1.忘却の大地からの客人
「やっぱり我が家が一番だな」
ユウトは数回の《瞬間移動》を経て、ファルヴの城塞にある執務室へと帰還した。
旅行帰りの母親のような感想を漏らしつつ制服の襟を緩め、ほっと一息。たった数日離れただけなのに、妙に落ち着く。
同時に、ここが帰るべき家になったんだなと嬉しいような哀しいような感傷を抱いてしまう。
「それにしても、どこで選択肢を間違えたんだか……」
まさか、地の宝玉を譲渡されるとは思いもしなかった。というよりもむしろ、困る。
とりあえず、あの里の住人をミラー・オブ・ファーフロムで作った転移門でこちらへ運んでからの話だが、どう説得したものだろう。
「新天地での生活に追われてうやむやにならないかな……」
「なにを、うやむやにするの?」
びくんっとユウトの背筋が伸びる。
まったく気付かなかった。背後からの声に、ゼンマイ仕掛けの人形のように錆び付いた音を立てて首だけ向ける。
「やっと帰ってきたわね、勇人」
「朱音、どうして……」
「そりゃ、待ってたからよ。決まってるでしょ?」
栗色の髪を肩の先まで伸ばした、煌びやかな少女がそこにいた。
自作のメイド服は更に進化し、ただのブラウスにリボンをあしらっただけの初期型から、ヴィクトリア風へと変わっている。
ホワイトブリムがアクセントとなって、実に可愛らしい。
それと同時に、ちょっといかがわしい。
「そのメイド服は初めて見るなぁ」
「新作よ。どうせなら、最初は勇人に見せたかったんだけど……」
そんなリアクションに困ることを言いながら、アカネはユウトの正面へ回り、至近距離まで近づいてユウトの全身をくまなく観察する。
「なにやってんだよ」
「ん~。なんか、他の女の匂いがするわね」
「なんで、そんなことが分かるんだよ」
「へえ……」
アカネの動きがぴたりと止まる。顔は笑っているが、目は笑っていない。
「今までなにをやってたのか、詳しく聞きたいわね」
「うっ」
この時ユウトの頭にあったのは、無茶な決闘をしでかしたことと、了解も取らずに移民を受け入れようとしていたこと。
実に、説明しづらい。
それを女性関係と勘違いしたアカネはさらに詰め寄ろうとし――ようやく、なぜユウトの執務室に詰めていたのかを思い出す。
「って、それは後で尋問するから、外見なさいよ、外」
「なんだよ?」
アカネに引きずられるまま、ユウトは窓際へと移動させられる。
「あー。なんか船が見えるな」
「そう、船なのよ」
ファルヴの城塞の北を流れる貴婦人川。
本来であればその流れまでは見えないのだが、帆を張った船が停泊しているため、その位置を知ることができる。
「って、でかすぎねえか」
この城塞と川までは距離もあるし、間に建物もある。それが見えるだけの大きさとなると、今度は川に浮かべられるサイズではなくなるはずなのだが……。
「なんか、別の世界からあれに乗って来たらしいんだけど……」
「だけど?」
珍しく言い淀むアカネに先を促す。けれど、できればユウトも聞きたくはなかった。
「ヨナちゃんが、撃ち落としちゃった」
「……おう」
「なんとか不時着で済んだんだけど、ラーシアを迎えに来たって、お姫さまみたいな人が船から降りてきたのよ」
「お、おう」
一難去る前に、また一難。
どこで選択肢を間違えたんだろうか。
ユウトは天井を仰ぎ、幸福がすべて逃げ出すほど深い深いため息を吐いた。
「大混乱よ、大混乱」
「うん。俺が悪かった」
「まあ、それとなく、ユウトが旅に出た理由は教えてもらったけど」
「いや、俺の見通しも悪かった」
ヴェルガがしばらく大人しくしていてくれたら、他に厄介事は無いと思っていたのだ。アルシア姐さんなら、きっとなんとかしてくれると。
それがまさか、あんな船で他の物質界からの来客があるとは。
「あ、勇人。ところで、ラーシアは?」
「まだちょっと旅先にいるけど、先に状況を整理させてくれ」
ヨナが撃ち落としたということは、あの船は見た目通り水上を行くものではないのだろう。恐らく、次元を越える能力を備えた次元航行船。
ヴァイナマリネンとの雑談で存在は聞かされていたものの、実在するとは思っていなかった。
そして、そんな貴重な魔法具、いや、秘宝具を有しているということは、相当な権力者か、よほど力のある冒険者か――
