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ホテル月見ヶ丘大学

作者: 志摩玲



 ひしゃくの形をした北斗七星、その柄のカーブを延長すると……あった。うしかい座の一等星、アークトゥルス。和名は麦星。望遠鏡を覗くと、そのオレンジ色はより鮮やかで、輝いて見える。望遠鏡はまるで別の世界にいるように、夜空の美しさを見せてくれる。誰もいない夜、キャンパスの端にある月見庭は、一人で星をみるのにとてもいい。

 

 何分、同じ星を見続けただろう。消えかけのライトを纏った時計塔に目をやると、日付が変わったことを示していた。

 明日も大学に来なくてはならない。さみしいけど、今日はここまで。望遠鏡を仕舞い、肩にかける。美しい空を見せてくれていた望遠鏡も、こうなるとただの重い荷物へと変貌する。


 なんとなく、いつもとは違う道を通って帰りたくなった。昼間なら大勢の学生たちで賑わう、無駄に横幅の広い階段をあえて通ってみる。いつもはなんとも思わないその人混みを想像するだけで、今日はなんだか嫌な気分になった。

 結局いつもの細い道に戻るべく、真っ暗な脇道に逸れる。この道を抜ければ、いつもの現実が待っている。


 両側を校舎に挟まれ、ほとんど街灯のない暗い道を通る。いつもの道の手前、右側にみえるB棟の2階の端の部屋から、うっすらと灯りが漏れている。いつもならそんなことは気にせず、家に帰ったと思う。

 でも今日はなんだか招き猫にでも招かれているような気がして、その明かりの方へと吸い込まれていく。ここはもうあまり使われていない校舎で、空き教室にするにはもってこいの場所だと、麦野が言っていたことを思い出した。

 

 3年間もこの月見ヶ丘大学に通っていて、まだ一度も使ったことがない建物が多くある。B棟もその1つだ。かなり古くからあるような見た目をしていて、他のきれいな棟が多く利用されるのも納得できる。


 扉を引いて、中へと入ってみる。真っ暗で周囲の様子は見づらいが、正面にある階段には、踊り場の窓から月の光が差し込んでいた。

 月に照らされた階段を上り、2階へとやってきた。やはり、西側の端、215教室が少し光っているのが見える。教室に近づいていくと、扉に木の板がぶら下がっているのが見えた。

 "HOTEL"

 ぼんやりと光るその文字は、自分をさらにその扉の向こうへと導いているように感じた。そっとドアノブを引く。



 狭い場所に立っていた。木の壁と床に囲まれたその場所には、受付と書かれた札の置かれたカウンターと、その上に丸まっている1匹の黒猫。こちらがいることに気づく様子もなく、静かに目を閉じている。

 カウンターには黒猫以外に、一枚の紙が置かれていた。

 

 新田柊人(にったしゅうと)

 ようこそ、ホテル月見ヶ丘大学へ。

 お部屋は、301号室をご用意しております。

 素敵な一夜をお過ごしください。


 顔を上げると、黒猫がこちらを見つめていた。その月のように黄色く、黒目までまん丸でしっかりと見開かれた目は、今まで出会ったどんな猫よりも優しく感じた。さっとカウンターから降りた黒猫は、自分に尻尾を向けて歩き出した。その向かう先には、さっきまで気がつかなかった階段が、いくつかの蝋燭に照らされていた。

 ふわふわとした足取りの黒猫につれられてやってきたひとつ上の階には、階段と同じ蝋燭と木の扉がいくつも並んだ廊下が続いていた。そのいちばん手前、左手の扉の前に黒猫は止まった。前足でそっと扉に触れると、淡く光った扉が開き、その中へと入って行く。続いて中へ入ると、廊下までとは違う、甘い香りに包まれた。


 ベットと小さめの机、壁にまんまるの鏡がかけられたとても綺麗な部屋だった。扉が閉まる時、静かに部屋を出て行く黒猫の尻尾が見えたような気がした。

 ずっと肩にかけていた荷物を床にそっと置き、ベットに腰掛けてみる。目の前にはカーテンの掛けられた大きな窓がある。カーテンを開くと、いつもの景色が見えてしまう気がして、そのままにしておく。

 振り返ると、机の上に入口と同じ紙が置いてある。


 お部屋は気に入っていただけましたでしょうか。

 ルームサービスをご用意しております。お部屋の前にお越しくださいませ。


 見ると、扉が少しだけ開き、廊下の光が差し込んでいる。

 来る時には気づかなかった廊下の机には、クッキーが3枚のった真っ白な皿と、透明なきれいな飲み物の入ったティーカップがそっと置かれていた。

 バターの香るシンプルなクッキーと、りんごのような甘い香りの飲み物は、とても優しく包み込んでくれた。


 部屋にあったシャワーを浴び、用意されていた服に着替えた。部屋にあるものはすべてふんわりとした香りがしていて、初めてきた場所とは思えないほどリラックスしていた。家に帰らなかったことを少し考えたが、家族はみんなすでに眠った頃だろうし、それよりも今はこの部屋のぬくもりを感じていたいと思った。

 最近は眠るまでに時間がかかったり、寝ても疲れ取のない日が続いていた。この部屋のおかげで、今日は久しぶりにいい眠りにつけるかもしれない。

 ベッドへ入りゆっくりと目を閉じてみる。柔らかく、それでいてしっかりと包み込んでくれる感覚は、あっという間に安心をもたらした。自分が思っていた以上に、疲れていたのかもしれない。悲しみに暮れているだけじゃいけない、そう思って常に自分を奮い立たせてきた。そんな自分に、最大限の癒しを与えてくれている。今日このホテルに出会って、久しぶりに幸せというものを思い出せた気がする。



