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名前を知らない二人

作者: みれぺん
掲載日:2026/03/19

雨が降っていた。

街のネオンは濡れたアスファルトに滲み、まるで記憶のように曖昧に揺れていた。


少女は歩いていた。

濡れることなど気にしていない。

靴の中まで冷え切っているのに、足は止まらない。


「……見つける」


それだけが、彼女を動かしていた。


父を探すために。


名前も、顔も、知らない。

ただひとつ分かっているのは——


父は“人を殺す男”だということ。


同じ夜、別の場所。


男は血を洗っていた。

蛇口から流れる水は赤く染まり、やがて透明に戻る。


「……また違ったか」


低く、かすれた声。


彼は誰かを殺したばかりだった。

理由はひとつ。


娘を探しているから。


遠い昔、離れ離れになった。

顔も覚えていない。

ただ、小さな手の感触だけが、記憶に残っている。


「……どこにいる」


その答えを知るために、彼は何人も殺してきた。


情報を持つ者。

噂を知る者。

関係者と疑われる者。


間違いばかりだった。


それでも、やめられない。


少女は一枚の写真を握りしめていた。


ぼやけた男の後ろ姿。

誰かが偶然撮ったもの。


「この人が……」


確証はない。

でも、直感が告げている。


この男は、“父”に繋がっている。


そしてその男は——


最近、この街で起きている連続殺人事件の犯人だと噂されていた。


数日後。


廃ビルの中で、ふたりは出会う。


偶然のようで、必然だった。


「……こんなところに来るな」


男はナイフを握っていた。

だが、少女に向けてはいない。


警戒しているのは外の世界だ。


「あなたを探してた」


少女はまっすぐ言った。


男は目を細める。


「俺を?理由は」


少女は少しだけ震えながらも、言葉を続ける。


「人を探してるの。父親」


一瞬、空気が止まる。


男の指がわずかに動いた。


「……名前は」


「知らない」


「顔は」


「知らない」


男は小さく笑った。

乾いた、感情の抜けた笑い。


「ふざけてるのか」


「でも分かるの」


少女は一歩近づいた。


「その人は、人を殺してる」


沈黙。


雨音だけが響く。


男の中で、何かが軋んだ。


目の前の少女。

濡れた髪。

まっすぐな目。


——どこかで、見た気がする。


いや、違う。

そんなはずはない。


「……帰れ」


低く言う。


「関わるな」


「嫌だよ」


即答だった。


男の眉がわずかに動く。


「見つけるまで帰らない」


「死ぬぞ」


「それでもいい」


少女の声は震えていたが、言葉は折れなかった。


その夜から、奇妙な同行が始まる。


少女は男についていく。

男は追い払おうとするが、なぜか完全には拒絶しない。


「なんで殺すの?」


ある日、少女が聞いた。


「……探してるからだ」


「誰を?」


男は答えない。


少女は続ける。


「私も探してる」


男は少しだけ視線を逸らす。


「お前の探してるやつは、ろくな人間じゃない」


「それでもいい」


「殺人鬼だぞ」


「それでも、会いたい」


ある夜。


男は眠れなかった。


隣で少女が眠っている。

無防備な姿。


ふと、手を伸ばす。


首に触れれば、簡単に終わる。


——もし違っていたら?


そんな考えが一瞬よぎる。


「……馬鹿か」


自嘲する。


違うに決まっている。

そんな奇跡があるわけがない。


だが、手は止まったままだった。


数日後。


男はついに辿り着く。


古い記録。

消された戸籍。

失われた名前。


「……ここか」


その場所に、少女もいた。


「どうしてここに」


「私も辿り着いたの」


少女は笑う。


そして言った。


「ねえ」


「もしさ」


「私の探してる人が、あなたみたいな人だったらどうする?」


男は答えない。


少女は続ける。


「それでも、私は会いたいよ」


「だって——」


少しだけ間を置いて。


「お父さんだから」


その言葉で、世界が止まる。


男の中で、何かが崩れた。


遠い記憶。

小さな手。

泣き声。


「……名前は」


かすれた声で聞く。


少女は答える。


その名前は——


男が何度も、何度も、夢の中で呼んだ名前だった。


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