5.ウェディング・キューブ(前)
透き通った青空が、ファルヴの上に広がっている。
春の訪れを告げるような陽光はうららかで、風も穏やか。祝い事には、うってつけの日だ。
今、ユウトとラーシアはそろってファルヴの街の中央広場にいた。
正確には、そこに設営された結婚式会場に。
「良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も――」
木製の台に真紅の絨毯。
その中心に据えられた祭壇で、地球風の儀式の言葉を紡いでいくユウト。制服をカソックに見立て、肩からはストールをかけている。
まったく違うはずなのに、なんとなくそれっぽく見えるから不思議だ。
「他の者に依らず、死が二人を分かつまで――」
その言葉を神妙に聞いているのはエリザーベト。
自前のウェディングドレスを身にまとい、ヴェールで顔を隠してはいるが、幸福感は嫌でも周囲へ伝わってくる。スペルライト号の乗員やユウトの関係者だけでなく、ファルヴの住民からも祝福され、人生の絶頂にあった。
「妻を想い妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」
「…………」
「誓いますか?」
「……チカイマス」
灰のようになっていたラーシアが、塵のように小さな声で答えた。
今日のラーシアは、アカネがデザインしたグレーのタキシードに赤いシャツ姿だ。時代を数百年飛び越えているように思えるが、今回はブルーワーズにおける既存の結婚式とは異なる様式にする必要があったため、ユウトとアカネの全面プロデュースになった。
そのため、結婚式の言葉も適当にアレンジしている。
「汝、妻エリザーベトは――」
「誓います! 誓います!」
台詞を遮られ一瞬ユウトが顔をしかめたが、省略できるから良いやと開き直る。
「皆さん、この二人は今、結婚の絆によって結ばれました。証人である皆さんも、新郎と新婦が愛に生き、仕事に励み、困難にあっては慰めを見いだすことができまるように。また多くの友に恵まれ、実り豊かな生活を送れるよう、共に見守り、祝福を与えてください」
朗々と紡がれるその言葉を受けて、何事かと見守っていたファルヴの住民たちから大きな歓声と拍手が巻き起こる。少し早めに、用意した酒樽を開けたのが効いたのかも知れない。成り立ちからして、ドワーフが多い街だ。仕方ない。
それに反比例し、ラーシアはまるで魂が抜けたように脱力していく。
そんなラーシアをエグザイルはスアルムと共に見守り、レンはハラハラして心配つつもエリザーベトの美しさの方に関心が行っているようだった。
一方、そのエリザーベトは感極まって涙を流している。
その対比を見て。いや、新婦の涙を見て、無責任な観客たちはまたはやし立てるかのように騒ぎが大きくなる。実にアンバランスなカップルであることも、皆の想像力をかき立てるに充分だ。
そのうえ、酒も食べ物も無料で振る舞われるとあっては、盛り上がらないはずがない。
儀式を取り仕切っていたユウトは、そんな姿を見てひとつの決心を固めていた。
手が無意識に、制服のポケットに忍ばせた三つの箱をまさぐる。
まるで、未来を引き寄せようとするかのように――
なぜ、このような結婚式が執り行われることになったのか。
計画を立てたのは当然ユウトだが、実行には当事者の同意が必要である。
「これは、なんでしょうか?」
一回目の会談から数日後に行われた、二度目の話し合い。
今度はユウト一人だけが、スペルライト号へと赴いていた。
「未記入の戸籍です」
「戸籍、ですか?」
自らの居室のソファに腰掛けたエリザーベトが可愛らしく小首を傾げる。銀髪のうら若き女王は、端から見れば確かに美少女以外の何者でもなかった。
もちろん、戸籍の意味が分からないわけではない。
なぜ、こんな物を出してきたのかが分からなかったのだ。
「ご希望であればですが、このイスタス伯爵領に、女王陛下の戸籍を作ることができます」
「……曲がりなりにも、私は女王ですよ?」
「女王陛下が、別世界の国に戸籍を持ってはならぬという法はないでしょう」
「ありませんね。しかし、同時にメリットも分かりません」
「この前ですが、我がイスタス伯爵領内では重婚を認める法が発布されました」
やはり、エリザーベトの頭には疑問符が浮いたまま。
「我が領内でラーシアと結婚したとしましょう」
「良い仮定ですね」
「そうなっても、国元で別に婚姻関係を結ばれましても、我々は関知しない……ということになります」
そう言って、ユウトは空の戸籍をさらに女王へと押し出した。
相手の意図を探りながら、エリザーベトはそれを眺める。
「ラーシア様を連れて帰るのは諦めよと仰るつもりですか?」
「端的に言えば、そうです」
「仮に、こちらで私とラーシア様が婚姻関係を結んだといたしましょう」
はふう……と、その想像――妄想と言わないだけの心遣いがユウトにもあった――だけで恍惚とした表情を見せるエリザーベト。
物憂げで美しい女王だったが、それは表面だけ。
つくづく、アレな人だなと直球で失礼でもっともな感想を抱くユウト。
「ですが、それは名目だけ。実際は離ればなれにされるだけでは? それとも、誰かが私をラーシア様のもとへ、連れていってくださるとでも?」
「おりますよ、ここに」
いきなり天井に穴が開いた。
そこから飛び出てきたのは、重装機士バトラス。全身鎧が肉体である機甲人は轟音を響かせ降り立つと、気にしたように天井の穴を見つめる。
「お、この穴は秘密なのでした。お忘れください」
「そうですね――って、誰が忘れますかっ!」
