四
とても長い間だったのか、それとも瞬く間だったのか、少女にはよく解りませんでした。けれども突然、鬼達との踊りは終わりを告げました。一瞬辺りが白く輝いたと思った時、一斉に鬼達の賑やかな踊りと音楽は消え去っておりました。
―――シャララン シャラ シャラ ラン
名残惜しげに、少女の手中の鈴が鳴りました。けれどもそれも、たったそれ一回だけのことでした。いつの間にか、若柳の枝は少女の手から離れ、鈴は音もなく紐に絡まっていました。その時、少女は気づきました。目の前に、小さな青鬼が立って少女を見上げていたのです。
―――ヒトの子よ
口を開けることもなく、小さな青鬼は言いました。
―――ちいせいヒトの子よ
少女は瞬きもせずに、目の前の青鬼を見つめました。
―――なかなか、どっこい
―――久しぶりに、楽しませてもらったぁよ
やはり、どこから声が聞こえているのか、少女には見当もつきません。ただ、その時だけは、桜の花が散っていないような気がしたのです。
―――ちいせいヒトの子よ
青鬼の手には、柳の枝と銀の鈴が握られていました。
―――シャララン シャラ シャラ ラン
青鬼の鈴が、風にその音を乗せました。けれど、その音色はさっきよりもずっと微かで、遠くの方から聞こえてきました。
―――おみやげだぁ、おみやげだ
―――シャララン シャラ シャラ ラン
少女にはもう、鈴の音色は聞こえても、その天の川のような輝きも彩りも匂いも、わかりませんでした。
―――不思議なふしぎな、鬼灯籠
―――おにどうろう
青鬼は、唄うように言いました。背後にいたはずの赤鬼や黄鬼や黒鬼達も、霧のように薄れていました。
―――おにどうろう
―――おにどうろう
ひたひたと、冬が押し寄せるような静けさの中で、鬼達はゆっくりと消えてゆきました。大小様々な楽器も、軽やかな旋律も、共に舞い踊った風たちさえも。
―――シャララン シャラ シャラ ラン
最後に一振り鳴ったのは、本当に鈴の音であったのか、それとも少女の空耳であったのか――。銀の鈴を持った青鬼は、消える間際、少女に囁きを送りました。そうして、少女の元に残ったのは、小さく不思議な鬼灯籠だけだったのです。
❀ ❀ ❀
鬼灯籠の光の中に紡ぎだされたもの。静けさの中にあふれる光の饗宴を目にして、青年は息を呑んだようでした。少女はそんな青年の表情に、とても驚きました。青年は、今までどんな時でも、感情を顔に表すということはなかったからです。
「――孫四郎さま?」
少女の控えめな問いかけに、青年は深い吐息を床に落としてから応えました。
「はい、なんでしょう」
「――なにか、見えましたか」
青年は一瞬動きを止め、そしてゆっくりと少女の方を向いて微笑みました。
「はい、見えましたよ」
「――その、それは」
「とても興味深いものでした。とても」
心配そうに、青年を伺っている少女に向かって、青年はいつもの口調を取り戻して言いました。
「あの灯籠は、何を映すのでしょうね」
そして、飄々とした仕草で、首を傾けて見せました。
「願望でしょうか、恐れでしょうか、それとも…」
「未来だそうです」
少女はゆっくりと、言葉をかみしめる様に言いました。
「最後に、青鬼が申しておりましたの。――鬼灯籠は、気まぐれに未来を紡ぐのだ、と」
青年は、流れるような動きで視線を灯籠へと戻し、そして、うっすらと目を眇めました。
「永姫」
青年は、鬼灯籠の光彩を見つめたまま、少女へと語りかけました。
「――これが本当に未来なのか、未来になってみなければ解りません。解るはずが、ないのです。けれど、この灯籠はとても興味深く感じます」
少女は、青年の横顔が、とても優しいものであることに気がつきました。
「私のとってこの灯籠は、『鬼灯籠』ではなく、『夢灯籠』のような気がするのですよ」
青年の言葉は、少女の小さな胸にふわりと沈み、綺麗なお花畑になりました。少女の表情も、知らず知らずのうちに優しく穏やかなものとなり、灯籠を見つめる瞳も輝きます。
青年はそっと、少女の手に大きな自分の手を重ねました。
「私はこの『夢』を、『未来』にしたいと思います。――永姫には、苦労をかけるかもしれませんね」
「苦労なんて…」
少女は、慌てたように首を振りました。余りに激しく振ったので、綺麗に梳られた黒髪が、はらはらと乱れてしまいました。
「わたくし、はやく大きくなって、はやく大人になって、孫四郎さまのお役に立ちたいと思います」
頬を染めながらも、少女は、いつもの数倍は早口に言い切りました。そんな少女に、青年は笑顔を見せました。それは、とろけるように優しげなものでした。
「急がなくても、大丈夫ですよ」
青年は、大きな手で少女の手を包み込み、そっと握りました。
「慌てないで、ゆっくり、ゆっくり大人になってください」
少女のつぶらな瞳を捉え、青年は鮮やかに破顔しました。
「私は、ずっと、待っていますよ」
―――シャララン シャラ シャラ ラン
どこかで鈴の音が、聞こえたような気がしました。それは、もしかしたら、夢灯籠の中から聞こえてきたのかもしれません。
❀ ❀ ❀
【番外】~史実~
永姫は織田信長の四女で、一五八一年(天正九年)に七歳で嫁ぎ、孫四郎(一九歳)の正室となった。孫四郎は、織田信長の股肱の臣であった前田利家の嫡男で、後の前田利長である。
永姫が嫁いだ翌年、父の織田信長は本能寺の変で死亡。豊臣秀吉の天下となる。豊臣家衰退の後、徳川家康が政権を持ち、長く平和な江戸時代へと向かった。
徳川政権下、前田氏の地位を安寧に導き、加賀百万石の基礎を築いたのは、この前田利長の功績ともされている。




