↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
加賀の夢灯籠  作者: 常磐
PR
1/4

壱

一五八四年 加賀松任(かがまつとう)



 桜が舞っておりました。枯茶色の枝々をすり抜け、薄紅(うすくれない)の透かし模様の衣が、風に乗せられ千々にわかたれているようでした。


 せせらぎが微かに聞こえるその場所に、少女は佇(たたず)んでおりました。年の頃は九つか、十。柔らかそうな頬に、幼さを見ることができます。射干玉(ぬばたま)の黒髪は、毛先まで綺麗に梳(くしけず)られ、淡雪のような肌は、日の光に今にも溶け出しそうです。空を見据える瞳には、不思議と、吸い込まれそうな深淵(しんえん)が秘められておりました。


 少女の小さな顔を縁取っていた髪が、微かに揺れてふわりと鼻先を掠めました。どうやら少女は、着物の袖と裾(すそ)を丁寧に抱え、腰を屈めたようでした。膝を抱えた少女の視界は、浅葱色(あさぎいろ)の大地へとより近づいておりました。


 しっとりと湿った黒褐色の土。芳しい香り漂う緑の草々。ずっしりとした太い幹に、そこ此処から空へと伸び上がる若い樹木。


 少女は、微かに顔を傾け、瞬きをひとつ落としました。癖のある長い睫毛がゆっくりと空気を掻いたので、光の粒子がさらりさらりと飛び去りました。そうして、風にはぐれた桜の花びらが、戯れに少女の髪の上に体を休めます。その時、少女はただ一心に、耳を澄ましておりました。




 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 どこからか、鈴の音が聞こえてきます。今はじめて聞いたような、切ないほど懐かしいような、不思議な音でした。少女は、冬の夜空のような瞳を動かし、淡い藤色と輝く萌葱色の音色だ、と思いました。それに、秋の終わりと夏の始まりのような香りがする、とも思いました。鈴の音は真実、とても鮮やかで非常に薫り高かったのです。


 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 少女の耳に、先ほどよりももう少し大きな音が聞こえてきました。少女は、ああこれはきっと、天の川のように輝く銀の鈴に違いない、と思いました。


 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 もっと大きな音が聞こえてきました。少女は耳を撃つその響きに、心を震わせました。そして、この鈴は若くしなやかな浅黄色の若木の頂上に、淡い藤色の繻子織(しゅすお)り紐(ひも)で吊るされているのだ、と思いました。


 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 もっともっと大きな音が聞こえてきました。その時には明らかに、鈴の音の他にさまざまな音色が流れているのでした。それは未だ微かではあるものの、壱鼓(いっこ)をはじめ、横笛(ようじょう)、竽(う)、楽琵琶(がくびわ)、篳篥(ひちりき)、大鉦鼓(おおしょうご)まで鳴り響く賑(にぎ)やかなものです。少女は楽しげに、大きな瞳をくるくると動かしました。


 ―――シャララン シャラ シャラ ラン

 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 音色はますます色鮮やかに、薫り高く流れてきます。それに伴うように、少女の心臓も騒がしくなってきました。どんどんでんどん。そのうち、体の中で響いているのは、鉦鼓(しょうこ)の音色なのか自分の鼓動なのか解らなくなってしまったほどです。


 ―――シャララン シャラ シャラ ラン


 ひときわ大きな鈴の音と共に、ついにそれらは現れました。




❀   ❀   ❀




「それで?」


 突然うつむいてしまった少女を覗き込むようにして、青年は言いました。切れ長の澄んだ眼光が、優しく目の前の小さな少女を捉えています。


「それから、どうしたのですか」


 青年は口調も穏やかに、話の続きを促します。けれど、少女は青年の言葉に、頬を染めて睫毛(まつげ)を伏せました。青年は可笑しそうに目を細めました。


「まるで、穴を掘って兎のように身を隠してしまいたい、という様子ですね」


 少女は、弾かれたように青年を見上げました。その大きな瞳には、無邪気な驚きがありました。


「どうして、おわかりになりますの」

「おや、当たっていましたか?」


 青年の、毒のない飄々(ひょうひょう)とした物言いに、少女は思わず微笑を見せました。笑うと少女は、片側にだけえくぼができるようでした。それにしても、一言一句違わず少女の思考を読み取ったとは、さすがに青年自身は思ってもいないことでしょう。


「・・・孫四郎(まごしろう)さま」


 少女は青年を、そう呼びました。そして、恐る恐るというように、言葉を続けたのです。


「きっと、お笑いになられます」


 青年は、器用に片方(少女のえくぼと同じ側)の眉毛を上げました。


「笑いませんよ」

「きっと、呆れられます」

「呆れたりしませんよ」

「きっと、正気をお疑いになると思います」

「信じますよ」

「きっと、―――わたくしのことをお厭(いと)いになります」


 青年は静かに、そして確かな重さを持って応えました。



「永姫(えいひめ)のことを、嫌いになることは、絶対ありませんよ」





 少女は、青年のその言葉を真綿と絹で大切にくるんで、宝箱の中にそっと納めたいと思いました。



こちらも加筆リハビリになります。少し連載いたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。