「もしかして、ラーシアとエグザイルのおっさんが助けたっていう、お姫様の関係?」
「そういえば、ラーシアだけでなくエグも顔見知りっぽかったわよ」
「とりあえず、最悪の事態は避けられそう……か?」
下手したら、未来の歴史教科書に別世界戦争の引き金を引いたファルヴ事件などと書かれるところだった。
「相手は、なんて言ってるんだ?」
「用件はラーシア本人に伝えるから、当座はあの船の補修部材の提供とかしてくれればそれで良いって」
寛大な対応に、ユウトは逆に不審を募らせる。
つまり、ラーシアに会うまで絶対に帰らないということでもある。
「その接待に大忙しよ、主に私が」
「うん。本当にごめんな」
腰から下げた無限貯蔵のバッグ。そこにしまい込んだ、フォリオ=ファリナで買ったある物。これだけで済むだろうかと、ユウトは別の心配をした。
「それでな、俺が一人で帰ってきた理由と絡むんだけど、ちょっとあの鏡を使って戻る必要があるんだ」
「後回しにできないの?」
「日本みたいな島から、移住者を連れてこなくちゃいけないんだ。二百人ぐらい」
「あんたは、本当になにをしに行ったのよ……」
「とはいえ、これを放置もできないよな」
カグラたちには悪いが、少し待ってもらうしかない。最悪、こっちがリ・クトゥアへ移住しなくてはならない可能性だって出てきたのだから。
「やだ」
「やだって、ラーシア。ヨナかよ」
《瞬間移動》の使用回数が残っていなかったため、ミラー・オブ・ファーフロムの力を使って次元門を作成し、リ・クトゥアへと舞い戻ったユウト。
ある程度事情を説明し、引越しの荷物の整理でもしながら待ってもらえることにはなったのだが、そこで草原の種族から予想外の抵抗を受けていた。
「先方が、ラーシアをご指名なんだから、どうしようもないだろ」
「エリザーベトでしょ? エリザーベトが追ってきたんでしょ?」
「そういや名前は聞かなかったけど、なんかお姫様だって言ってたな」
「やっぱ、エリザーベトじゃん。ノゥ、絶対にノゥ」
こうしていると、駄々っ子にしか見えない。
里の人々も、何事かと作業の手を止めて注目している。
「エグはなにやってるのさぁ、もう」
「まあ、本当に嫌なら無理強いはしないけどさ」
困惑しつつも、ユウトはラーシアに理解を示す。
けれど、まったくなにもしないわけにもいかない事情もあった。
「なんか、ヨナがあっちの次元航行船を攻撃しちゃったらしいんで、せめて事情ぐらいは聞かなくちゃならないんだが……」
「ヨナ、やるなぁ。でも、詰めが甘い」
「やっちゃったな、だろ」
「……分かったよ」
やれやれだと、ラーシアは肩をすくめて受け入れた。
「できる限り、フォローはするから」
「頼むよ、ほんと」
しかし、ユウトは知らなかった。
できる限りやっても、通用しない時があるという簡単な事実を。
「ああっ、ラーシア様っ!」
貴婦人川の上に停泊する――比喩ではなく、本当に浮遊していた――次元航行船スペルライト号。
鉄のように頑丈なスティールツリーで造られた、黒光りする戦列艦だ。
「うわぁっ、やっぱりエリザーベトだ」
「エリザとお呼びください」
矢も盾もたまらずと、エリザーベト――エリザはラーシアへ駆け寄った。
その日のうちにスペルライト号の上甲板での会見となったのだが、銀髪の女王が草原の種族を追いかけるという異常な光景で始まった。
「なにしに来たのさ!」
ラーシアは逃げる。
いつもの笑顔はかなぐり捨てて、全力で。
「お逃げにならないでくださいませ。この日を一日千秋の思いでお待ちしておりましたわ」
一方、エリザ女王は、まだ二十歳にはなっていないだろうか。銀髪に輝くティアラを載せ、スカートをつまんでラーシアを追いかける。
白いドレスの上半身はレースで飾られており、コルセットで限界まで絞っているのだろう、手でつかめそうなほど腰は細い。
整った顔立ちは、まさにおとぎ話のお姫様そのものといった美しさだが、今はその美貌を必死さに明け渡し、甲板上を全力疾走している。
当然、女王側にも全身鎧を身に付けた護衛や随行員はいるのだが、止める気配はなかった。止めても無駄だと思っているのかもしれない。
「ネズミから逃げ回る、未来のタヌキ型ロボット的な――」
