知りたい事
数秒の沈黙の後に、
「バカバカしい…」
吐き捨てるように呟いて、奏ちゃんは私達にくるりと背中を向けて歩き出しました。
「懸命な言葉をバカバカしいって切り捨てて逃げるんだ…」
怒気のこもった浅野君の声に、
「は? トイレに行くんですけど? 逃げると思うなら、女子トイレまでついてこれば?」
奏ちゃんはチラリと振り返り浅野君に鼻を鳴らしました。
浅野君は、何も言い返す事ができずに悔しげな顔を奏ちゃんの背中に向けました。
「私も! 私もお手洗いにいきます!」
普段は引っ込み思案な私ですが、この時ばかりはたとえどんな冷たい言葉で切り捨てられても、へこたれたくないと思ったのです。
奏ちゃんと二人で話すチャンスを逃したくなかったのです。
私は奏ちゃんの数歩後ろをついて歩きました。
また、数秒沈黙が訪れた後、
「…悲しそう? 苦しそう?」
奏ちゃんはそう呟いて振り返ると、口元だけに小さな笑みを浮かべて短いため息をつくと、
「だから何? 悲しそうで苦しそうな私に、あんたは一体何がしたいわけ?」
私に鋭い眼光を放ち、鼻をひとつ鳴らしました。
「私は渡部さんの事が知りたいんです」
「はあ? あんた達か知りたがってる事はもう教えたでしょ?」
奏ちゃんは失笑して「バカじゃないの…」と呟きました。
「違いますよ…。私が知りたいのは、噂が本当なのかどうなのかなんて事じゃないんです…。浅野君だって、本当は噂なんてどうでもいいと思ってると私は思います」
それが嘘でも本当でも、酷い噂を耳にした事。
噂をされてもなんの感情も表に出すことなく毎日無表情で頬杖をついている奏ちゃん。
そんな奏ちゃんを見ると、なんだか心が絞めつけられるような苦しさを感じたのは確かです。
奏ちゃんはどうして誰とも口を聞かないんだろう…。
どうして嫌な事を言われても無反応でいるんだろう…。
気が付けば、私は教室で毎日奏ちゃんを見る事が当たり前のようになっていました。
そのうちに、奏ちゃんには、好きなものがあるのかな? とか、あのバッグについている可愛いネコのぬいぐるみは、どこで買ったんだろう? だとか。
大きく核心的な事ではなく、彼女の身近な事が知りたいと思うようになっていったのです。
奏ちゃんにそう説明すると、鋭かった瞳の光りがほんの少しだけ弛んだように見えました。
「私は渡部さんが、どんな食べものが好きなのか、学校以外での普段は何をしているのか、どんな音楽を聴いてるのかとか、どんなシャンプーを使ったらそんなに綺麗な髪になるのかとか…」
今までずっと気になっていたけど、どれも聞く勇気なんてなくて…。
「そういう事が知りたいんです。そういう事を考えたら、知りたい事なんて、挙げたらきりがないくらいです」
私の言葉に、奏ちゃんは反論をする事なく唇を噛み締めて俯きました。
「些細な事を知りたい、渡部さんが気になってしまうという気持ちが積み重なって、私は…」
俯いて視線が合わなくても、私は自然と奏ちゃんを見つめていました。
「渡部さんと友達になり――」
「止めて…」
私の言葉を遮る奏ちゃんの声は、なにかを諦めたようにとても弱々しくて…。
「あんたなんか大嫌いだから。友達なんか…要らないって言ったでしょ…」
奏ちゃんの体は、小さく震えていました。
そんな奏ちゃんをみて、私は自分の中で抑えていた我慢が効かなくなりました。
私は、左人差し指で奏ちゃんの背中をつついて、
「渡部さんは、本当に友達なんか要らないって思ってるんですか?」
そう、質問を投げかけました。