終業式
結局、なにも行動出来ないないままで、一学期が終わりを迎える日がきました。
明日からは夏休みです。
本来ならば、日々の退屈な勉学の拘束からの開放感で身も心も伸びやかになり、これから待っているでしょう、長くも短い休みの楽しい日々を思い描いては、浮き足立つ気分になれるはずなのに。
私の心はまるで鉛に包まれたかのような重さを感じずにはいられませんでした。
終業式を終えて、体育館から教室に戻り、先生が来るまでの数分の休息。
長い廊下に並ぶ教室はどこも夏休みの話で明るく賑わっていました。
二つ隣の教室にいる中学からの友人の美和ちゃんと少し立ち話をして、遅れて教室に入ると、北側の真ん中の席、浅野君の席の周りには数人の男子が集まり、浅野君を交えて夏休みの間にどこで遊ぶかと楽しそうに計画を立てていました。
泊まり込みで徹夜でゲームをしようだとか、電車に乗って南下して海で遊ぼうだとか。街へ出てボーリングやカラオケに行こうなんて話もしていました。
男子に席を塞がれて、少しだけ居場所に困った私は、教室の後ろのロッカーを整理するふりをして、楽しそうに笑う浅野君を横目でちらりと見ては、一緒に遊ぼうと楽しげに約束を交わす男子達を羨み、溜め息を落としました。
(私が遊ぼうと誘ったら、浅野君はいいよって言ってくれるかな…)
携帯の番号もメールアドレスもお互いに交換済みなので、誘いをかける事はほんの少しだけ勇気を出せばきっと容易いでしょう。
なのに、私はいつの間にか左の人差し指を右手で強く握りしめていました。
あんなに迷惑で恐いと思っていた、人が「嘘つき」になる魔法の力なのに…。
私はそれを浅野君に使いたくて仕方がなかったのです。
唇を噛みしめて、更に左人差し指を強く、強く握りしめると、
「穂香っ」
名前を呼ばれると同時に肩を叩かれて、私は驚き肩を跳ねあげました。
否応なしに鼓動速まる胸を抑えながら、振り返ると、
「全くぅ…。ぼ~っと見とれちゃってぇ…」
冷やかし混じりでにんまりと頬をゆるめて、私にしなだれかかるのは、同じクラスの友達の奏ちゃんでした。
「ち、違うのっ! 奏ちゃん! 見とれてなんか――」
「いいのよ~。無理に隠さなくても」
慌てて弁解する私の言葉を遮り、奏ちゃんは楽しげに私の耳元でそう囁きました。
纏まりのない、少し癖がありパサついた私の髪とは違って、まるで絹糸のように真っ直ぐで艶やかな奏ちゃんの短めの黒髪が頬に触れると、同じ女の子なのに妙にドキドキとしてしまいます。
更に加えて、左肩に感じる彼女の柔らかな重みと密着されている暑さで、私の顔の温度はどんどん上がってしまい、
「…穂香、顔真っ赤よ」
奏ちゃんは、まるで玩具で遊ぶ幼子のような笑みを浮かべて、私の頬を楽しそうに指でつつきました。
「もぅ…」
そんな奏ちゃんの心地よい意地悪に、私は口をとがらせながらも、笑みを浮かべずにはいられませんでした。
「…で、愛しの彼に胸の内を伝える決心はついたのかな?」
奏ちゃんは、そう言って夢中で友達と話し込む浅野君に軽く視線を流して、私を伺いました。
「…無理だよ。怖くて、とてもそんな事…」
また、知らず知らずのうちに、私は左手の人差し指をぎゅっと握りしめていました。
奏ちゃんは、そんな私の両手を包むように優しく握り、
「ダメだよ、穂香…」
私にしか聞こえない小さな、だけど力強い声で奏ちゃんは、私に囁きました。
はっとして思わず顔をあげて奏ちゃんを見ると、
「故意に人を試す事は、試された相手も、試した自分自身も、どちらも傷つくんだから…」
奏ちゃんは、そう言って哀しげな瞳で小さく笑いました。
潤みを帯びたその大きな黒い瞳は、
『私がそうだったから。大事な友達のあなたには私と同じ思いはして欲しくないから』
そう訴えていると悟りました。
私は、奏ちゃんが未だに抱えている悲しい気持ちを改めて知り、無言でひとつ、強く頷きました。
「夏休みの間に、頑張ろうよ。私も協力するからさっ!」
奏ちゃんは、私の頬を両手で摘まんで引っ張り、
「よ~し、楽しい休みの思い出をいっぱい作ろうっ! その前に穂香の席を占拠してる男子共を蹴散らしてこなきゃ」
と、笑顔で声高らかに「いくわよ~っ!」と言って両手を頬から離しました。
ちょっぴり痛む両頬を擦りながら、私は、
「お~…」
と、小さく相づちを打ちました。
(奏ちゃんにだけは、私の力の事を正直に話しておいて良かった)
私の席に群がる男子達を意気揚々と追い払う奏ちゃんの後ろ姿を見て、心からそう思いました。