9.本当の望み(後)
「決闘だと?」
馬を進めながら馬鹿にしたかのように言うが、受けざるを得ないだろうことも理解していた。
いかに強力な呪い師とはいえ、この軍勢で当たればどうとでもできる――真実は別にして――が、それでは威厳が保てない。
生き残った半竜人たちから今回の失態が伝われば、威光を示すどころの騒ぎではなくなる。
故に、ヒウキが馬鹿にしたのはユウトの剣の構えだ。
まるでなっていない。素人同然だ。
実際、素人なのだが。
「よもや、その剣で立ち向かうつもりではあるまいな?」
「もちろん、そのつもりだけど」
そう答えるユウトの声に震えはない。いつも通りだ。
呪文書ではなく、長剣を握っていることを除けば。
「して、こちらが勝ったらなにを得られるのだ?」
「森にライオン――獅子を放ったのは、俺だよ。そんな敵の首を取れるだけで、充分なメリットじゃないか?」
「やはり、貴様か。アマクサ」
「というだけじゃなんだから、俺に勝ったら、宝珠のありかを教えるよ」
「良かろう」
ヒウキは薄片鎧を鳴らして馬から下りると、ロング・スピアを扱いてユウトと相対する。
「ヒウキ様!」
「黙って見ておれ」
部下を一喝して黙らせ、ユウトへと槍を突きつける。
「見たところ素人のようだが、手加減はせぬぞ」
「ああ、全力でやってくれ。負けた時に、あれは本気じゃなかったなんて言い訳できないようにな」
「ぬかしおる」
ヒウキのドラゴンの頭部が憤怒に歪む。
「なぜ、ユウト様がこのような……」
「それは、我らのためにであろうな」
《不可視の邸宅》の内部。壁の一面が、外の光景を投影している。軍の前に一人立ちふさがるユウトの姿を、兄妹は痛ましい物を見るかのように、それでも瞬きひとつせず見守る。
術者のユウトから、外に出ることを禁じられた彼らは、それしかできない。
ユウトが一騎打ちを挑まねばならなかった原因。
それは、里の人々が抱く真竜人への畏れが根本にあった。
この里に残りたいと願う者もいる。しかし、トガ・ダンジュの軍を退けたとして、それは卓越した大魔術師ができること。残っても、その助けがなければ迫害されるだけだ。
リ・クトウアを離れる勇気はない。だが、この里からも去りたいと望む者もいる。けれど、どこへ行っても同じことの繰り返しになるだろう。
だから、ユウトは実証しなければならない。
真竜人と言えども、ただの生物だと。殺せば死ぬ、生き物なのだと。
それも、非力な、ドラゴンの特徴を持たぬ、ただの人間でも勝てる生き物なのだと。
「アマクサ、貴様、呪いを使わぬつもりか」
「そうだよ。いいから、そろそろ始めようか」
「……あまり舐めるなよ、小僧」
怒りにヒウキの全身がわななき、小札を重ねた薄片鎧が揺れる。
その様子を見て、挑発には成功したかなと、ユウトは内心安堵した。
まともにやったら、まず勝てない相手だ。もちろん呪文を使うのなら話は別だが、今回は身体能力を上昇させる呪文すら使っていない。
それがこんなに心細いとは思わなかった。
無意識に額の汗をぬぐう。その手がすでに、緊張の汗で塗れていた。
「征くぞ」
「ああ」
ヒウキが腰を落とし、突き出すように槍を構える。
一方、ユウトも魔化された長剣を正眼に構えてはいたが……一目で素人と分かる酷さだった。
(勝っても自慢にもならぬ)
だが、慈悲をかけるつもりもない。
ヒウキは大地を蹴るようにして前に進むと、一気に間合いを制して穂先を生意気な呪い師の喉元へと放った。
これで終わり。
裂帛の気合いと共に放たれた刺突が、肉を裂き気道を破り頸椎を貫いて噴水のように血が流れる。
誰もが確信したそんな未来は――訪れなかった。
「あぶねー」
ユウトは無事だった。
穂先が肉を抉るその寸前、剣を振るって軌道を逸らし、身も世もなく体を投げ出すことで、なんとか無傷で済んだ。
「ユウト様……」
けれど、安堵には、まだ遠い。
《不可視の邸宅》の中で、カグラははらはらと決闘を見守る。見守ることしかできない。
「読んでおったか」
「別に、そういうわけじゃないけどね」
ユウトの武器はふたつ。
ひとつは、往きに赤竜の巣穴で拾った、アダマンティン製のロングソード。
そしてもうひとつは、いつもの白い大魔術師ローブ。
魔化が施されたこのローブは、防御性能も高い。前衛が優秀すぎたためユウトにまで近接攻撃が及ぶことはなかったが、実はヒウキの薄片鎧よりも頑強だ。
それ故、胴体への攻撃は捨てた。ローブでは守れない首から上にのみ絞り、なんとか賭けに勝ったのだ。
