3.交渉のテーブル
ラーシアへ求婚するエリザーベト女王との面会は、その数日後に執り行われた。
場所は、次元航行船スペルライト号の船室。それも女王陛下の居室でだ。
「絶対に裏がある。絶対に」
そう信じて疑わないラーシアだったが、ユウトは、自分の部屋に好きな人を招きたいという程度なんじゃないかなと考えていた。
そのため、当然のように相手の要求を飲んだ。
「結構、頑丈な作りだな」
「そうね。継ぎ目どころか、壁や床に歪みも見られないわ」
真紅の眼帯による擬似的な視覚から得た、実にアルシアらしい感想を述べる。
ユウトたちは今、スペルライト号の船内を移動しているところだった。
鉄の城のようだった外観と同じく、船内の通路も壁も天井も、スティールツリー製で黒一色。どこからか魔力が供給されているのか、一定の間隔で配置された魔法の光が行く手を照らす。
通路の幅は狭く、ユウトとアルシアが並んで歩くのでやっと。エグザイルでは、通路を埋めてしまうに違いない。
「『忘却の大地』には、遺産って呼ばれる魔法具があるんだよね」
「遺産?」
「うん。古代魔法帝国が残した強力な魔法具。再現ができないから、遺産なんだってさ」
『忘却の大地』は、ブルーワーズに比べ文明が進んでいるわけではない。ただ、戦乱や善と悪の神々による抗争の余波で世界法則が乱れるなど、荒廃が激しい。
そのため、次元航行船や機甲人など地球と比べてもオーバーテクノロジーな存在があるかと思えば、一般的な生活レベルは近世以下というアンバランスな発展をしていたりする。
「なるほど。さしずめこいつは、発掘戦艦ってところか」
そんな話をしつつ進む三人。
先導してくれる白髪の老紳士は、微笑むだけで口を挟もうとしない。
「そんな貴重なものを、ヨナは……」
「もう、充分反省してますし」
怒るのは、アルシアだけで良いだろう。
ユウトなど、ヨナの行動を密かに評価していた。アルビノの少女の攻撃が通じるということは、物理的に攻略可能ということでもある。
やる気はないが、選択肢は広い方が良い。
「こちらでございます」
随行員の老紳士が一目で他の部屋と違うと分かる扉を開き、ユウトたちを内部に招き入れる。
その部屋は、純白だった。
漆黒のスティールツリーに慣れた目には痛いほどの白。また、船の一室とは思えないほど広く、明るかった。どこからか、柑橘類のようなさわやかな香りも漂っている。
敷き詰められた絨毯だけは赤く、隅には観葉植物が飾られ、その他、絵画などの調度や、ソファ、ローテーブルなども、一流の品が集められていた。
けれど、最も目を引くのは、主であるエリザーベト女王だろう。
色々な意味で。
「ラーシア様、この日をお待ちしておりました」
全身を純白のドレスで包み、顔はヴェールによって隠されていた。
どこからどう見ても、美しい花嫁だ。
恋が叶った喜び。
想いが通じた感激。
様々な情動に襲われたエリザーベト女王が、肩を震わせる。
「どどどっどっど、どういうこと? 話が変な風に伝わってない?」
一方、ラーシアは騙されたと言わんばかりに動揺し、それを意志の力で即座に鎮め、活路を背後――今、入ったばかりの扉――へ見いだした。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
当たり前のように閉じられたが。
「うぉっ、開かない。いや、ボクに開けられない鍵なんてない!」
逆境だ! と盛り上がるラーシアを横目に、ユウトは冷静に場をまとめた。
「陛下、既成事実を作ろうとするのは避けていただきたいのですが」
「……残念です」
女王はヴェールを上げ、その口調とは裏腹にイタズラを成功させた子供のようにイノセントな笑みで、改めてラーシアを歓迎する。
「ラーシア様をお招きでき、望外の喜びですわ。今日は、ゆるりとご滞在くださいませ」
「ボクは話し合いにきたの。主に話すのはこっちの二人なの」
「それでも、またお会いできたのですもの。私の心は高鳴り、ラーシア様のお声は至高の詩歌に勝る天上の調ですわ」
金色に近い瞳は潤み、白い頬がピンクに染まる。
元の美しさと相まって、正面から迫られたらユウトでさえも陥落することだろう。
「それはもう、ボクには通用しないよ?」
しかし、お互いに相手が悪かった。
