6.ウェディング・キューブ(後)
「わざわざ来てくれてありがとう。なんと言えばいいのか、なんと言うべきなのか。なにを言っても言い訳になりそうだけど……」
言葉と思考は千々に乱れ、不安が鎌首をもたげる。
それでも、やると決めた。
「三人に、伝えたいことがあるんだ」
どんな話なのか、予感があったのかも知れない。
そろって無言で、ユウトの行動と言葉を待つ。
そのユウトはポケットからひとつ目の小箱を取り出し、ヴァルトルーデへと差し出した。
「ヴァル子――いや、ヴァルトルーデ」
今日の彼女は、春らしい明るい装い。
萌葱色のチュニックにキュロットスカートだが、大きなサイズのカーディガンを羽織っている。そのサイズの違いが、可愛らしさを演出していた。
胸には、ユウトが贈った玻璃鉄のネックレス。
それに指を絡めながら、ややうつむき加減でユウトの言葉を待つ。
「この世界に来て、初めて目にしたのはヴァルだった。呆然としたのは、世界移動のせいじゃない。ヴァルの綺麗さにやられたからだったんだ。そして、呪文を憶えられなかった俺を励ましてくれた時に、たぶん好きになってた。それからの俺はずっと、ヴァルと一緒だから。一緒にいたいから、頑張れたんだと思う」
「ユウト……」
「綺麗な髪も、瞳も、正義感にあふれるところも、ちょっと融通が利かないところも、少し直情的で字が読めなかったりするところも。全部ひっくるめて、好きだよ」
それはただの照れ隠し。
愛する男にここまで熱烈な告白をされて嬉しくないはずがない。隣にアルシアやアカネがいることも忘れてしまうほど。
「これを受け取ってほしい」
ユウトはケースから、綺麗にカットされたルビーの指輪を取り出した。
息を飲む音が聞こえる。それは、いったい誰が発したものか判別できない。一人だけだったかも分からない。
このブルーワーズにも、エンゲージリングの風習はある。
ヴァルトルーデも、その意味はよく分かっていた。
「状態感知の指輪――このルビーに血を垂らした相手の居場所や、状態……といっても、元気かそうじゃないかぐらいだけど……が分かる魔法具だ」
そう説明しながらヴァルトルーデの左手を取り、薬指にそっと嵌める。
魔法具は自動的にサイズを調整する物がほとんどだが、今回はファリオ=フォリナの魔法具店に注文を出していたので、最初からぴったりだった。
「もしかしたらまた、この前のように別の行動をとるかも知れない。他のなにかで、離ればなれになってしまうかも知れない。でも、俺たちは一緒だ」
「当然だ」
指輪を。いや、それがはめられた手をかざして見ながら、喜びにだらしなく表情を崩しながらも、声だけは凛として答える。
「何度も言っているが、もうユウトを手放すつもりは無いからな。相手が、半神であろうともだ」
指輪の効果ではないだろうが、ユウトがなにをするつもりか、察したのだろう。ヴァルトルーデは、アカネの背中を押して自分と位置を入れ替えさせた。
「朱音」
「ひゃうっ。な、なによ」
今日はメイド服ではなく制服姿のアカネが、身を抱くようにして思わず一歩離れた。
これからなにが起こるのか、分かったから。
だから、一歩だけ。
「正直、ずっと一緒にいすぎて、好きなのかなんなのかよく分からなかった時期があった。俺のせいで、こっちへ呼んじまって、罪悪感がいっぱいだった」
その内容はアカネにとっては、憤懣やるかたないものだったが、過去形だったのでなんとか我慢する。
「でも、告白されて、それであの吸血鬼に狙われてるのを見てさ。なんかもう最低だけど、誰かのものにはしたくない。俺のものにしたいって、思っちゃったんだよ。朱音にとっては、不自由な世界なのにさ」
「最低ね~」
アカネは、にこやかに断じる。
嬉しそうに、楽しそうに。
「そうだな。でも、これが俺の本心だから」
そう言って、ふたつ目の小箱を取り出した。
「守護の指輪。朱音に降りかかる災厄を祓ってくれるはずだ」
小箱の中から現れたのは、三連になった金剛石の指輪だ。
地球の加工技術には及ぶべくもないが、その数と大きさは滅多にお目にかかれない。しかし、その数はデザインのためではない。
装着者が被る害を打ち消す度、金剛石がひとつずつ塵になるのだという。
「まったくね。こんな展開は計算違いだし、モラルもなんもあったもんじゃないし、私の人生設計のどこにもこんな青写真はなかったわ」
満面の笑みで、指折り数えて不満を口にする。
そんなアカネの表情が、不意に真剣なものに変わった。
「でも、それは断る理由にはならないのよね」
まるで女主人のように、アカネは左手を差し出す。
小箱から指輪を取り出したユウトは、ひざを折ってから、恭しい手つきで守護の指輪を薬指にはめた。
「ユウト」
「ん?」
呼びかけられて反射的に顔を上げたユウトの視界いっぱいに、アカネの顔が広がっていた。
(顔小さい、まつ毛長い、肌きれい。女の子って、別の生き物みたいだ)
一仕事終えたという安堵があったのだろう。思考も体も動かない。
そんな見たままの感想を抱いていると――二人の距離がゼロになった。
「んうっ」
「んっ、あ……」
男女の吐息が天幕を満たす。
「…………」
「…………」
ヴァルトルーデとアルシアは無言。
「ふあ……」
堪能したと言わんばかりの表情でユウトから唇を離したアカネが、無言で見守っていた――というよりは、手出しするのをこらえていた――二人。
「なんか随分遠回りしたし、先を越されたりもしたけど。これでイーブンね」
「いったい、誰と競争しているんだ」
気持ちよかった。