「朱音はストップ。ところで、エグザイルのおっさんよ。そろそろ、なにがあった話してくれてもいいんじゃないか?」
甲板上には、一応謹慎中のヨナを除き、主要メンバーは揃っている。
詳細は本人からと、エグザイルはヴァルトルーデたちにもエリザ女王との関係に口をつぐんでいたのだが、とても、当事者から聞けるような状態ではなかった。
「オレたちが、『忘却の大地』でお姫様を助けたっていう話はしたな?」
「確かに、しましたね。ですが、それ以上はなにも聞いてはいませんが」
ラーシアたちが帰還したとき、ファルヴの城塞にいたのはユウトとアルシアだけ。ヴァルトルーデは、曖昧だ。
「聞いたことがあるようなないような……」
「つまり、その助けたお姫様が即位して、エリザ女王に?」
「ああ。その時、ラーシアが惚れられた」
口止めされてたがなと、エグザイルが端的に言う。
「わたくしのどこがお気に召さないと仰るのですか!?」
「手足が長い! 全体的にでっかい! 好みじゃない! 種族が違う!」
「うわぁ……」
外野ながら。
いや、外野だからこそか、どうにもならないと首を振る。
自分たちに置き換えると、ジャイアントから愛の告白をされているようなものか。
無理だろう。
無理だ。
「女王陛下、僭越ながらひとつお聞かせ願いたい」
できる限りのことはすると約束したユウトが、甲板で追いかけっこをする二人に割り込んだ。
「ラーシアへのお気持ちはよく分かりましたが、その、お世継ぎの問題はどうされるおつもりですか?」
オブラートに包んでいるが、ラーシアとじゃ子供ができないはずだけど、後継者問題はどうするのと聞いている。
エリザ女王は足を止め、ぽかんとこちらを見ていたが、次に「ああ、そういうことですか」となにかに気付いた様子で返答した。
「問題ありませんわ。後宮には他にも男性はおりますから」
「……は?」
「父親は問題ではありません。誰の種であろうと、私の子供なのですから。きっと、ラーシア様も可愛がってくれるはずです」
今度は、こちらがぽかんとする番だった。
内容が内容だけに、女性陣の顔は見れない。エグザイルの顔を見ても仕方がない。
「あ、母系継承とか、そういう……」
なんとか衝撃から立ち直り、よく分からないがそれっぽい用語で理解をしたことにする。
「大丈夫です。皆、平等に愛します。でも、やっぱりラーシア様が一番ですわね」
「俺、あれと同じこと言ってたのか……」
試合終了間際に逆転ゴールを決められたかのように、ユウトは甲板に崩れ落ちた。
「ああ、ユウトが役に立たなくなった!」
一息ついていたラーシアが悲鳴を上げる。
このまま連れ去られてしまうのか。
そう運命を悲観するラーシアだったが、救いは意外なところから現れた。
「女王陛下、本日はこのあたりで」
全身鎧に身を包み、頭部もフルヘルムで覆った護衛の一人が機械のように平坦な声で主をいさめる。
「下がりなさい」
しかし、女王は引かない。
するとその騎士の両足から、蒸気が吹き出し、ロケットのように飛んだ。
「なに?」
「ご無礼をば」
甲板の上を水平に飛んだその騎士は、女王をさらうかのように腰を抱いて宙に浮いた。
その間も、両足からは蒸気が出ている。
「ちょっと、どこを触ってますの」
「不可抗力です」
「絶対に、うそでしょう」
「はい、わざとです」
「フリーダムだ……」
「というか、セクハラよね……」
急展開にユウトとアカネは現実逃避し、ヴァルトルーデとアルシアは遠くを見ている。
どうしてこんなことに。
ただ、この想いだけは共有していたが。
「高いところから失礼します。自分はバトラス。エリザーベト女王にお仕えする機甲人でございます」
噴煙をまき散らしながら、
「機甲人とは、なんだ?」
「確か……。意志を持つ小型のゴーレムみたいなもので……」
ブルーワーズには存在しないが、他の世界では、エルフやドワーフのような亜人種族として認められることがあるという。そのひとつが、『忘却の大地』なのだろう。
「つまり、ロボット?」
戸惑うユウトたちを余所に、バトラスは宙空で主を抱え続けていた。
結婚は人生の墓場と言いますが、墓場にもピラミッドから遺体遺棄まで色々あるよねというのが2.5章のテーマです。嘘です。