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08.ダリナ市近郊の森の中で

 ダリナ市近郊の森の中にて。


 疾風の如く薙ぎ払われたアレンの剣が、人の体長はあろう四足歩行の魔獣を真っ二つに斬り裂いた。


「やっぱり多いな」


 塵となって消滅していく魔獣の残滓を見下ろしながら、アレンがぼやく。


 最近、ダリナ市周辺の魔獣による被害や目撃例が増えているのだ。アリスト騎士団ダリナ支部の騎士だけでは手が回らず、街の外を往来する荷馬車の護衛や魔獣の駆除などは、ギルドを経由して冒険者にも助けを求めるほど。ルビィが連日のように残業をしているのも、そのためだった。


「そちらはどうでしたか?」


 周囲を散策していたダリナ支部の騎士たちに向け、アレンは訊ねた。


「以前に比べて、間違いなく増えていますね」

「ふうむ」


 鞘に剣を納め、神妙な面持ちで唸り声を上げる。


 実は休暇というのは嘘。アレンは異変の原因を調べるため、王都から派遣されたのだ。


 もちろん、ただの調査なら支部の騎士に任せればよい。だが副団長という立場の人間を派遣しなければならない、それなりの理由もあった。


 魔獣が増え続けるダリナ市とは対照的に、王都周辺では魔獣の脅威が極端に少なくなっているのだ。まるで魔獣が意思を持ち、群れを為してダリナ市を標的にするかのように。


 前例のないこの異変には、アリスト騎士団本部と連携が取れ、なおかつ有事の際に指揮を執れる人間が必要だった。


「負傷した者は?」

「いないみたいです。多くの魔獣は遠巻きにこちらを眺めてるだけで襲ってきませんし、近づくと逃げてしまいます。目撃数に対して、討伐数はかなり少ないかと」

「魔獣が逃げる、か」


 森に入ってから数度、アレンも同じような体験をしていた。


 ほとんどの魔獣は、狼や猪など実在する獣の形を模している。だが生物としての習性はまったく違うはずだ。狂暴な気性で、人間を見かけたら必ず襲い掛かる。そして獲物が絶命するか己の身が滅びるまで、牙を収めない。


(いや、一般人の被害報告は魔獣の数と比例して増えている。魔獣の習性が変わったわけではないはず。僕たちが騎士の装いだから襲って来ないのか? つまり魔獣が襲う相手を選んでいる? 個体によっては獣以下の知能しか持たない魔獣が? そんなバカな)


 ともあれ、ここまでは元より報告を受けていた情報だった。


 そしてアレン自身の目で実態を確かめたからこそ、事前予想が現実味を帯びてくる。

 何者かが魔獣を統率している可能性が。


「結界の方はどうでしょう?」

「先日の調査報告によりますと、現存率は三十年前のおよそ十パーセントほど。先月の調査結果と、ほぼ変わらないそうです。ですが、すでに我々が認識することは……」

「ええ、僕も驚きました。子供の頃は確かに結界の存在を感じられていたのに、今はどこが境なのか、まったく分からなくなっている」


 彼らの言う結界とは、ダリナ市に遺された『神遺物』である。


 神魔大戦時、とある神がダリナ市を護るため、その郊外に結界を張った。当時は魔の物を一切通さない強力なものだったが、神々が去ってからは修復することができず、年々その効力を落としている。


 今では『神遺物』の専門家でないと認知できないほど弱まっており、月一で調査をするだけに留まっていた。もう数年もしないうちに、結界はその機能を失ってしまうだろう。


 とはいえ、まだその時ではない。力の強い魔族ならいざ知らず、一般的な魔獣程度なら近寄ることさえできないはずだ。たとえ数が増えたところで、結界を通過できる魔獣は今まで通り強力な個体のみ。


「ひとまず駆除を続けましょう。できれば結界を通れそうな大物を狙って、しかし深追いはせず、今は命を優先に」

「はっ!」


 アレンが指示を出し、騎士たちが再び散開する。

 その時――アレンの直感が『死』を意識した。


「伏せろ!」


 頭で理解するよりも早く、騎士たちは命令通り地面へと伏せた。

 刹那、頭の上を何かが高速で通過する。

 風を切り裂く音がしたのと同時、辺り一面の樹木が一斉に倒れ始めた。


「――ッ!」


 無造作に倒れる木々が視覚情報を遮断し、枝葉の擦れる音によって聴覚が麻痺する。

 訓練を積んだ騎士でも、重力が仕事を終えるまで己の身を守ることしかできなかった。


 そんな中、反撃に転じる影が一つ。

 倒れ行く木々の間を潜り抜け、アレンは攻撃の始点へと向けて疾走する。


「そこかッ!」


 最速で繰り出した剣が、襲撃者を捉えた。

 だが紙一重。アレンの剣は、金属のように硬い五本の鉤爪によって阻まれてしまった。


(これは、手か? まさか――)