「まあ、とりあえず、バトラスさんからお話があるんですよね?」
ユウトが取りなして――というよりは共犯だが――バトラスが、主へと用件を告げた。
「自分は、この世界で神を見つけました」
「あの通路は絶対に埋めますからね……え? 神ですか?」
「はい。こちらです」
バトラスが、腹の辺りの装甲を取り外す。
「にゃ~」
空洞になったそこに収まっていた茶虎の子猫が、甘えた声を上げた。
「これは……」
「ねこです。かわいいねこです」
「確かに、なんて愛らしい」
本当に、あっちの世界ではほとんど見られなくなったんだなと実感しつつ、ユウトは説明を始める。
「実はバトラスさんたちと、貴国へ家畜動物をお送りする案件を進めています」
昨日、バトラスたちスペルライト号の主立った乗員をファルヴ近郊の馬場へと招待し、その時、牛や豚、羊など他の家畜動物も見せた。
どうやら、相手の状況はユウトが考えていたよりも深刻だったようで、魔法帝国の崩壊など何度かの大災害に見舞われている『忘却の大地』では、このような家畜動物は忘れ去られていたらしい。
ラーシアたちが食べた魚も貴重品で、虫すらも高級品。主なタンパク源はゼリー状のスライム生物だそうだ。
怖くて、味は聞けなかった。
「自分たちの建前上の任務は、このような動物を連れ帰ることだったのですが……」
本来であれば高い交渉力を持つ女王はあんな調子で、他の乗員では足元を見られそうで言い出せなかったそうだ。
建前とはいえ。いや、だからこそ手ぶらでは帰れない。途方に暮れていたところ、ユウトが救いの手を差し伸べた……ということになる。
「もちろんただではありませんが、友好のために格安でお譲りしますよ」
格安どころか、ブルーワーズでは貴重なアダマンティンやミスラルの鉱石との物々交換ということになりそうだ。むしろ、安いもの。
お互いに不足している物を補完する。
貿易の基本だなぁと考えていたユウトの足下に、どこから現れたのか、子猫が一匹まとわりついてきた。この馬場で飼われているのだろう。
「こら、ちょっとあっちへ――」
犬派のユウトにとって、猫は未知の生物だ。
踏みつぶしそうになり、あわててどこかへやろうとするが……そこでバトラスの様子がおかしくなっていることに気づく。
おかしいといえば概ねいつもおかしいのだが、他の機甲人たちまで一斉に動きを止め、足下の猫に注目しているその光景は、いつにも増しておかしかった。
「そ、それは……」
「猫がどうかしたんですか?」
ただならぬ雰囲気に、ユウトは足下の子猫を抱き上げる。
食べたいなどと言われたら、どうすれば良いのだろうか?
「ねこ……」
ふらふらと、バトラスたち機甲人が子猫へと近づいていく。
「ねこかわいい」
幸いにして、ユウトの心配は的外れだった。
これも、“工場長”からのインプリンティングなのか。
バトラスが恐る恐る無骨な指を子猫へと差しだし、猫はそれを軽く引っかいた。
「おおー」
歓声が上がる。
ユウトが大慌てで、目録に愛玩動物を追加したのは言うまでもなかった。
こうして外堀を埋めたところで、本丸である女王攻略に取り組んでいるのだ。
「しかし、一度に連れていける動物には限りがあります。そのため、こちらに大使館を常設し、交流を行うべきと判断いたしました」
「ワイロに負けただけのように見えますが……」
「交代要員や輸送のため、半年から一年は本国との行き来が必要と思われます」
「それは、そうで……はっ」
バトラスの言わんとするところに気づき、エリザーベトは目を見開く。
「その際には、私もこちらを訪れねばなりませんね?」
「その通りです」
「つまり、一年のうち、数日だけこちらでラーシア様と過ごせと」
「その通りです」
猫を撫でながら、バトラスは説明。いや、説得を続ける。
「女は、女王。男は、冒険者。二人は愛し合っていた。けれど、周りが時代が運命が許さなかった。女が女になり、男が男になるのは、年に一度、この場所でだけ」
「それ、良いですね!」
愛し合ってはいないのだが、事を荒立てる必要もないだろう。
結婚式の決行には、このような裏事情があった。
ラーシアはもちろん大反対だったし、「ユウトの裏切り者!」とすら言われた。
しかし、ラーシアが本当に嫌なのであれば逃げれば良いだけなのであって、そうしないということはエリザーベトに情があるからだろうと反撃。
図星を突かれたからか、ラーシアはなにも言えない。
さらに、年に数日恋人ごっこをするだけで良いとなだめすかし、重婚を認める法令はラーシアが他の草原の種族の女性と一緒になる時のためでもあるんだと口説き落としたのだった。
「とりあえず、丸く収まった……のかなぁ」
控え室代わりの天幕へ戻ったユウトが、今までのことを思い返してつぶやく。
肩からかけていたストールを引きはがすと適当に投げ捨て、椅子へどっかりと身を預けた。外からは、披露宴の騒がしい声。無関係だろうと、飲み食いが目当てだろうと、素朴な祝福は本物。
これこそ、結婚式のプリミティブな形ではないか。
「結婚か……」
またポケットに入れている箱をもてあそんでいることにユウトは気づいていない。
これからのことを考え想像するだけで、全力疾走した後のように心臓が忙しなく動く。
「ユウト、来たぞ」
「お邪魔しまーす」
「…………」
ヴァルトルーデ、アカネ、アルシア。
結婚式が終わったら、ここへ来てほしいと呼び出していた三人の少女。
緊張で喉が渇いていたことに気づき、水袋の中身をあおってから震える足を叱咤してユウトは立ち上がった。
2.5章は次回で終わります。