嘘つきっ!
少しずつではありますが、お話をしながら歩く乗馬場まで片道二十分ほどの距離は、学校から公園へと黙々と歩いていた時よりも、随分と楽に歩けました。
相変わらず奏ちゃんは私と浅野君の数メートル前を歩いていましたが、その距離は行き道よりも更に縮まっていて、私達の足音や会話の声が届く場所にいる事が目に見て取れました。
そんな奏ちゃんの様子を見て、私と浅野君は何度も顔を合わせては、声なく笑みを交わしました。
森に囲まれた乗馬場に到着すると、入り口横にある管理事務所の前に先生が立っていて、差し出したカードにスタンプを押して貰いました。
乗馬場は、木製の杭の柵で囲まれた長方形の広い砂場のような場所で、残念ながら馬は走ってはいませんでした。
「…馬、いませんね…」
「本当だ…馬はおろか、人の気配もないなぁ…」
落胆混じりで辺りを見渡すと、
「あれっ? 渡部さんがいませんよっ!」
管理事務所から少し離れた場所にいた奏ちゃんの姿が忽然と消えていました。
「大丈夫だ、きっとどこか近くにいるよ」
浅野君が私を宥めるようにそう言うと、事務所から十メートルほど離れた場所にある馬小屋から、重い鉄のようなものが揺れる音が聞こえました。
「…多分あそこだな」
浅野君は、馬小屋に向かい歩き出しました。
「ま、待っ――」
思わず声をあげそうになる私に、浅野君は「しーっ!」と唇に人差し指をあてがい、静かに歩くようにと目で訴え歩きます。
何故そうするのか、浅野君の考えは理解出来ませんでしたが、私はそれに従いそっと忍び足で浅野君の後ろについて馬小屋に近付きました。
薄暗い小屋の中をそっと覗くと、そこには驚きの光景が広がっていました。
奏ちゃんが、馬の顔を撫でながら笑みを浮かべて、
「レイラ、久しぶり。元気だったんだね」
灰色と白の混じった毛色の馬に話しかけていたのです。
私と浅野君は驚き過ぎて思わず目を見開いて、顔を見合せてしまいました。
レイラと呼ばれる馬は、奏ちゃんに撫でられると、鎖を揺らすのを止めて大人しくなり、まるで話をじっと聞いてるように奏ちゃんを見つめていました。
「もうね…奈留も由香もいないの。私だけでごめんね…」
奏ちゃんの寂しそうな声が馬小屋を漂うように響きました。
「奈留も由香も、施設を卒園して、遠くの町に行っちゃったんだ…。二人ともね、寮のある大きな工場に就職して、定時制に通いながら働いてるんだよ」
施設…、卒園…。その言葉を聞いて、奏ちゃんが擁護施設で生活しているという噂は本当なんだと知りました。
俯いたその横顔は、泣いていないのに、泣いていると錯覚してしまいそうな…。とても寂しそうで、悲しそうな顔でした。
「…私だけね…残っちゃったの…」
レイラの頬を優しく撫でながら、
「二人に…嘘、ついた罰――」
そう言葉を発すると同時に、レイラは私達の気配に気付いたかのようにこちらに顔を向け、急に首を上下に振り、鎖を揺らしました。
奏ちゃんは、ハッとした顔をしてこちらに視線を向けました。
奏ちゃんと視線が鉢合わせてしまい、私は慌てて、
「あ、あ、のっ! ちっ、違うんです! 決して! 決して盗み聞きなんかするつもりはっ!」
私はとんでもない失言に慌てて口をふさぎました。そんな私の横で浅野君は、
「相澤さんは悪くないから。オレが相澤さんに隠れて様子見ようってそそのかしたんだよ」
庇ってくれようと間に立ち言葉を放ちましたが、その言葉は、奏ちゃんをますます怒らせる言葉にしか感じずに、ますます狼狽えてしまいました。
奏ちゃんは、入学から今までに一度も見たことのない、鋭く冷たい表情で私達を一瞥して、
「人が良さげなふりしてコソコソと…。そんなに私の、噂が本当なのか知りたいなら教えてやるわよ」
その瞳は、まるで研ぎ澄まされた刃ようで、私の体は知らず知らずのうちにカタカタと小さく震えていました。
「そうよ! 噂は全部本当よ! 私は犯罪者で社会不適合者のクズから生まれたクズの子供よ! 擁護施設で生活してるのも本当だから!」
奏ちゃんは、震えを帯びた声でそう叫んだ後に、
「…これで気が済んだでしょ」
両のこぶしをを硬くにぎりしめたままで俯き、
「もう…私になんかに…構わないでよ…。私はもう、友達とか、楽しい事とか…」
「望んでない…」という弱々しい声を地面に落としました。
奏ちゃんの姿は、今にもロウがつき、火が消えてしまいそうなろうそくみたいに見えました。
燃え尽きてしまう前の不安定な炎の揺らぎ。
それは、彼女が本当に望むものが尽きてしまう事に抗う小さな光のようにも見えたのです。
「嘘つき」
気が付けば私は、両手を握りしめて奏ちゃんに言葉を発していました。
「渡部さんの嘘つきっ!」
喉から無理矢理絞り出した声は、みっともないくらいに震えていました。
だけど、今私が感じるこの震えは、先刻感じた震えとはまるで違うものでした。
怖いんじゃない。
奏ちゃんを見ていたら、悲しくて、やるせなくて、苦しくて…。
「望んでないなら、どうしてそんなに悲しくて苦しそうな顔してるんですかっ!」
私は自分自身でも驚くほど大きな声を奏ちゃんに発していました。