「こほん。それでは、こちらへ」
女王は備え付けのソファへと三人の交渉者を誘った。
革張りのソファは、ロートシルト王国の宰相と会談したときのそれより、座り心地は上だった。しっかりと体を包み込み、ユウトの執務室にあったら、彼は自室へ戻る労をあっさり放棄しただろう。
いつなにがあっても対応できるよう、ラーシアだけは腰を浮かせていたが。
部屋の中に、エリザーベト女王以外の姿はなかった。奇妙に思うが、ラーシアを信頼しているというアピールか、どこかに護衛を潜ませているのだろう。
女王が手ずからカップへと紅茶を注ぐ。
湯気を立てるそれを見ながら、これも魔法具――遺産の一種かなと、ユウトは少しうらやましく思う。
こちらでは茶の木の栽培は一部の地域に限られ、ハーブティーなど茶の木によらない飲み物が主流なのだ。
「それで、結婚式の日取りですが――」
「昔は、ここまで人の話を聞かない娘じゃなかったのに……」
不良に育ってしまった娘を嘆くかのように、ラーシアは天を仰ぐ。その口調と仕草は彼がいつも主張するように成人男性のようで、子供のような外見とのギャップがすさまじい。
だが、それが良いとうっとりする女王もいるようだ。
「大した物ではありませんが、お納めください」
ご無礼へのお詫びですと、ラーシアには秘密で用意した手土産――A4サイズぐらいの封筒――を、ローテーブルに置いた。
訝しんでいるはずだがそんな素振りは見せず、微笑を浮かべて別世界から来た女王は中身を取り出した。
「こっ、これは……」
そして、絶句する。
封筒に隠されていたのは、ラーシアを描いた絵だ。それも、何枚もある。
正面を向いてポーズを取っているもの、食事中や歩いている姿など、日常のありふれた風景。
彼女の目には精緻な絵画に見えたそれは、スマートフォンで撮影した画像をアカネのモバイルプリンタで出力しただけの代物だ。
専用の用紙ではないためクオリティはそこまで高くはないが、それはユウトやアカネの評価。
そのまま姿を写し取ったかのような――実際にそうなのだが――絵画は衝撃的だったに違いない。
(やっぱり、遺産が特別なだけで、文物に関しては同レベルってところか)
攻撃してしまった件のお詫びの品であると同時に、今後の交渉のため相手を知るという目的もあったが、充分に果たせたようだ。
「ご希望でしたら、お二人並んでいる絵姿などもご用意できますが」
「き、着替え中などは……」
「善処します」
その発想は無かったが、否定はせず要望は承りましたというポーズを取る。
「なんか、ボクが売られている気がする……」
「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれだ」
捨てた羞恥心や尊厳が戻ってくるとは約束できないけど――などと余計なことは言わず、ユウトはアルシアへ合図を送った。
「まずは、こちらの立場をお伝えさせていただきます」
それを受け、アルシア自身も相手が軟化していると判断したのだろう。今まで控えていた黒衣の大司教が口を開いた。
「ありがたいお話ですが、ラーシアをお渡しすることはできません」
「それは、どういう意味でしょうか」
今までプリントアウトされたラーシアにうつつを抜かしていた女王が、一瞬で怜悧な表情を取り戻し鋭い言葉で問う。
「彼は、我がイスタス伯爵領の重要な役職に就いており、抜けられるわけには参りません。また、本人もそれを望んではありません」
「さすがラーシア様ですわね。それでこそですわ」
重要な役職を就いているという部分を褒め称えつつ、器用に後半部分は無視した。
「我がメルガル王国では、現在、王配の地位が空位となっております」
王配――本来は女王の配偶者のことだが、メルガル王国では女王の兄もしくは弟から一人が選ばれ、現世での全権委任者を指すのだという。
つまり、女王の職務は祭祀と次代の王配を生み、育てること。
王配自身の子は臣下と同列であり、王配の地位は「おじ」から「甥」へと継承されることになる。
(分かりにくい……けど、辛うじて理解できなくもない)
ラーシアから、事前に話を聞いていたお陰だろう。そうでなかったら、文化が違いすぎてぽかんとしていたところだ。
