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02.自称女神の慟哭

 今からおよそ五十年前、人類と魔族の存亡を懸けた大きな戦いが始まった。

 後に神魔(じんま)大戦と呼ばれる戦争である。


 はじまりは魔族の侵攻によるものだった。突然変異体として生れ落ちた魔族が王を名乗り、本来群れを為す習性のない魔族を統率し始めたのだ。魔族よりも身体能力が劣る人間に勝ち目はなく、人類は瞬く間にその数を減らしていった。


 このままでは人類が滅亡してしまうと判断した神々は、救いの手を差し伸べる。


 ある神は勇気ある者に加護や祝福を授け、ある神は聡明な者に魔法を与え、ある神は他の世界から力ある者を召喚できるシステムを構築した。


 神々の介入の甲斐あってか、二十年にも及ぶ戦いの末、人類は勝利することができた。


 種族の頂点に君臨していた魔王を失った魔族たちは、今まで通り散り散りに。魔王に代わって魔族を統一しようとする者も、ついぞ現れることはなかった。


 そうして平和となった地上を見届けた後、神々は「あばよ!」と言って神界に帰っていったのだった――。





「って、『あばよ!』じゃねえんだよおおおお!!!」


 空になった樽ジョッキをカウンターに叩きつけながら、メルは絶叫した。


 何事かと驚いた人々がメルの方を振り返る……ということはない。背後のテーブル席では、すでに出来上がっている他の客たちが、メル以上に声を張り上げて談笑しているのだから。屈強な冒険者や日頃のストレスを発散している労働者を前にしては、さしものメルも霞んでしまっていた。


 もっとも今のメルは街娘の装いなので、未成年飲酒という意味で注目されかねないが。

 でも大丈夫。ここはメル行きつけの酒場。店主の信頼はすでに得られている。


「なんで私が神さまの尻拭いをしなきゃいけないの!? 今日なんて異世界人から『女神に見えない』だの『自称女神のお子様』だの言われてさ! こっちだって別に好きでやってる仕事じゃないっつーの! あーもうムカつく腹立つ頭にくる!!」

「よしよし。今日はいつになく荒れてるねぇ、メルちゃん」


 情緒不安定なメルの頭を撫でるのは、隣でちびちびとビールを舐めてる女性だった。


 彼女の名はルビィ。メルの幼馴染であり親友であり飲み仲間である。

 ブロンド乙女のメルとは正反対の黒い髪。地味なメガネと長めの前髪で己の存在感を消しつつも、胸元の自己主張は意外と強い。その魅力的な肉体のせいか、ギルドの受付嬢を務める彼女は、依頼を受けに来る冒険者から多大な人気を集めていた。


 そんな母性溢れる幼馴染の二の腕に、メルは全力で頬ずりし始める。


「ルビィ。もっと私を褒めてぇ~、もっと労ってぇ~」

「メルちゃんは頑張ってる。メルちゃんは立派。メルちゃんはすごい」

「ついでに仕事も変わってぇ~」

「それは無理☆」

「うわーん! ルビィの方がよっぽど女神っぽい身体つきしてるのにぃ」

「いくら女神っぽくても、それはメルちゃんにしかできない仕事だからね~。私はメルちゃんのような特殊な生まれじゃないし、フィーみたいに頭が良いわけでもないし、ただの一般人には受付嬢程度がお似合いなのさ~」


 お互い酩酊しているためか、先ほどからふわふわした会話が続いていた。


 ルビィが言うように、女神の仕事は女神の血を引くメルにしか務まらない。


 では平和になった世の中で、何故メルが未だに女神業を続けなくてはならないのか。

 その原因は、三十年前の神魔大戦終結時まで遡る。


 魔王軍が解体され、人類滅亡の危機が去った後、役目を果たした神々はさっさと神界へ引き上げていった。


 そう、人類に助力した痕跡を地上に遺したまま、一切の後始末をせずに。


 具体的に言えば、魔法が記された書物だったり、神秘を纏った神造兵器だったり、地上に滞在するため仮宿として造った神殿だったり。それらを総合して『神遺物(レリック)』と呼び、三十年経った今でも調査を余儀なくされているのである。