 鍔迫り合いとなった鉤爪から視線を上げ、襲撃者を凝視する。


 フードを深く被っているため、顔は確認できない。しかし今しがたの攻撃を想定するのは容易だった。


 アレンの剣を受け止められるほど硬質な右手。おそらく右腕全体が刃物のように鋭くなっており、鞭の如くしならせて周囲の木々を薙ぎ払ったのだ。しかもアレンを含め、騎士たちの知覚外から。そんな芸当、人間にはできまい。


 つまり、コイツは――。

 襲撃者の鉤爪を弾き、アレンは距離を取った。


「魔族!」


 剣の切っ先を向け、正体を暴く。

 すると襲撃者はゆっくりとフードを取り払った。


 人間の皮を被った男の顔が露わになる。だが額には禍々しい角が生え、赤い血が流れていない肌は土気色にくすんでいる。獣を模した魔獣が一部異形の特徴を持つように、魔族もまた一目で人間ではないことが判別できた。


 一言も発せず、微動だにしない魔族を、アレンは正面から睨みつける。

 ふと、違和感を抱いた。

 この魔族、以前どこかで見たような……?


 ひとまず邪念は振り払い、背後で体勢を立て直している騎士たちに指示を飛ばした。


「ここは僕に任せてください。みなさんは周囲の警戒を」


 悪いが足手まといだ。誰の耳にも聞こえたが、騎士たちは粛々と命令に従った。

 先ほどの不意打ち。アレンの声がなければ、間違いなく全員死んでいただろうから。


 それに魔族が一体だけとは限らない。目の前の敵に専念するためにも、騎士たちは監視役に徹するのが最善手だった。


 彼らが散っていったところで、先に仕掛けたのはアレンだ。

 正面から斬り込む。が、先ほどと同じく、右手の鉤爪で弾かれた。


 二度三度と打ち込むも、決定打にはならない。やはり金属並みの硬さ、剣と打ち合っているのと同じ感触だ。つまりアレンの持つ剣で右腕を斬り落とすことは不可能。相手の懐に潜らない限り、攻略には至らないだろう。


 しかし攻めあぐねている理由が二つある。

 ローブに隠れている左腕はどうなっているのか。この魔族は魔法を有しているのか。


 異形なのは右腕だけであり、腕を伸縮自在に操るのみならば、さほど難しくないのだが……今はまだ無暗に攻め入るべきではない。奥の手があるかどうか、見極めなければ。


 幾度か応戦が続いた後、アレンは再び距離を取る。

 すると魔族が初めて口を開いた。


「王国最強と誉れ高い騎士がこの程度だと? 他愛ない。魔王軍の末端だった俺と互角ではないか。神が去ってからの人類は、本当に脆弱になったものだな」

「なんで魔族にまで僕が王国最強だと思われてるんだ……」

「違うのか?」

「王都の剣術大会で二連覇しただけだよ。他の武器ならもっと上に行けた人もいるだろうし、そもそも僕より強い人は出場しなかったからね」

「ふん」


 まるで興味なしと言いたげに、魔族は鼻を鳴らした。


 とにもかくにも、魔族が喋りかけてきたことで、戦闘の方針を変える必要が出てきた。いくつか気になる単語も出てきたし、さて、どう攻めるべきか。


「時に人間よ。一つ質問がある」

「僕が素直に答えると思うか?」

「ダリナの街は今も平和か?」

「……?」


 あからさまな拒否を無視した魔族の問いは、アレンの思考を乱していった。


 一切答えないことが間違いなく正解だろう。だが今の質問に答えたところで、こちら側に不利益をもたらすとは思えない。


 悩んだ末、魔族の意図を探るべく、アレンは正直に答えた。


「平和だよ。おかげさまでね」

「その言葉が聞きたかった」

「…………」


 大丈夫だ。今ので何か重要な情報が漏れたはずはない。


「喋れるのなら僕からも一つ訊ねたいな。魔獣を統率しているのは君かい?」

「さてな」


 元より明確な回答は期待していない。ただ、このタイミングで現れたのだ。まったく無関係ということはないだろう。


「目的は果たした」


 そう言って、魔族は唐突に踵を返した。


 やはり人間と魔族では思考回路が根本的に違うみたいだ。いきなり襲い掛かってきて、少しだけ手合わせをして、訳の分からない質問をしたと思ったら目的を終えただって? まったくもって意味が分からない。