(手足を狙われてたら、終わってたけどな)
体勢を立て直し、再び長剣を構える。
「終わらせるぞ」
「どうぞどうぞ。こっちも、長くは保たないよ」
緊張感で、ユウトの精神は磨耗していた。完全に、本音だ。
しかし、それを挑発と受け取ったのか、ヒウキはドラゴンの瞳を細め、再度、空気を裂くような勢いで槍を突き出す。
ユウトは、冷静に穂先を見つめていた。
(ああ、あれ刺さったら死ぬかな……)
即死かどうかは分からないが、致命傷にはなるだろう。
なぜ、こんな所で命を懸けているのか。どうして、人間の力を見せつけようとしているのか。
(ヴァル子なら、こうしただろうからな)
基準を彼女にすると、こんなに大変なことになるのか。
迫りつつある死を眺めながら苦笑した。
大変な女に惚れてしまったものだ。彼女へこの旅の話をするとき、胸を張っていられるように。後ろめたい気持ちにならないように。
結局は、そのためにこんなことをやっている。
自分のためだ。
そして、ユウトは剣を動かす。
本人は意識していないが、彼にはもうひとつ武器があった。
ヴァルトルーデたちと過ごした時間。
ヴァルトルーデを見続けた時間。
彼女たちと戦い続けた敵に比べたら、こんな攻撃止まって見える。
「あぁっ」
思わず、声が出ていた。
決して鋭いとはいえない剣閃。しかしその一撃は、ヒウキ本人ではなく得物を断ち切ろうと、柄へと迫る。
物体の硬度を無視するアダマンティンの武器。これなら、素人のユウトでも、相手の武器を壊すことぐらいはできる。
最初から、この展開は狙っていた。勝算の無い戦いなどしない。
だが、相手はユウトの想定の上を行く。
「死ねいッッ!」
ふっと、槍が消えた。
いや、ヒウキが槍を捨てた。
ドラゴンの頭部に、勝利の微笑が浮かぶ。
その笑みの形のまま、前に突き出た口が開く。
チロチロと、炎がわだかまっていた。
これが、“劫炎”と呼ばれた由来か。
「ユウト様っ!」
傍観者でしかない、カグラには悲鳴を上げることしかできなかった。
しかも、その声は届かない。
けれど、言わずにはいられない。
「死なないで!」
「ちっ、くしょう!」
ユウトは前に出た。
ドラゴンの吐息は、扇のように広がる。つまり、その射程外にでられないのであれば、根本が最も被害が少ない。
「ぬぅっ」
理屈としては、そうだ。
だが、実行されるとは思わない。
完全に虚を突かれたヒウキは、炎の帳を抜け出し棒のように剣を強振しようとするユウトの姿を、ただ眺めることしかできなかった。
「俺の勝ちだ」
思い切った動きと、ローブのおかげでユウトに目立った負傷は見られない。
竜人の腹に剣をめり込ませながら言う。
刃が立っていなかったため負傷はないが、アダマンティンの剣は確かに薄片鎧を打ち貫いていた。
強振に手がしびれたため苦笑交じりになってしまったが、それが妙な凄味になってしまっていることに本人は気付かない。
「まともにやれば……」
否、とヒウキの武人の部分がその思考を否定する。
「まっとうな勝負であれば、こちらの負けか」
なにせ、相手は不慣れなうえにこちらの土俵で戦ったのだ。
次があれば負けるはずもないが、すべては言い訳に過ぎぬ。
「殺せ」
「嫌だね。あんたには、やってもらうことがあるんだ。大人しく兵を引いてもらおうか」
「……よかろう」
勝者が生き恥をさらせというのだ。
ならば、それに従うのが敗者の務め。
「引くぞ」
「ヒウキ様!」
「引くのだ!」
納得がいかない部下を一喝し、兵をまとめて里から出ていく。
「もう、二度とやらねぇ」
里から兵がいなくなるのを確認し、ユウトは大きく息を吐いてから、汚れるのも構わずその場に座り込んだ。
それで集中が切れたのか、それとも最初からそういう設定だったのか。
《不可視の邸宅》から、カグラを先頭に里の住人たちが転がり出てくる。
「怪我を見せてください」
「怪我なんて、してませんよ。ちょっと、気が抜けただけで」
そう端的に事実を伝えたはずだが、あっさりと跳ね返されてしまう。カグラは怒ったような顔でユウトの服を脱がし、触診から始めて《治癒》の呪文まで使用する。
抵抗しようかと思ったものの、心配そうにこちらを見る里の子供たちを見つけ、断念した。
子供には、ちょっとショッキングだったかもしれない。
……などと反省をしたユウトだったが、誰にとっても充分衝撃的な映像だった。
「ユウト殿」