 その『神遺物』の一つに、異世界人選別システムなるものがある。


 人類の戦力を増強するため、とある神が構築した。事実、異世界から呼び寄せた助っ人は魔王討伐に一役買っており、そのシステム自体は非常に有用だった。


 だが、その後がマズかった。神はシステムの停止や解体をせずに帰ってしまったのだ。


 肉体から剥離した魂か、もしくは肉体そのものが来るケースもあるが、現在でも定期的に異世界人が迷い込んできてしまうのである。


 戦力が不要となった今、むやみやたらと異邦人を迎え入れるわけにはいかない。

 かといって放置できない理由もある。


 本日、メルと寺沢優斗のやり取りがあった空間を『(みちび)きの()』と呼ぶ。いくら神が造った代物とはいえ、その容量は決して無限ではない。異世界人の流入が止まらなければ、いずれは飽和してしまうだろう。


 仮に『導きの間』が異世界人で満たされたらどうなるのか。


 システムは崩壊し、『導きの間』で留まっていた異世界人が溢れ出て来てしまう。それどころか、あらゆる世界と常に繋がった状態になり、誰でも自由に行き来できるようになってしまう……と言われているのだ。


「そりゃ制限なしに異世界人がやってきたら、この世界の秩序が乱れて大変なことになるってのは理解できるけどさぁ。だからって、なんで私が……」

「お願いメルちゃん! 世界の運命はメルちゃんの双肩にかかっているの!」

「そんな大それたものでもないでしょ」


 大して飲んでいないはずの酔っ払いを、メルは軽く小突いた。


 増え続ける『導きの間』の人口を飽和させないためには、やって来る人数以上の異世界人を追い出す必要がある。つまり一人一人と面談し、『あなたには適性がありません』と問答無用で突き返せばいいのだ。神魔大戦の時、本物の女神が選別していたように。


 現在その役割を担えるのが、女神の血統を有しているメルだけだった。


 いや、彼女の母親が前任者だったように、大陸中を探し回れば一人くらい女神の血筋がいるかもしれない。ただ選別システムがあるこの街に生まれたメルが貧乏くじを引いた、というだけの話だ。


 ともあれ、生まれのせいで勝手に職業を決められた身としては、愚痴の一つや二つ出てくるのも当然だった。


「けど悪いことばかりでもないんじゃない? ほら、メルちゃんって普通の人に比べたら老けにくいみたいだしさ。同い年とは思えないくらい肌が艶々してるのは羨ましいなぁ」


 何を思ったのか、ルビィがメルの両頬を抓んで横に伸ばし始めた。


「すご~い、柔らかくてモチモチしてるぅ。面白~い。キャハハ」

「うへぇ~、なにすんのぉ」

「あと十年もしたら、メルちゃんも立派な大人になってると思うよぉ。メルちゃんのお母さん……カーネさんを見れば分かる。確か今年で四十歳なんだっけ? 四年前の時点で、どう考えても二十代前半にしか見えなかったからねぇ。女神の血統は年を取るのが遅いのさぁ」

「私は今子供扱いされたくないんだけど!」


 ルビィなりの慰めのつもりらしいが、メルとしては揶揄われてるとしか思えなかった。


 それはそうと、そろそろ退店しなくては。ルビィの高笑いはお開きの合図だ。

 追加で注文していたビールを一気に喉へと流し込む。さらに酔いが回ったせいか、少しアンニュイな気分になってしまった。


「お母さんかぁ。今どこで何してるのかなぁ」


 無意識に漏れた言葉は、酒気とともに空気中へと霧散していった。


 成人したメルに仕事を押し付け、家を飛び出していってから早四年。風の便りによれば大陸中を駆け回っているらしいのだが、今まで一度として連絡を寄こしたことはない。


 寂しいといえば寂しい。けど、これも仕方のないことだと諦めている。


 純女神と人間の男性の間に生まれたカーネは、ある意味『神遺物』なのだ。人間の物差しでは測れない考え方があるのだろう。


 むしろ、よく今まで我慢できていたなと思う。母も無理やり女神業に就任させられたと聞くし、二十年間の欲求が積もりに積もって爆発したんだと考えれば納得がいく。まあ、捨てられた父は可哀想だが。


「とにかく! いつか『導きの間』が解体できたら、女神業なんて廃業してやる! もし女神にしかできない他の仕事があったとしても知らん。私は怠惰に生きてやる!」

「おおー!」

「それか楽な仕事を見つけて第二の人生を送るのもいいかもね。女神の余生はギルド受付嬢、なんてさ」


 叶ったとしても、いつになることやら。と、メルは自嘲気味に鼻で笑った。

 さて、撤収撤収。明日も仕事だし、悪酔いする前に帰らないと。


 そう思い、退店を催促するため隣に目を向けたところで――ルビィがすごい顔をしていることに気づいた。


「メルちゃんは全然分かってない。何にも分かってないの!」

「ふぇ?」


 メルが呆けている間にも、ルビィは残っていたビールを一気に呷った。


 しまった、遅かったか!