――とは思うが、驚きの方が強い。蹂躙された唇に触れるべきなのか、そのままにした方がいいのか。そんな益体もないことを考える。
「次は、勇人から……ね?」
「あ、ああ……」
だから、そんなお願いを、なにも考えずにうなずいてしまう。
「とりあえず、これで色々と明確になりましたね」
ユウトからの実質的なプロポーズが終わったと判断し、アルシアが場をまとめた。
最初に重婚許可を法令にするなどと言い出した時はどうなることかと思ったが、見事にエリザーベト女王とラーシアの問題を片づけ、曖昧になっていたユウト自身の関係もはっきりさせた。
将来的に問題は出てきそう――ヨナは大喜びだった――だし、公序良俗の面でも問題が出そうだが、後者に関しては配偶者を増やす度に課税対象となるし、調査も行うことになっている。
着地点としては、上々だろう。
「アルシア……」
「まさか、アルシアさんが鈍感キャラだったとは……」
「どうしよう、この雰囲気」
それなのに、他の三人からは非難とあきれの視線を向けられているようだ。
「わけがわからないわね」
「勇人、しっかりしなさい」
今度はアカネがユウトの背中を押し、アルシアの前へ移動させた。
今日のアルシアは、いつかも着ていたニットのワンピース。体の線が出て、目のやり場に困る装いだ。
これも、ヴァルトルーデ同様アカネが無理やり着せているが似合っているので、問題ない。ユウトはそう思っているが、アルシアは彼が近くに来ているのを感じ、逃げ出したくなっていた。
「どういうことなのかしら」
もちろん、そんな感情はおくびにも見せないのだが――
「アルシア姐さん。いや、アルシア」
「はいっ!?」
――名前を呼ばれただけで、そんな余裕は吹き飛んだ。
「俺はアルシアのことを誰よりも信頼している。そして、頼りにしていると思う。好きとか嫌いとかそういう次元じゃなくて。ああ、もう、なんて言えばいいかな……」
どうして、ヴァルトルーデやアカネと同じ流れになっているかしら。
ユウトの声を遠くに聞きながら、アルシアはそんな現実逃避をしていた。
「ぶっちゃけ、アルシア姐さんから子作りとか言われて、ドキッとしました。いい意味で。決して、嫌ではありませんでした」
「そ、そう……」
他の誰かに言われたならば嫌悪感を通り越して、とりあえず抹殺しようとしただろう。だが、ユウトから言われると不思議と嫌ではない。
むしろ、嬉しく思ってしまった。
「それが答えなのね……」
「俺は思ったより強欲だったみたいだ……。アルシア姐さんのことも、手放したくない」
いつもよりも弱々しく、それ故に色香を感じさせる盲目の大司教。
その機を逃さず、ユウトは最後の小箱を取りだした。
「感情感知の指輪ってのを見つけてさ。表情から相手の気持ちを読めないアルシア姐さんのもうひとつの瞳になればいいなって」
抵抗されないことを良いことに、そのまま左手の薬指にはめてしまう。
「まったく……。私は、そこまで望んでいなかったのに」
ただ、ヴァルトルーデが幸せになれば良かった。自分は、そのおこぼれではないが、ちょっとだけ分け与えてくれれば良かった。
この指輪を贈られたのが、自分で良かったと思う。
今、胸を満たしている感情を誰かに知られるのは、あまりにも恥ずかしすぎたから。
「ところで、勇人」
「ん?」
今度こそ、本当に終わった。
そう緊張の糸を解いたユウトが、気の抜けた声で返事をする。
「これが婚約指輪ってことは分かるわ。よく分かるわよ」
「アカネ、そこをあまり強調すると、その……な?」
恥ずかしいのだろう。
息も絶え絶えに世界で最も美しい聖堂騎士が、更に魅力的な表情で同じ男を愛する来訪者の少女を押し止める。
しかし、アカネにも止まれない理由があった。
「ということは、ずっとこっちで暮らすつもり……ということで良いのよね?」
アカネなりに覚悟を決めていたのだろう。
それでも、確認しておきたい。そんな問いだった。
「基本的にはそうだけど……。もしかして、地球と行き来するのを諦めたと思われてた?」
「諦めたというか、諦めてほしいというか」
ユウトの念頭にはリ・クトゥアから持ってきた米などの食材があったが、アカネが想定しているのは、あのいろいろな意味で憎きヴェルガだ。
「あの女帝の招待を受けるぐらいなら、地球へ戻るのを一時諦めても良いんじゃないかと、あたしは思うんだけど」
「大丈夫だよ。こんなにかわいいお嫁さんがいるのに、ヴェルガにどうにかされるはずがない」
「お嫁さん……ですか?」
「違うの?」
「違いはしませんが……」
照れる。
とは口にせず、同時に表情にも出していないアルシア。
けれど、ヴァルトルーデにだけは伝わっていた。
「だから、ヴェルガにも会いに行くよ。ただし、悪いけどみんな一緒にだ」
「悪いことなどない」
当然だ。置いていったらただでは済まさないと、ヴァルトルーデは言った。
「遠慮する必要はありませんよ。ここにはいないラーシアやエグザイル、ヨナも含めて私たちは運命共同体です」
自分自身の意志に仲間たちの想いを乗せて、アルシアが肯定する。
「私は足手まといでしょうけど、勇人が求めるのであれば」
戦う力がないのは、この世界では。特に、ユウトたちと一緒にいると思うところもあるだろう。それでも卑屈になることなく、アカネは受け入れた。
三人とも、迷いなどない。
こんなひどい男なのに。
わがままに振り回して。
プロポーズだって、三人同時なのに喜んでくれて。
だから、ユウトは謝らない。
「……ありがとう」
それはきっと、人生で一番心のこもった「ありがとう」だった。