2.糸口を探して
「その後、こちらの暮らしはどうです?」
ユウトがジンガやカグラたちをケラの森へと転移させてから数日後。つまり、スペルライト号での、あの大騒ぎから数日後。
結局、里の人々は一人の例外も残さず、イスタス伯爵領へと移住することになった。これは、ユウトが決闘で見せた活躍や、地の宝珠を捧げられたことが原因だろう。
彼は受け取りを頑なに拒んでいるが、これを使って米作りに適した土作りを……という要請に心が揺らいでいることをジンガは知っていた。
「気候は大きな違いはござらんが……」
「やはり、風の匂いも、太陽の輝きも違うように思います」
麦湯を淹れた茶碗をユウトへ出しながら、カグラが言葉を引き継いだ。
ありがとうと礼を言って、ユウトはそれを受け取る。
初めは《不可視の邸宅》で生活しつつ、里から生活必需品を運びこんで生活の基盤を整えてもらった。
移住先は、ケラの森。
自然崇拝者たちの住居は岩巨人の駐留部隊が再利用していたため、移住は比較的スムーズに行われたようだ。
ただ、ジンガたちに、遠い異国の地へやってきたという認識は薄い。
鏡を抜けたら別の国だったというあり得ない状況なのだから当然の話。故郷との違いを本当の意味で知るのは、これからだろう。
「しかし、虐げられる心配がない。それだけでも充分恵まれておりますな」
「それは、最低限の条件だと思いますけどね」
ジンガとカグラの家は自然崇拝者たちの住居の例に漏れず、壁と屋根があるだけの簡素なもの。ただ、リフォームを前提とするならばその方が都合が良かったようだ。
中心に突貫で囲炉裏を作り、その周辺には敷物を敷いてスペースを作っていた。
和風を通り越して、遊牧民のような風情。
まあ、環境整備は追々かとユウトは結論づけた。農地の整備や森の管理など、他にもやることは色々ある。
「ユウト、どこにいるんだ?」
「ああ、ヴァル。こっちだよ」
外から、住民との顔合わせを終えたヴァルトルーデの呼び声がする。
なにかと問題が発生している時期だが、無理を言って同行してもらったのだ。
なにしろ、ユウトが領主だとみんな思っていたのだ。本当の主人を紹介しなくては、今後の統治に差し障りが出かねない。
ユウトが玄関まで迎えに行き、美しき聖堂騎士が室内に足を踏み入れた。
言葉にすれば、それだけ。けれど、彼女が中に入っただけで、まるで陽が昇ったかのように明るく照らされたように思えた。
今日の彼女は、チェックのスカートにレースで飾られたブラウスというファッション。室内ということもあり、赤いベレー帽は脱いでいる。
広告塔として、アカネから渡された服装。まだ慣れていないのか、もぞもぞと体を動かす場面もあったが、ユウトとしては歓迎すべき事態である。
その新奇な装いに、なによりその美しさに、ジンガもカグラも我知らず居住まいを正してしまう。
「あ、靴は脱いでね」
「む? ううむ……」
敷物へ上がる前に、彼女からするとあり得ない注意を受けてためらうヴァルトルーデ。
そんな可愛らしい反応で、家主の二人は彼女が生きた人間なのだと悟る。
「イスタス伯爵を拝命しているヴァルトルーデだ」
「東の果てリ・クトゥアより参りました、ジンガと申す」
「うむ」
竜人からの挨拶をおざなりに受けながら、ヴァルトルーデは居心地悪そうに足の位置を何度か直していた。
スカートを履いているため、ユウトのようにあぐらをかくわけにはいかない。かといって、カグラのように正座は難しい。
「ヴァル子」
「おおう、いきなりなんだ」
見かねたユウトが彼女の正面へ回り、脇に手を入れ体を浮かせ、足を崩させる。
「…………」
その様子を、カグラは複雑な心境で眺めていた。
兄から、ユウトへ婚姻――妾でも構わないので――を申し込むつもりだとは、聞いている。ジンガは、それがカグラの意に適うものだと思っているようだ。
だが、それは短絡的ではないかとカグラは思う。
他に、好きな相手がいるわけではない。それどころか、この刺青のせいで同年代の友達もいない。子供や老人には人気があるが、それは除外すべきだろう。
確かに、彼は様々な意味で恩人である。返しようが無いほど、多大な恩を受けている。
やや目つきは悪いように思えるが、顔立ちは悪くない。粗末な食事を美味しそうに食べてくれた。
今も、麦湯を冷ましながら飲んでいるところなど、妙に可愛らしいと思う。
といって、ユウトが恋愛対象、もしくは結婚相手になるかというと別の話だ。
そう、僭越ではあるが、今までいなかった友達。友愛という感情に近いのではないかと思う。
だから、ユウトが他の女と仲睦まじくしていても関係ない。
関係ないのだ。
「……どうかしましたか?」
にらまれていた。
かみつかんばかりに、にらまれていた。
「なんでもありません」
座り直したユウトが視線の意味を問うが、カグラはぷいっと横を向いてしまった。
困ったように、大魔術師の少年は頭をかいた。一方、ヴァルトルーデは警戒レベルを一段階引き上げる。今すぐになにかするわけではないが。
「失礼した」
「いえ」
床に直接座れない。この当たり前が当たり前として通じない事態で、ここが別の文化圏なのだとジンガは今更ながら心で理解できた。
そういう意味でも、ユウトは規格外の存在だったのだ。
「しかし、本当になにも反応を示されないのですな」
手の鱗を見せながら、ジンガが問う。最近は皆無ではないが、珍しい苦笑を浮かべて。
「鱗と言っても、蜥蜴人や魚人とは比べるべくもない。まあ、そういう種族もいるんだなといった程度であろう」