 あまり酒に強くないルビィが一気飲みをするのは、変なスイッチが入った証だ。知らず知らずのうちに地雷でも踏んじゃってたかな?


「ギルドの受付って、なんで若い女性が多いんだと思う? ウケがいいから? 違うの、誰もやりたがらないからなの! 激務で薄給! だから先輩方は裏方に回って、新人たちに受付を押し付けているの! 余生でできる仕事じゃない!」

「えっと、さっき自分で受付嬢程度って言ってなかったっけ?」

「それは誰にでもできるって意味! 受付はきつくて辛くてハードな仕事なの!」


 バンッ! とカウンターを叩きつける勢いで、メルの身体が数ミリだけ浮いた。


 メルとしても、自分だけ愚痴を聞いてもらって「はい、さよなら」と言えるほど薄情ではない。相手が親友なら、溜め込んだ不満の捌け口になることは大いに歓迎だが……ルビィの血走った目と荒い鼻息には、若干どころじゃないくらい引いていた。


「今日も大変だったんだから! 勝手の知らない余所者が順番を守らずに割り込んできてさ、新規は冒険者登録をしないと依頼は受けれないって何度も何度も説明してるのに、単発だから構わねえだろとか訳の分からないこと言ってくるしさ。挙句の果てには今夜一緒にどうだとかセクハラしてくるしさ! 汚い唾は飛ばしてくるわ、他の冒険者には喧嘩売るわで本当に最悪だった! もう二度と来るなよ、あのハゲえええーー!!」

「なあ、嬢ちゃん。それって俺のことだよな?」


 突然、頭の上からドスの効いた第三者の声が降ってきた。


 二人同時に振り返る。「あ、ハゲだ」と言葉を呑み込んだメルはすべてを察し、酔いが一気に醒めたらしいルビィは「あちゃー」と天井を仰いだ。


 背後にいたのは大柄の男。冒険者というよりは盗賊みたいな出で立ちだ。


 ルビィの話では冒険者登録を拒み、単発の依頼を求めていたという。なるほど、身分が証明できない類の人間なんだな。とメルは思った。


「お昼ぶりですね、お客様。いつからお聞きになられていたのですか?」

「あんたが飲み始めた時には、もうこの店にいたぜ。へっへっへ」


 酩酊状態から一変、営業スマイルを浮かべるルビィ。さすがのプロ根性だ。


 対する男の方も、ハゲと揶揄されたにもかかわらず意外と穏やかな表情をしていた。ニヤニヤとだらしなく口元を緩ませているのは、見るに堪えないが。


「俺のこと話題にしてくれて嬉しいぜ。お前もその気なんだろ? さっきの暴言は聞かなかったことにしてやるから、今から俺の相手しろよ」


 馴れ馴れしく肩を掴んでくる男に、ルビィは困り顔で「あはは」と返すだけだった。


 んな無理やりナンパしたところで痛い目見るだけだと思うけどなぁ。と、男を憐れな眼差しで眺めつつ、メルは店内に視線を向ける。


 二人のやり取りに気づいた客から順番に、こちらの様子を窺っているようだった。こういう場合、ルビィにカッコいいところを見せたいがため、誰かしら率先して助けに入って来そうなものだが……。


 もう少し視線を横に寄せたところで、メルは合点がいった。ハゲの子分らしき男たちが店の一角を占領しているのだ。一対一なら何とかなる相手でも、集団となれば話は別なのだろう。てか、本当に盗賊みたいだ。


 やれやれ、こうなったら仕方がない。親友のために一肌脱いでやろう。

 小さく息を吐いたメルは、盗賊の男を睨み上げた。


「失せろ。せっかく友達と楽しく飲んでるのに邪魔してくんな」

「ガキにゃ興味ねえんだよ。そっちが失せろ」

「ガキじゃないもん!」

「メルちゃん、その反論は予想できたでしょ……」


 渦中の人に呆れられてしまった。


 涙目で頬を膨らませる小娘を前にして、さすがの盗賊も毒気を抜かれたらしい。ルビィのことは諦めずとも、軽くあしらう感じで鼻を鳴らした。


「ま、いいさ。友達か何か知らんが、俺の邪魔をするってんなら――」


 腰に下げたサーベルを手に取り、鍔を親指で弾く。

 濁った刀身がわずかに覗いた。


「殺すぜ?」


 本気で実行するつもりのないことが見え見えの脅迫。相手が女だから、これで黙ると思っているのだろう。実際、普通の人間なら刃物が出てきた時点で多少は威勢も衰えるというもの。


