04.自称女神の実力
メルが運び込まれた場所は、どうやら狩猟小屋のようだった。
木造の内装に、動物の毛皮や骨、猟銃をはじめとする狩猟用の道具が雑然と転がっている。人の出入りが少ないのか、汚れているというよりは全体的に埃っぽかった。
ずた袋を解かれ、後ろ手に縄で縛られたメルは、砂埃が積もる床へと横たえられる。
その顔は悲壮感に満ちていた。
「こ、こういう時って、普通の女の子なら怯えて声が出ないっていうし、私みたいな強気な性格だったら無駄に虚勢を張るんだろうけど……ちょっと待って。今は何もできそうにない。か、身体が痛い。もうちょっと丁寧に運んでほしかったよぉ」
「独り言の多い女だな」
小汚い寝台に座る盗賊のボスが、呆れるように言った。
しかしメルの訴えにも正当性はある。無理やりずた袋に包まれ、荷物のように担ぎ上げられてから数十分。ずっと道なき道を歩いていたのか、運ばれ心地は最悪だった。おかげで全身の筋という筋が悲鳴を上げている。
というか、メルを運んできた手下二人も腕を痛めてる様子。外で四人くらい見張りをしているようだし、一回くらい代わってやれよと、メルは少しだけ同情した。
「それで、これから私はどうなっちゃうわけ?」
「安心しな。別に取って食おうってわけじゃねえ。大人しくしてりゃ何もしねえよ」
「ふーん? じゃあ身代金目当てってことね。女神の私を誘拐するなんて、なかなかお目が高いじゃん。いい値段で交渉できると思うよ」
「は? 女神?」
呆気に取られた盗賊たちが、無言でお互いの顔を見交わした。
予想していたのと違う反応を前に、メルの方は首を傾げる。
ふとルビィの言葉を思い出した。コイツらって確か余所者なんだっけ?
「もしかして私が女神だから誘拐したんじゃないの?」
「さっきから女神女神って何言ってんだ。頭おかしいのか」
は、恥ずかしいいいいい!!!
自意識過剰ここに極まれり。熱くなっていく顔を隠したかったが、両手を縛られているので断念した。
「ま、面は良いから女神ってことにしといてやるよ」
「やめて! 恥の上塗りをしないで!」
盗賊に気を遣われるとか、末代まで笑い者にされそうな屈辱だ。
「身代金もいいけどな、俺たちの目的はアレン=サンライトなんだよ。お前は王国最強をおびき寄せるための餌さ」
「アレンを? なんで?」
「聞いたぜ。お前、奴と恋仲なんだってな」
「どこのどいつがデマ流しやがった! 今すぐ連れて来い!」
「うるせえな。どのみちアリスト騎士団副団長が一般市民を見捨てるマネなんてしないだろ。もうじき奴は一人でここに来る。さっき手紙を置いてきたからな。奴がどんなに強かろうと、人質がいりゃ手出しはできんだろうさ」
「安く見られたものねぇ」
二つの意味で。と、メルは心の中で呆れ返っていた。
女神の血筋を、ただの釣り餌としてしか使えない情報収集能力の低さ。それに人質がいればアレンに勝てるという見通しの弱さ。本当に救えない。
「裏社会じゃ、アレン=サンライトの首に賞金が懸かってるからな。うまくぶっ殺しゃ、たんまり報酬が手に入るってわけよ。お前はそこで恋人が殺される様を黙って見とけ。終わったら解放してやる。いや、お望み通り身代金をふんだくってやってもいいかな。へっへっへ」
「……は?」
メルが凄むのと同時――、
一瞬にして室内が威圧感に包まれ、盗賊たちの間に緊張が走った。
ただ昨夜と違い、怖気づくまでには至らなかった。ここまでは自分たちの筋書き通りなのだから。
「お出ましか?」
メルとの無駄話をやめ、盗賊のボスは外の方へと視線を移す。
しかし待てども待てども手下からの報告はない。アレンが到着したのではないのか?