 ひしゃくの形をした北斗七星、その柄のカーブを延長すると...あった。うしかい座の一等星、アークトゥルスだ。望遠鏡を覗くと、そのオレンジ色はより鮮やかで、輝いて見える。

「きれいだな」

 ふと、横から聞き覚えのある声がした。ゆっくりとレンズから目を離しそちらを見ると、麦野が優しい目で、こちらを見つめていた。


 大学に入学し、1番最初に話したのが麦野啓(むぎのけい)だった。ある程度大学では友達ができたが、平野のことを誰よりも信頼し、大切だと思っていた。

 『なあ、柊人ってよんでもいいか?』出会って2週間が経った時、麦野はそう聞いてきた。

 『いや、新田のままがいい』

 『え、なんで?』

 『あんまり好きじゃないんだよ、その名前』

 『かっこいいと思うけどなー、柊人』

 嫌いというわけではなかった。記憶の中にはない祖母がつけてくれた名前らしい。ただ、(ひいらぎ)を初めて見たとき、その刺々しい葉っぱをみたときから、なんとなく好きになれなかった。

 『じゃあいつか俺が、柊のいいところ見つけてやる。そしたら柊人呼びで頼むぜ』

 『わかった、俺もその時まで平野って呼ぶ』

 『そこは啓でもいいんだけどなー』

 そういえば、聞けなかったな、柊のいいところ。


 隣にいる麦野が空を見上げる。

 「俺、アークトゥルスって星がいちばん好きだな」

 「なんで?」

 「だってアークトゥルスってクマの番人って意味なんだろ?詳しくは知らねーけど、なんかかっこいいじゃん」

 「変な理由だな」

 「なんとなくでいいんだよ、なんとなく」



 こんなにはっきりと夢だとわかってみる夢は初めてだ。ホテルへ来る前に見たアークトゥルス、それを今もう一度、麦野と一緒に見ている。それだけでわかる。

 でも、それでもよかった。いつもの明るい平野がいる、それだけでとても嬉しかった。平野が口癖のように言うその「なんとなく」は、いつも妙に納得できた。


 「一年の時にした約束、覚えてるか?」

 「名前の話?」

 「そう、柊のいいところ。柊って、金木犀みたいに甘い香りがするらしいぜ。金木犀の香りはわかんねーけど、香水とかに使われてるって。どうだ?ちょっとは見直したか?」

 「そうだな、でもまだ足りない」そんなことはない。けれど、十分だと言うと終わってしまう気がして、言えなかった。

 「でも、こんなしょーもない約束でも、覚えていてくれただけで嬉しいよ」

 「しょーもなくなんかねーよ。俺たちの最初の約束だからな」

 「……最後の約束にも、なるのかな」

 「……たぶんな、でも、この約束のおかげでこうやってまた話せたんだ、ありがてー話だろ」

 「まあ、そうだな」

 空の星たちが少しずつ姿を消していく。平野はその空をぼんやりと見上げる。

 「そろそろだな」

 「もう、行くのか?」

 「うん、新田がこっちに来るのいつでも待ってるからな」

 「それはなんか複雑だな」

 「なんなら一緒に行くか?」

 「まだ遠慮しとくよ」

 静かに、空が明るくなってきた。

 「ありがとう、啓」こちらを向いたまん丸の目が少し見開かれた。でもすぐにその目は、細く柔らかい笑みに変わった。

 「こちらこそ、ありがとう、柊人」



 いつの間にか、部屋のカーテンが開いている。夜の間の体験も相まってか、朝の光がとても優しく感じられる。啓とすごした夢の時間は、今まで見たどんな夢よりも鮮明に覚えていられた。


 昨日着替えた服は、まるで買った当時のようにきれいにたたまれた状態でそばに置かれていた。

 望遠鏡を肩にかけ、特別な一夜を過ごした部屋を後にする。

 階段を下りる前に、そばにある机の上に置かれた一冊のノートを見つけた。何も書かれていない真っ白な表紙をめくる。中には、これまでに宿泊した学生たちが大切な人との思い出と、2人の交わした約束が丁寧に記されていた。真新しいページを開き、啓と過ごした日々をたどるように書いていると、あの日以来自分でも忘れていた小さな思い出も蘇ってきた。

 昨日優しい目の黒猫とともに上った階段を一人で下り、受付に帰ってきた。カウンターには、来た時と同じ紙が置かれている。


 当ホテルで過ごした時間は、いかがでしたでしょうか。

 あなたと大切な人の過ごした時間は、もう戻ることはありません。

 しかし、その思い出やお二人の交わした約束は、いつまでもあなたのこころにあります。

 あなたに幸せが訪れますように。


 そこはいつもの帰り道だった。1限に向けて学生たちが登校してくる様子が見える。またいつもの一日が始まる。

この作品を見つけていただき、ありがとうございました。


人生初めての小説投稿となりました。

(正直なところ、投稿するかどうかも悩みました。)

拙い部分も多々あったかと思いますが、どこかひとつでも心に残る場面があれば幸いです。


ご感想などいただけたら、とても励みになります。

改めて、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。



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