろ」
必死に身じろぎし、逃れようとしながらユウトはうめく。
確かに、ヴァルトルーデならこんな鎖はいとも簡単に切り裂いてしまうことだろう。
だが、そんな未来はユウトのプライドにとって、あまりに残酷すぎた。
「仕方ないなー。ちょっと待ってね」
どこからともなく取り出した七つ道具で、枷を取り外そうとするラーシア。
そうしながらも、聖堂騎士と女帝の戦いは続いている。
「《降魔の一撃》」
「《縛炎》」
炎の鞭が幾条も迫り、ヴァルトルーデをからめ取ろうとする。
それを討魔神剣で切り払うものの、ヴェルガへ近づくことはかなわない。
「善の、正義のなんと不自由なことか。それほどの力がありながら、理性や戒律に縛られるとはの」
「なにがおかしい」
「婿殿にも言うたがの、ヴァルトルーデ・イスタス。なぜ、もっと自由に力を振るおうとせぬか。ロートシルト王国になど、縛られておるのか。めんどくさいであろう?」
「なにを言っているのか分からんな」
本当に、意味が分からないとヴァルトルーデは剣を下ろす。
「我が剣は、私だけのものではない。神と正義の名の下に振るわれるものだ」
「では、正義とは善とはなんぞ?」
「それは言葉にできぬもの。私が、私たちが常に問い続けていくものだ」
「なんと恣意的であろうか」
「当然だ。私は人間だぞ。私たちは感情を持った、ただの人間だ」
無謬などありえない。
判断に情緒も混じるだろう。
だが、それでも。
「それでも、神が示された道に従い、自らが信じる正義を行う。それが、私の生き様だ」
それは、なんと困難な道だろうか。
力こそがすべて。その、なんとシンプルなことだろうか。
「ああ……。そうか。そうなのか」
困難だからこそ、善。
安易だからこそ、悪。
「よく分かったよ。ありがとう、ヴァル」
手枷を外してもらったユウトが、ベッドから出ながらすっきりとした顔で言う。
「ヴェルガ、やっぱり俺はあなたの配偶者になんてなれない」
「婿殿……」
「確かに、俺は俺の力を使ってきた。それでも俺は、見知らぬ誰かだからといって、踏みにじって良いとは思えない。力を持っているからといって、なにをしても良いとは思わない」
その真剣な表情に、ヴェルガはこれ以上の求愛は諦めた。
今のところは。
「仕方あるまい」
ヴェルガは地下牢の奥にある背の高い椅子に座り、矛を収める。
もう、敵意は感じられない。
それでも警戒は解かず、ヴァルトルーデは相手の行動を待つ。
「思想の違いはあったが、容姿で嫌われたわけではないようだしの」
「なっ!?」
「まあ、そこなヴァルトルーデ・イスタスを見ても、相当な器量好みであることは明らか。そう思えば、妾が袖にされるなどありえぬわな」
「牽強付会の見本を見た」
「まったく、どこまでも度しがたい」
「いや、結構的確な評価じゃない?」
ラーシアの意見は黙殺された。
ヴァルトルーデも討魔神剣を鞘に収め、今度こそ自重せずにユウトへと駆け寄った。
「心配したぞ」
「ごめん」
「あっさり、押し倒されていたな」
「面目ない」
「間に合って良かった。本当に、良かった……」
「ありがとう……」
恋人たちの逢瀬。
ヴェルガは、むつみ合う二人を祝福――するはずもない。
物理的な手段では二人を引きはがせないと知った女帝は、驚きで迎えられると確信する次の謀略を口にする。
「では、妾の帝国が悪をなさぬため、ひとつ協力をしてもらおう。それでお互い、貸し借り無しとしようではないか」
その予想外の内容に、ユウトとヴァルトルーデは目を丸くした。思わず、二人の距離が空いてしまう。
最低限の目標は果たされ、女帝は淫猥に微笑んだ。