そんなユウトの前に、少し遅れてジンガが現れる。
元から厳しい顔に、神妙な表情をたたえて。
「ああ、ジンガさん。カグラさんに、あなたからも――」
「これを、お納めください」
ジンガは片膝をついてひざまずき、袱紗のような布に包まれた拳大の物を恭しく取り出した。
「天・地・人、三つの宝珠の内のひとつ、地の宝珠を貴方様に捧げまする」
「え? え?」
袱紗を開くと、中から金色に輝く宝玉が現れる。
一目で強力な魔力を有しているとわかる秘宝具。
その威に打たれ、誰も彼もがその場に平伏した。
竜帝は、これを用いて山を平らげ海を埋め立てたというが……。
受け取れるはずがない。
「いや、これは……」
「最早、竜帝もリ・クトゥアも関係はござらん。認めたものに捧ぐ、これが本来の形と申した通り」
「俺、帰る場所があるんだけど……」
「竜帝もリ・クトゥアも関係はござらん」
「あ、そうでしたね……」
ヴェルガの時のように、断っても相手は頑として引かない。こうなると、相手は強い。
ただただ、途方に暮れるしかなかった。
ユウトは、まだ知らない。
《瞬間移動》を使って逃げるように帰ったファルヴで、ラーシアを巡る恋愛騒動に巻き込まれ、輪をかけて混乱するという未来を。
トガ・ダンジュは、昼間から上機嫌で酒をあおっていた。
ユウトは関心が無いため調べてもいなかったが、リ・クトゥアの酒は甘く、アルコール度も低い濁り酒だ。それを水で割って飲むことが多い。
そのため、浴びるように飲む。
だからというわけではないだろうが、ゴジョウ周辺を支配するこの豪族は、侵入者が目の前に現れるまでまったく気付きもしなかった。
「やあ、殺しに来たよ」
その死神は、高く明るい声で、子供のような姿をしていた。
「何奴っ」
酔った頭ながらも、トガ・ダンジュは酒が注がれた杯を投げ捨て、槍を手にしようとするが、その途中で無様に転んだ。
前後不覚になるまで酔っていたわけではない。
袴に短剣が突き刺さり、畳に縫いとめられていたからだ。
そして、その短剣には血がべっとりと付着していた。
「ま、抵抗されてもいいけど、面倒だからね」
童の姿をした死神――ラーシアは、殊更ゆっくりトガ・ダンジュへと近づいていく。
「怪しい輩が、ここまで入り込んでいるではないか。出あえ、出あえいっ」
「無駄だよ。みんな眠ってるからね。目覚めるかどうかは、知らないけどさ」
そして、意味ありげに短剣を指し示す。
「ひぃッ」
微笑を浮かべたラーシアは、ついにお互いの手が届く距離まで近づいた。
「ボクはね、もう怒り狂ってるんだ」
「ななななあ、そのように恨まれる憶えなど……」
「キミがちゃんとこの辺を治めていれば、ちょっと買い物して帰るだけだったんだよ? 無関係な連中のために、ユウトが、ボクの友達が命を張る必要もなかったのさ」
分かる? と、やはり笑顔で聞くラーシア。
ユウトから《天上獅子の招来》で敵を痛めつけると聞いたときは、「えぐい。さすが、ユウト。ヨナが聞いたら大喜びだね」と賛同したが、一歩間違えればユウトが傷つきかねない決闘には大反対した。
しかも、その場に自分がいられないと聞けばなおさら。
トガ・ダンジュは取り除く。
代わりにヒウキは生かし、混乱を最小限に止めつつ、しばらくこちらへ手を出させないようにする。
その計画のためにラーシアが別行動しなければならないと説得を受け入れはしたが、憤りは収まらない。
「そのような事情、知った――」
「知ったこっちゃない? まあ、そうだろうね」
うんうんと、訳知り顔でラーシアがうなずく。
「それこそ、知ったこっちゃないね」
そう冷たく宣告すると同時に、銀閃が走る。
起こったのは、それだけ。
それで興味を無くしたかのように、ラーシアは踵を返す。
「ふっははははははは」
助かった。
何がなんだかわからんが、助かった。
喜色をにじませたトガ・ダンジュは行動の自由を奪った忌々しい短剣へと手を伸ばす。
いや、手を伸ばそうとした。
「ふへっ?」
なにが起こったのか本人だけが理解できぬまま、トガ・ダンジュの意識は断絶する。
後には、畳の上を転がる不細工なドラゴンの頭部が残された。
Episode3は全三章と宣言しておいてなんですが、次からちょっと間章を挟みます。
章タイトルは「ラーシアへの求婚者」で、全3話ぐらいになるんじゃないかなと思っているんですが、
いつも想定の倍ぐらいになっているので目安としてお考えください。
それでは、今後ともよろしくお願いします。