文化的な背景がなければ、この程度だ。
こちらでは、真竜人の方が異形だろう。
いかに狭い価値観の下で生きてきたのか。
まざまざと思い知らされ、同時に自らの決断の正しさをさらに強く確信する。
「なにか不自由があれば、遠慮なく言ってほしい。事情はユウトから聞いているが、この森の管理という職務を遂行してもらう以上、対価を支払うのは我々の義務だ」
無駄遣いは嫌うが、報酬に大金を支払うことをためらわない。
これは美徳だよなと、ユウトは思う。
「とりあえず、米だけは数ヶ月分購入して倉庫にしまっているんで、他に足りないものがあったら遠慮なく言ってください」
「米だけですか?」
「はい。あわやひえなどの雑穀は……」
「なにそれ?」
事前にアカネへ相談でもしていれば違っていたかもしれないが、ユウトはその存在自体を知らなかった。
「必要なら、また買ってくるけど」
赤竜資金が残っているので、まだまだ余裕はある。
「いえ、大丈夫です。ところで、お米やおみそをお渡ししましたが、調理はユウト様がされるのですか?」
「俺は料理なんかできませんよ。朱音がなんとかしてくれると思いますが」
「アカネ……様ですか?」
「ああ……。俺と同郷の幼なじみですよ。料理は上手い方かな」
「左様ですか」
カグラの瞳が輝いた……ような気がした。
「よろしければ一度、お城にお伺いしてお話をしてみたいですね。いろいろ」
「聞いてみますけど、大丈夫だと思いますよ」
なにも気付かず、安請け合いをするユウト。
前途多難だなとジンガは密かに苦笑を洩らした。
「そういえば、お城では、なにやら騒動が持ち上がっているとか」
ジンガの言葉に、ヴァルトルーデが渋面を作る。
今日、まさにファルヴの城塞へ戻ったら、その話し合いが行われる予定だった。
「さあ、みんなで知恵を出し合うよ!」
一緒に朝食を摂る長机のある会議室。
そこに、ユウトたちは勢揃いしていた。
「この会議も久しぶりだな」
「話し合う必要が無かったということであれば、喜ばしいことじゃない?」
対面に座る大魔術師と大司教が雑談をかわしていると、草原の種族がびしっと指さし。その緊張感の無さを咎める。
「私語は禁止だよ。集中して、エリザを元の世界へ返す方法を考えるんだ」
机を叩かんばかりの勢いで、ラーシアが会議を仕切る。
「逆転の発想。むしろ、ずっとあそこにいてもらう」
「逆転すれば良いってもんじゃないからね」
ラーシアからこっぴどく怒られたらしいヨナも、会議に参加していた。
さすがに反省はしているはずだが、発言は相変わらずだ。
「まあ、のらりくらりとかわし続けるのも無しではないけど、相手が女王様となると、そういうわけにもいかないだろ」
「そもそも、あんな船がずっと停泊されているというのは困るのではないか?」
「私も、いつまでも料理で接待とか許してほしいんだけど」
ヴァルトルーデとアカネのもっともな発言で、ヨナの案は却下された。
「ラーシアが諦めるというのは、どうだ?」
不吉な重低音で、エグザイルがそんな非情な言葉を言い放つ。
「もちろん却下。却下。却下。却下。却下。きゃっかーー」
「ラーシア、面白い」
「おっさんも、本気じゃないさ。基本方針の確認だろ」
「もー。他人事だと思って」
アヒルのように口をとがらせながら、ラーシアがどっかりと椅子に座る。
「とはいえ、妙案があれば」
「ラーシアは渡せん。だが、向こうは欲しがっている」
「そうなると……。どうするのよ、勇人」
アカネが新規に参加しても、ユウトに回ってくるのは変わらなかった。
「とりあえず、穏便にお帰り願うしかないわけだが……」
「そうだな。さすがに力ずくというのは避けたい」
「任せて」
「ヨナ、実力行使は最後の手段ですよ」
通常なら先制攻撃をしてしまった分、気が引けそうなものだが、その辺はわりと容赦がない。
ある程度平和的ではあるが、領民を拉致されかねない状況と考えれば、当然の考えとも言えたが。
「穏便にって言ってるだろ。とりあえず、国に帰っても良いというお土産を渡す方向で考えよう」
「ラーシアを差し出す?」
「ラーシア以外で」
ヨナをにらむが、ラーシアがどこにも行かないという前提で混ぜっ返しているだけだ。
ラーシアがどこかへ行くとなったら、本人が望んでいても、大反対して家出ぐらいはするだろう。
「救いは、あの強烈な女王陛下以外は、そこまでラーシアに固執していないことだな」
「でも、バトラスとかいう機甲人だった? あのロボットの人は、相当変だったわよ」
「……あのものすごい女王陛下よりはマシだろ?」
「確かに、あんなことをされても高圧的に処罰などとは言い出していませんでしたね」
「とりあえず、今のところはこんなもんだと思う」
決断を求め、ユウトはヴァルトルーデを見る。
「ラーシアは渡さない。これが大前提だ」
それを受けて、イスタス伯爵は宣言した。
「そのうえで、落とし所を見つけるため交渉を行おう。ユウト、アルシア、頼めるな?」
「ああ」
「任せてちょうだい」
他に適任がいるはずもない。
勝機は未だ見えないが、断るはずもなかった。
「ただし、交渉にはラーシアも同席してもらう」
「うえっ?」
「大丈夫だ。絶対にあっちへ渡したりなんかしない。ただ、相手の惚れた弱みを利用させてもらう」
「……分かったよ。ユウトを信じる」
二人ががっちりと手を握る。
「この二人、たまに気味が悪いほど仲良いわよね」
そのアカネの感想はわりと広範な支持を得られたのだが、表だっては誰もなにも言わなかった。