 だが、目の前の女性は普通の人間ではなかった。

 それどころか、その言葉は決してその女性の前では口にしてはいけなかった。


「は? ……殺す?」


 刹那、店内の室温が急激に下がった。無数の刃物が全身を刺すような寒気に襲われる。


 突然の変化に、盗賊は身を強張らせることしかできなかった。


 死を意識させられる感覚はもちろんのこと、得体の知れない威圧感の出所が把握できない恐怖もある様子。額に浮かんだ冷や汗を振りまきながら、怯えた小動物のように左右を見回していた。


 ふと、正面にいる童顔の女と改めて視線が交わう。

 先ほどまでのふざけた面持ちは消え、本気でこちらを睨み返していた。


 まさかこのガキが? いくつもの修羅場をくぐってきた俺を気圧しているのか? そんなバカな。


 信じられない。認めたくない。しかし身体に刻まれた経験は正直だ。


 一刻も早くこの場から逃げ出したいと訴える本能が、無意識のうちに一歩引かせた、その時――盗賊の背中に何かがぶつかった。


「殺すとは穏やかじゃないね」


 張りつめた空気とは場違いな軽い声が、三人の間に割って入った。


 誰もが声の主の方へと振り返る。その身で盗賊の退路を塞いでいるのは、背の高い金髪の青年だった。


「や」


 朗らかな笑みを浮かべた青年が、メルとルビィに手の平を見せた。


 三人の反応は三者三様だ。

 ルビィは驚いたように口を開け、メルは眉間に皺を寄せて露骨に嫌悪する。

 そして盗賊の男はというと――、


「あっ……お、お前はッ……」


 苦虫を噛み潰したように口元を歪めながら、青年の顔を凝視していた。


「王国最強の男、アレン=サンライト……」

「王国最強?」


 訝しげに首を捻った青年――アレンは、メルの方を一瞥した。


「その称号に見合う男になるため日々研鑽を積んでるつもりだけど、大々的に言われるのはまだ憚られるかなぁ」

「謙虚なこって」


 そう呟いたのはメルだ。アレンにも聞こえていたようで、彼は苦笑いで返した。


「なるほどな。今の殺気はテメェだったのか……」

「殺気? 何のことだい?」


 呆けるアレン。

 だが盗賊の男は確信していた。自分が足を竦ませた相手が王国最強なら納得だ。


 苦々しげに歯を食いしばった盗賊が、ルビィとアレンの顔を交互に見やる。結局、危険を冒してまで得たいものではないと判断したのだろう。大きな舌打ちを残し、子分を引き連れて店から出て行った。


 集団の最後尾が完全に見えなくなってから、アレンは改めて二人へと向き直った。


「久しぶりだね、メル。それにルビィさんも。お邪魔だったかな?」

「いえ、とても助かりました。ありがとうございます」


 ルビィがお礼を言って頭を下げる。

 その傍らで、メルが不機嫌を隠そうともせず吐き捨てた。


「王都での仕事はどうしたのさ?」

「公務が一段落したから休暇を貰ったんだ。ダリナ祭まで地元で過ごそうかと思ってね」

「は?」

「ん?」

「ダリナ祭ってまだ十日くらいあるじゃん! そんな長期休暇が簡単に取れるなんて、王都の騎士様は仕事が楽でいいわね~」

「あはは」


 歯に衣を着せないメルの皮肉に、アレンはまたも苦笑いを浮かべた。


 王都アリストメリアには、王都内の犯罪を取り締まるメリア警備隊と、魔獣や魔族の襲撃から護るアリスト騎士団の、二つの治安維持部隊がある。女神の祝福を受けた勇者の孫であり、かつ人類最高峰の実力を買われたアレンは、若くしてアリスト騎士団の副団長に任命されていた。


 メルたちが住む街――ダリナ市と王都は、半日ほど馬車を走らせれば行き来できる。とはいえ副団長ともあろう立場の人間が休暇を取り、こんな田舎まで足を運べるということは、近郊に生息する魔獣の脅威が減っているのだろう。


