07.自称女神のやさしさ
嫌なことは往々にして重なるものである。
いつも通りメルが仕事をしていると、今度は学生らしき女の子が迷い込んできた。
フィーの情報がなくても、髪の色や顔立ちで分かる。また日本人だ。セーラー服という衣装から察するに、おそらく中学生か高校生と呼ばれる年齢なのだろう。
目を覚ました女の子が周囲を見回し始めたので、メルは前に出ようとする。
すると、いつもより早いタイミングでフィーが通信してきた。
しかも少し緊張した声音で。
『メル』
「うん?」
『その子、もう死んでるよ』
「……うん。分かった」
フィーから情報を受け取ったメルが、女の子の前に降臨した。
そしていつも以上に優しく微笑みかける。
「はじめまして。私は案内役の女神、メルと申します」
「女神?」
きょとんとする女の子。メルにとっては慣れた反応だ。
「如月ユメさん。覚えてないかもしれませんが、あなたは元の世界で死にました。どうやらイジメを苦にした自殺だったそうです」
「自殺?」
俯いたユメが、頭を押さえて記憶を辿り始めた。
しばらく考え込んだ後、彼女の表情が一変した。額に汗が浮かび、呼吸が荒くなる。ここへ来る前のことを思い出したようだ。メルはその様子を、じっと見守っていた。
「ここは……」
如月ユメは再び辺りを見回した。
そして、ようやく現状を正しく認識できたらしい。苦痛に歪んでいた感情が消え、逆に顔を明らめていく。その表情は、まるで希望を抱いたよう。
「女神様が現れたということは、私は異世界に転生できるってことですか?」
さすが日本人だ。理解が早い。
しかしメルは神妙な面持ちで首を横に振った。
「いいえ、あなたはこちらの世界で転生することはできません。お帰りください」
「え……どうしてですか?」
「決まりだからです」
有無を言わさず言い放つ。
想像もしていなかった返答に、ユメは困惑を露わにした。
「で、でも私は死んでしまったんですよね? 戻っても生き返るわけではないんですよね? そのまま死んじゃうんですよね?」
「私はあくまでも、こちらの世界の女神。他の世界に関与することはできませんし、死後どうなるかは、そちらの世界のルールに従うまで。私には何も分かりません」
「い、嫌だ。戻りたくない……死にたくないです! 女神様が何もできなくても、そっちの扉へ入れば生き返れるんですよね? そうですよね!?」
ユメの視線が、メルの後ろに現れた扉へと移った。
「自殺を選んだのだって、イジメから解放されるためだった。本当は死にたくなんてなかった! 第二の人生があるのなら、どうか私にチャンスをください」
「ダメです。お帰りください」
「そんな……」
心を鬼にして拒絶するメルを前に、ユメはとうとう泣き崩れてしまった。
その場で蹲り、嗚咽を漏らす。そんな彼女の震える肩を、メルは優しく抱きしめた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
今できる精一杯の謝罪。というより、メルには謝ることしかできなかった。
しばらくした後、ユメはゆっくりと立ち上がった。メルの顔を見ないまま身体を反転させて、背後の扉へとぼとぼと歩いていく。退去する際、一度だけ向けられた恨みがましげな視線が、メルの心を痛ませた。
稀に、こうやって元の世界に肉体が残っていない魂が迷い込むことがある。
確かに、こちらの世界に来れば生き返ることができる。ユメが言うように、第二の人生を送ることができる。
しかしたとえ死者の魂であっても、決して異世界人を入れてはならない。
異世界人がもたらす知識や技能は、世界に混乱を招く危険性があるからだ。
中でも、絶対に流入させてはいけないものが三つある。
疫病、魔法、そして科学だ。
疫病は言わずもがな。異世界人の持ち込んだ未知の病原菌が多くの人を殺す可能性もあるし、逆に転移者がこの世界の病を患ってしまう場合もある。神魔大戦時は女神の祝福で防がれていたが、クォーターのメルにはそれができない。
魔法は、個人に強大すぎる力を持たせないため。
今はまだ『神の書』解析課という公的機関が、大陸中に散らばっている魔法を解析している段階。仮に魔王レベルの魔法使いが現れた場合、人類は為す術もなく支配されてしまうだろう。魔王再来を危惧するため、とでも言うべきか。
最後に科学。急激な科学の発展は、戦争の種になるからだ。
たとえ人間同士の争いで滅亡を選択するにしても、それは異世界から持ち込まれた技術であってはならない。それでは侵略と同じだ。故に科学技術は、自分たちの力だけでゆっくりと発展させる必要があった。
いずれにせよ純正の女神ではないカーネやメルは、異世界人を見極める審美眼を持ってはいなかった。そのため来訪者はすべて拒絶するという結論に至らざるを得なかったのである。
生きている人間が相手ならば、気兼ねなく追い返せるだろう。
だが死者は違う。死者の魂を追い返すということは、生き返るチャンスをメルの手で握り潰すことに他ならない。
すなわち、お前は『死ね』と改めて宣言するようなもの。
そして――、
メルは如月ユメが去っていった扉を、じっと見据えた。
市長の言う通り、『導きの間』を閉鎖すること自体は簡単だ。しかしシステムを停止させない以上、異世界人の流入は止まらず、どんどん待機列が増えてしまう。
自分が追い返さなければ、彼らはずっと『導きの間』に閉ざされたまま。
それは、ある意味『死』と同等だとメルは考えている。
だからメルは『導きの間』が完全停止するまで、この仕事を辞めるつもりはなかった。
なんで自分がこの仕事をやらなくちゃならないのかと嘆くことはあっても。
自分のために休暇を要求することはあっても。
一刻も早く、迷い込んだ異世界人を元の世界へ帰してあげたいから。
『メル。ちょっと早いけどお昼にしよう。ルビィも呼んでくるよ』
「うん。ありがとね、フィー」
今は親友の気遣いが、とてもありがたかった。