「先代の王配――私の兄は、自らの地位と権力を我が子へ継承することを望んで反旗を翻し、ラーシア様たちに討たれました。その反乱により、王配の資格を持つ者も絶えました」
故に特例として、外部から招き入れようとし……。
「ラーシアに白羽の矢が立ったわけだ。知ってた?」
「そんな話を聞いたような、いないような?」
「まあ、ラーシアとエグザイルのおっさんじゃ、そんなものか」
そうでなくとも、ユウトが地球に帰るというタイムリミットもあったのだ。受け入れるはずがない。
「国内の誰かを王配としては、新たな火種を生みかねませんので。ラーシア様との結婚というのは私の個人的な欲望ですが、このような事情もあるのです」
「平行線ですね」
話を聞き終えたアルシアが、紅茶に口をつけてから率直すぎる感想を述べる。
ただし、ユウトはまた別の感想を抱いていた。
(妥協点はある。名と実。どっちを捨てて、どっちを取るか……だな。ちょっと揺さぶってみるか)
「ところで、王配が女王と婚姻を結ぶのは問題ないのですか?」
「もちろんですわ。今は、挙国一致して復興に当たる時期ですもの」
澄まし顔で、ウェディングドレスの女王が答える。
失敗したかな……と、ユウトが心の中でだけ顔をしかめた。
「嘘はいけませんな、陛下」
その時、隣の部屋への扉が開いた。
近衛の詰め所にでもなっているのか、その部屋から威風堂々と現れたのは、機甲人の重装機士バトラスだ。
「今回、スペルライト号を動かしたのも、反対派を振りきってのこと。交渉相手、しかも、求婚する相手に誠意を欠く発言はいかがなものでしょうか」
仕える女王の不利益になろうとも、正義を求める。
評価は様々だろうが、騎士としての理想形。そのひとつが、そこにはあった。
「バトラス」
「なんでしょうか、女王陛下」
「なぜ、そこから」
一度エリザーベト女王は言葉を切り、唇をわななかせながら発言を続けた。
「なぜ、私のベッドルームから出てきたのです?」
「そんなことですか」
一方、重装機士バトラスは、怯まない。
「常に、クローゼットから見守っておりますが?」
なにか文句がありますか? と言わんばかりに、堂々とバトラスは言った。
「あるに決まっているでしょう! 私は、あの部屋で着替えをしているのですよ」
「はっ、着替え? それだけでもないでしょうに」
「うわあああぁっっっんんっっ」
女王が壊れた。
さすがのラーシアも、同情の視線を向けている。
だから異常に好かれたのだし、冷たく拒絶もできないのだが。
「“工場長”に植え付けられた本能ですので。こればかりは、いたしかたありませぬ」
その鋼の肉体に向かって、女王から様々な物を投げつけられても微動だにせず、バトラスはそんな言い訳をする。
“工場長”とは、古代帝国における機甲人の製造施設の責任者。理術魔法の使い手とも、高度な魔法情報生命とも言われるが、定説はないようだ。
ただ、機甲人にとっては神のような親のような存在であり、行動規範の一部に大きな影響を受ける場合がある。
(ろくな機械じゃねえ)
人としてもロボットとしても最低だ。
「おお、陛下などに気を取られて、ご挨拶が遅れ申し訳ありませんでした、mademoiselle」
なぜかやたらと流暢に言って、アルシアへとひざまずく。女王は、軽く無視だ。
「よろしければ、お名前を」
「お断りします」
「おお、なんと気高きお方か」
拒絶されたのに、感動している。
「イスタス伯爵家って、かなりまともだよね……」
「比較対象としてどうかなぁ」
とりあえず、今日の面談は終了だろう。
次回は、もう少し具体的な話をしたいものだ。そして、そのためのアイディアもあるが……。
「イヤでも、これ、俺が最低な人間になるぞ……?」
「仕方ない。この際、そこは諦めよう?」
ユウトとラーシアが小声でかわす、心温まる会話。
草原の種族からの返答を聞いて、ユウトの心は決まった。
人生、諦めが肝心だ。
「そうか。一緒に泥をかぶってくれるか」
「え?」
嫌な予感がする。聞いたら、もう引き下がれない。
ラーシアは急いで耳をふさごうとしたが――間に合わなかった。
「うちで、重婚を許可する法律を作る。それで、六割解決だ」
その言葉は、どこか判決文に似ていた。
小さければ良いんですねと、エリザが幼児化するマジックアイテムを持ち出すネタを入れる暇がありませんでした。