 それ自体は良いことだ。と、メルは思うのだが……。

 今一度アレンの顔を盗み見る。


 幾度となく嫌味を言っても崩れない笑顔。腹が立つほどの優男。心の底から嫌っているわけではないが、これほど動じない態度を取られれば、反抗心も抱きたくなるというものだ。


「で? そんな恰好で何しに来たの? ここ飲み屋なんだけど」


 メルの指摘はもっともだった。


 青銅の胸当てに、土の付いたレギンス。腰にはアリスト騎士団の紋章が施された剣を携えている。まるで訓練を終えた直後のような装備。とても酒場でリラックスできる服装ではない。


「帰省したことを君に一番に知らせたくて、一目散に飛んできたからね」


「ひゅ~」と、どこからか聞こえた口笛を、メルは眼力で黙らせた。


「ったく、女の子に会いに来るんなら髪くらいセットしなさいよ」

「僕がくせ毛なのは知ってるだろ?」


 縦横無尽に飛び跳ねている金色の髪を、アレンは困ったように指で摘まんだ。


 好いている女性に会う時って、普通は身だしなみを整えるものだけどなぁ。と、メルは何度目か分からない大きなため息を吐き出した。


 ふと、メルの脳裏に妙な違和感が過る。


 真っ先に自分に会いたかったというのは理解できる。でも、アレンがここにいる理由に繋がらない。どうやってメルが酒場で飲んでることを知ったのだ?


「まさか……お父さんから聞いたの!?」

「そりゃそうさ。真っ先に向かったのは君の家なんだから」

「うわぁ、最悪。帰ったら絶対に面倒くさいこと言われるぅ」

「頭目を斬りたくば先ずは子分を射よ、ってね」

「十年前から本丸を攻め続けてる奴が今さら何言ってんの!?」


 自分の知らないところで話が進んでそうで、メルは頭を抱えてしまった。


 二人の馴れ初めはアレンの一目惚れだった。


 当時メルは十二歳。三つ上のアレンは十五歳。騎士としての門出を前に、形式的なものではあるが、メルの母親に祝福してもらった時に知り合った。以来十年間、顔を合わせる度に求婚され続けている。


 最初は満更でもなかったメルも、様々な事情(というかメルの個人的な我が儘)により今は男女の関係になるつもりはない。と断っていくうちに、だんだんと鬱陶しく思うようになってきた。それだけアレンがベタ惚れだったのだ。


 結局、今は付かず離れず。アレンが好意を向け、メルが軽くあしらうという微妙な距離感に落ち着いていた。


「さて、それじゃあ僕は退散しようかな」


 と言って、アレンは踵を返した。


「なに、今日は潔いじゃん。どうした?」

「顔を見せに来ただけだからね。夜も更けてきたし。しばらくダリナ市に滞在するから、僕に会いたくなったらいつでも家に来てくれ」

「行くわけないでしょ!」


 牙を剥くメルを尻目に、ルビィと挨拶を交わしたアレンは早々に去っていった。

 背中が見えなくなるまで舌を出した後、メルは今日一番のため息を吐き出した。


「盗賊のクレーマーにお惚気副団長。せっかくの楽しい雰囲気が台無しじゃん。ホント、嫌になっちゃう」

「メルちゃんの方はまだいいよぉ。私なんて、明日また嫌がらせに来たらどうしよう」

「その時は言って。私が必ずルビィを守るから」


 とは言っても、それは明日の話。今の壊れた空気はどうすることもできない。


 すっかり酔いが醒めてしまった。かといって飲み直す気力もないし、この最悪な気分のままお開きかぁ。と肩を落とした、その時……事の成り行きを見守っていたらしいお調子者が、店内に響き渡るほどの大声を上げた。


「自称女神メル=クローム! アリスト騎士団副団長アレン=サンライト! 果たして、この二人はいつくっつくか! さあ、はったはった!」


 すると、そこらかしこから「一年後!」「三年後!」などの声が上がり、さらには「三日後!」と叫ぶ輩も出てきた。


 さすがのメルも、これにはお冠だ。


「うるさーい! 誰があんな奴とくっつくか! あと私は自称じゃない! ちゃんとした女神だもん! お前ら、顔覚えたから覚悟しとけよ!」


 メルが威勢を張ると、店内に爆笑が巻き起こったのだった。

 自称女神は意外と人気者なのである。

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