プロローグ
初投稿です。よろしくお願いします。
「こんなことになるとは、思わなかったなぁ……」
背後からは、宮廷舞踏会の喧騒がさざ波のように伝わってくる。
そんな中、今更だが感慨のこもった声で、白いローブを着た黒髪の少年がつぶやいた。
「まず、王宮に何度も来ることになるとか。そこからして、まずありえねえ。しかも、主賓でさ」
バルコニーからは、夜の王都が一望できる。ただし、灯っている明かりがささやか過ぎるため、詳細までは判別できない。
それを見ると――まあ、見えないのだが――こんなところにいて良いものかと、つい考え込んでしまう。
だから、気付くのが遅れた。
「ここにいたのか。探してしまったではないか」
銀の鈴を鳴らしたかのような、澄んだ声が耳朶を打つ。
「ああ、ヴァル子」
しかし、慌てたのは一瞬。
すぐに余裕を取り戻し、黒い瞳の少年は振り返って旅の仲間を迎え入れる。
美しい、少女だった。
月光の下で輝く金髪は薄闇の中にあっては妖しい魅力を見るものに振り撒き、蒼く美しい瞳は夜の海のように引き込まれてしまいそうでとても印象的だった。
新雪のように白い肌はシルクのイブニングドレスに覆われていて、むき出しになった肩についつい目が行ってしまうのは、普段の鎧姿を見慣れているからだろうか。
綺麗だとか美しいだとか。
言われ慣れているだろうし、そんな表現はありふれているが、他に言いようがないのもまた真実。
「むう。そのヴァル子という呼び方は止めろと言っているだろう? 私は、ヴァルトルーデだ」
「長いし」
「なら、ヴァルで良いだろう?」
あまりにも綺麗すぎて名前を呼ぶのにも照れてしまったため、小学生男子が好きな女の子をいじめるみたいに付けた愛称とも言えない呼び名だった。
今でもついつい使ってしまうのだが、仲間たちからは訳知り顔で微笑まれたりする。
「アルシア姐さんたちは?」
「まあ、それぞれ楽しくやっているのではないか?」
「それはなにより」
「そっちこそ、こんなところでなにをやっていたのだ?」
「お見合いをセッティングされそうになったんで、逃げてきた。あのまま全部成立してたら、俺のお嫁さんは十人を超えてたな」
「それは……」
心当たりがあるのだろう。ドレス姿の美少女が、なんとも言えず味わい深い表情を見せる。
しかし、王侯貴族が強引にでも縁を結びたいと考えるのは、無理もない。
自分たちが一介の冒険者だと思っていても、その業績は“英雄”と呼ばれるに相応しいのだから。
パーティのリーダー。聖堂騎士のヴァルトルーデ。
人間の倍近い巨体で、鎖付きの鉄槌を暴風のように振るう岩巨人の蛮族戦士、エグザイル。
斥候役にして弓の達人。魔術すらも使いこなす草原の種族の冒険者、ラーシア。
魔術と死を司るトラス=シンクの大司教。神術魔法の達人、アルシア。
〝虚無の帳〟の実験体だった超能力者の少女、ヨナ。
少年は、この五人と旅をした。
「まあ、あの冒険者&根無し草共に比べたら、俺の方がやりやすいってのは分かるけどな」
「酷い話だが、否定しづらいじゃないか……」
そこで、会話が途切れた。
会場の喧騒が遠くなり、まるでこの世界に二人きりになったかのような錯覚を憶える。
二人だけの世界。
それを壊してしまうことにためらいながら、ヴァルトルーデが話を切り出した。
「実は、頼みがあるのだ」
「頼み? ヴァル子呼ばわりを止めろってんなら善処しないでもないが」
そんなお願いじゃないのは分かっていたし、善処すると言いつつ実行する自信はなかった。公約違反になるが、照れ隠しなのだから当然だ。
しかし、ヴァルトルーデはなかなか続きを喋ろうとしなかった。
今の彼女は、見慣れた魔法銀のプレートアーマーも、致命的な打撃を完全に避ける魔術が施された大型の盾も持っていない。神から賜った討魔神剣もそうだ。
白い煌びやかな絹のドレスに身を包んだ絶世の美女。そんなヴァルトルーデがもじもじと、顔を伏せたりこちらを見たりしている。
不意に、バルコニーに風が吹き、さわやかな香水の匂いを運んできた。
告白の気配を感じ、心臓が高鳴る。
(いやいやいや。ないないない)
そうは思いつつも、邪な期待が湧いてしまう。
「故郷へ帰る予定なのは分かっている。故郷が恋しいのは人間として当たり前のことだ」
夜風が、二人の間を通り抜けていく。
その寒さのせいではなく、少年は肩をすくめた。
準備があるため、故郷に帰るまでには一年ほどの猶予がある。
こちらでそれなりの地位を築いているのだから、残ればいいのではないかと言われたことは、一度や二度ではない。
そして、それが正論だと思う部分もある。
それでも、やはりなにも言わずに両親や友人たちの前から姿を消していると、引け目を感じていた。
帰れるのだから、帰っておきたい。
また戻ってこられるとは、限らないけれど。
「だが、それまで。それまでの間で良いから――私のものになってくれないか?」
「お、おう? って、俺、なんで肯定してるんだよ?」
「そうか。良かった。持つべきものは仲間だな」
「いや、待て。俺になにをやらせるつもりだ」
「私のものになってくれると言ったではないか」
「説明をしろ」
「う、仕方あるまい……」
もじもじと照れながら言う様は、さっきと同じく告白されるかのようだったが――
「私の秘書になってくれないか?」
「秘書?」
「領地と爵位をもらった――」
「賜ったな」
「ああ。たまわった以上は、領内の安全を確保し、税を集め、貴族としての義務を果たさなければならぬ」
「そりゃそうだな」
いわゆる領地経営というものだ。
「だが、できる訳がないではないか。私は、私はなぁ、まともに字も読めないのだぞ……?」
そうだった。
この単純な事実に、思わず頭を抱えた。
神から討魔神剣を賜り、ロートシルト王国を、いや世界を破滅の危機から救い、並ぶ者無き武勇を誇る絶世の美女。
近々、正式に貴族の列に加わり、シルヴァーマーチの一部を拝領してイスタス伯ヴァルトルーデとなる少女。
その唯一と言える欠点は――脳筋。
「学がまったく無いんだったな……」
そんな彼女が、叙爵されるに至った理由。
それは、ほんの五日前の出来事だった。