まさか、すでにやられてしまったのか? 今の一瞬の殺気の間に? 手下の悲鳴や戦闘音も立てず? そんなバカな。
王国最強の一端を垣間見て、盗賊たちは自然と生唾を呑み込んでいた。
もちろん、すべては彼らの勘違いなのだが。
「お前らは三つ間違いを犯している」
低い声で唸ったメルが、ゆっくりと姿勢を正し始めた。
後ろ手に縛られたまま、脚の力だけで立ち上がる。
「一つ。人質を取ったところで、あんたらじゃアレンには勝てない。アイツは人質が傷つけられる前に、すべてを解決させる」
ボスと手下二人の視線が、メルの方へと戻った。
おぼつかない足取りでゆらゆら揺れる彼女に対し、盗賊たちは警戒心を滲ませる。
「二つ。私の前で二度も『殺す』って言った」
「おい、大人しく座ってろ。抵抗するってんなら容赦はしねえぜ」
「三つ」
サーベルに手を掛ける盗賊たちを前にしても、メルは止まらない。
なぜなら――、
「私はアレンよりも百倍強い!」
刹那、メルの両手を縛っている縄が爆発した。否、素手で引き千切ったのだ。
いくら粗悪品だとはいえ、人の力で千切れる代物ではない。しかも相手は細腕の女。何かの見間違えと自分に言い聞かせた方が、まだ納得できるというものだろう。
しかし残念なことに、メルが自力で拘束を解いたことは事実だった。
そして信じがたい現実は、痛みとなって襲い掛かって来る。
大きく一歩を踏み出したメルが、手前にいた手下の懐へと潜り込んだ。がら空きになった彼の下顎へと、掌打をお見舞いする。
次いで片脚を軸に身を翻す。高々と振り上げられた回し蹴りが、もう一人の頬骨を砕いた。
「なっ――」
わずか二秒の間に二人を昏倒させたメル。
対する盗賊のボスは、未だにサーベルを鞘から抜けずにいた。
「ボス? 今の音は……」
異変を感じ取った外の見張りが扉を開ける。メルは迷わずそちらへ突進。男の鳩尾へ拳を叩き込むと、襟首を掴み、その巨体を思いきりボスの方へと投げつけた。
「ぐっ」
気絶した手下とともに、寝台から転げ落ちる盗賊のボス。
その間に、メルは次々と小屋に入って来る手下どもを相手にする。
下顎に拳、下腹部に肘、股間に蹴り。自分より二回りは大きい大の男たちを、ほぼ一撃で葬り去っていく。
「な、なんだってんだ、テメェは……」
ようやく起き上がった頃には、意識があるのはボスただ一人となっていた。
「さっきから言ってるでしょ。私は女神だって」
「女神がこんな乱暴なわけねえだろうが!」
「偏見! それ偏見だから! 女神にだっていろんな性格があるんだから!」
「だからって……いや、認めねえ。俺は認めねえぞ。こんな小娘が俺やアレン=サンライトの上を行くなんて……」
「女神の祝福を受けた勇者の孫より、女神の孫の方が強いのは当然だと思うけど?」
メルが持論を持ち出すも、すでにボスの耳には届いていないようだった。
頭に上った血液が顔面を真っ赤に染め上げ、正常な思考能力を奪っていく。あるのは目の前の敵を排除したいという欲求のみ。
「許さねぇ。絶対に許さねぇ」
プライドに支配され、獣にすら劣る判断能力が退路を失わせる。
鞘を投げ捨て、全身が露わになったサーベルをメルの脳天目がけて振り上げた。
「死にさらせやあああああ!!!」
「だから――」
泣いて謝ったら許してやろうという女神の慈悲は、メルが握った拳の中で粉々に砕かれたのだった。
「私の前で気軽に『死ね』とか『殺す』とか吐くなっつってんだろうがああああ!!」
最小限の身のこなしから放たれた正拳が、ボスの顔面へと叩き込まれた。
鼻が曲がり、前歯が飛ぶ。そして意識を失いつつあった。
薄れゆく視界の真ん中に見えるのは、鬼の形相を浮かべた自称女神。
昨日もほんの一瞬だけ垣間見たはずだ。何故あの時、この小娘の殺気だと気づかなかった? 何故、関わってはいけない人間だと分からなかった? アレンが割り込んできたから? プライドが邪魔したから?
どのみち今さら後悔しても、もう遅い。
正拳を顔面で受け止めてからコンマ数秒。今日、昨日、そしてそれ以前の記憶を走馬灯のように思い出しながら、盗賊のボスは完全に意識を失ってしまった。
「よし。これで一件落着っと」
衣服に付いた砂埃を適当に払い落とした後、メルは床に伏す男たちを見下ろした。
これほど完膚なきまでに打ち負かしてやったのだ。今度はルビィを人質に、なんてことにはならないだろう。
「さて。コイツらの始末、どうしたものかね……」
とはいえ、あまり心配してなかったりする。
屋外を疾走する足音が、次第にメルの耳にも届くようになってきたからだ。
「メル! 盗賊たちは無事かい!?」
「一回だけ訂正するチャンスをあげる」
「……メルが無事で安心したよ」
「ま、及第点ってところね」
報せを受け一目散に駆けつけても、この扱い。自分に対するメルの態度は今に始まったものではないので、アレンの方も慣れたように肩を竦めるだけだった。
「んじゃ、後片付けはお願いするわ。労災で休暇も取れそうにないし、私は端っこで不貞腐れてるから」
「君が大人しく捕まった理由が分かったよ。ともあれ――」
苦笑いを浮かべつつも、アレンはメルの前で片膝を折った。
「我が女神様の仰せのままに」
「むっふっふ」
満更でもない様子で、少しだけ機嫌を直すメル。
自称女神は、自分を女神扱いしてくれるこの騎士が意外と嫌いではないのだった。