 だがアレンとしては、ここで終わらせるつもりはなかった。


「逃がさないよ」


 宣言した、その瞬間――魔族の視界からアレンの姿が消えた。

 目にも映らない高速移動。そう理解するよりも早く、魔族の右腕が肩口から斬り落とされた。


「なっ――」


 絶命した魔獣と同じく、塵となって消えていく己の右腕を愕然と見つめる魔族。

 その様子を、アレンは得意げな顔で眺めていた。


「やっぱり、硬質なのは肘から先だけだったか」


 その通りではあるのだが、魔族は納得がいかないように口元を歪ませる。


「何故最初からやらなかったのか、もしくは何故今ので首を落とさなかったのか疑問に思ってる顔だね。実は格下の魔族と遭遇した時は、少しだけ遊ぶように指導されてるんだ。油断を誘って、情報を引き出すためにね。僕がアリスト騎士団に入団してから一番最初にやらされた訓練を知ってる? 軽口や無駄口を叩く練習さ」


 そのせいでメルには嫌われちゃったみたいだけどね。と、アレンは心の中で落胆した。

 手加減されていた事実が癇に障ったのか、魔族は忌々しげに唇を噛む。


「さて、改めて質問をさせてもらおう。魔獣を統率しているのは君か? 何故僕が王国最強と呼ばれていることを知っている? 魔王軍の末端だった魔族が、こんな場所に何の用だ?」


 片膝をついた魔族の頭上へと、容赦のない冷徹な声が降り注いだ。


 魔族は闇の粒子が纏う右肩の断面を睨みつける。


 出血こそないとはいえ、片腕の欠損は魔族にとっても致命的だ。早く手当てをしなければ、存在の消滅へと繋がりかねない。


「魔法」

「?」

「今の動きは魔法によるものだろう? 何故『神の書』を持たない人間が魔法を扱えるのだ?」


 時間稼ぎか? と、アレンは訝しむ。

 だが圧倒的優位な立場には変わらないと判断し、アレンは仕方なく答えた。


「時代遅れだね。確かに三十年前までは、人間は『神の書』を与えられた者しか魔法を使えなかった。でも、現代になってだいぶ技術が進歩してね。今では誰でも魔法を扱えるようになったのさ」


 これは半分ほどブラフだった。


 完全解析され安全が確認された『神の書』は、専門書として一般市民にも流通するようになった。しかし内容を理解できる者はさほど多くはなく、『神の書』に目を通さず魔法を発現できる者は本当に稀。一部の天才だけだろう。


 その中でもアレンの場合、この『疾走』の魔法のみ、『神の書』がなくても最大限の効果を発揮することができた。それだけ自分と相性が良く、理解度が高かったのだ。


 もちろん、そんな情報を魔族に提供する義理はない。

 質問に答えないのなら消滅しない程度に斬り刻むまで。と、アレンが剣を振り上げる。

 それに対し、魔族は――、


「くくく」


 妖しく笑ってみせた。


「目的は果たしたと言っただろう?」

「なに?」


 突然、魔族の存在感が希薄になった。目の前にいるはずなのに、どこか遠い場所へ行ってしまったような感覚がアレンを襲う。


「しまった!」


 慌てて斬り込むも、もう遅い。


 首を狙った一閃は、右腕を切断した時の感触とはまるで違っていた。アレンの剣は、唐突に現れた大きな倒木を斬っていたのだ。


「逃げた、のか?」


 周囲に気配もない。この場から完全に消失したようだ。

 魔族と入れ替わるようにして出現した倒木を、アレンは凝視する。


「これは……転移魔法? あらかじめマーキングしておいた物体と自身の位置を入れ替えたのか? けど……」


 空間転移は魔王にしか扱えない高等魔法だったと聞く。それほど高難度であるため、まさかあの程度の魔族が使用するとは思わなかった。


 逃がしてしまったのは、油断したアレンの落ち度だった。


「アレン副団長。ご無事でしたか?」


 戦闘が終わったことを察知した騎士たちが集まってきた。


「こっちは大丈夫です。取り逃がしてしまいましたが……。そちらはどうですか?」

「他に魔族はいませんでした。魔獣の方も相変わらずです」

「なるほど。奴は単独だった可能性が高いってわけか」


 アレンは考える。


 魔族がダリナ市近郊に出没した理由。あの意味不明な質問の意図。奴が果たしたと言っていた目的とは何か。それと、ここ数年で魔族による被害や目撃例があったかどうかも調べなければ。


「ひとまず魔獣の駆除は切り上げて、報告へ戻りましょう。ダリナ祭も近いし、警備を強化するか検討しないと」

「了解です」


 魔獣の異常行動も含め、懸念事項は山積みだ。


 水面下で何かが起ころうとしている予感を抱きつつも、一介の騎士であるアレンには、それがどのようなものなのか予測することはできなかった。

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