11.自称女神の幼馴染
騎士を相手に全力で戯れた翌日。
メルは二日酔い以上の気怠さを全身に感じていた。
「休みの日に何をやってるんだ。私はバカなのか」
身体の節々が痛い。完全に筋肉痛だった。
疲労が溜まっていたせいか、起床時間もギリギリ。重たい身体を引きずって何とか出勤し、『導きの間』に入ったところで真っ白な地面へと倒れ込んだメル。こういう時、他の職員の目がないことが、この仕事のメリットといえよう。
『メルー、どうしたー? サボるんなら先に言ってくれ。時間がもったいないから他の作業をしたいんだけどー』
「ごめん、すぐに起きる」
一応、上司が視てるんだった。
慌てて起き上がったメルは、すぐさま準備運動に取り掛かる。そして咳払いをして気合いを入れた後、本日の第一異世界人を招き入れた。
「それでは最初の方、どうぞ!」
メルが合図をすると、異世界人が現れた。
淡い茶色に染められたショートカットの女の子。顔立ちや学生服から判断しても、やはり日本人なのだろう。長年の経験から、メルは日本人を区別することだけには自信があった。
「……?」
ふと違和感を覚えた。日本人の女の子が、メルを見つめて微笑んでいるのだ。
日本からの転移者は、ほぼ必ずと言っていいほど同じ行動を取る。
転移自体が不本意であったかのように驚き、戸惑い、不安げに周囲を見回す。そしてメルの説明を聞いて初めて状況を理解するのだ。魂と肉体、どちらのパターンであっても、これは変わらない。
また日本人以外だと、召喚魔法などで意図的に転移してくる場合が多い。それでも『導きの間』内部を物珍しそうに観察、警戒する人がほとんどだった。
しかし目の前の少女は違う。
まったく動揺した様子がないのは、まるで『導きの間』の事前知識があったかのよう。自分がここにいるのは当たり前だとでも言わんばかりに、少女はにこにこと微笑みながらメルと視線を交わしていた。
メルの方が戸惑ってしまっていると、少女の素性を伝えるフィーの通信が入った。
『彼女の名前は明星瑠璃。日本人だね。年齢は十四歳。学生。肉体のままこっちに来てるパターンだ。でも、これは……んん?』
「どうしたの?」
『どうやって『導きの間』へ辿り着いたのかデータがないんだ。というか、見れないようにノイズが入っている? なんだろ、これ。日本人で肉体のままだから、神隠しみたいなものだと思うんだけど……』
神隠し。世界間の境界が薄い場所を歩いていたら異世界に来てしまったパターンだ。
不慮の事故や召喚魔法など、『導きの間』へ辿り着いた方法や過程は必ず存在する。フィーの魔法は、そこまで調べられるはずなのだが……。
目の前の少女は、それが分からない? こんなことは初めてだ。
どう切り出そうかメルが迷っていると、少女――明星瑠璃が先に口を開いた。
「おはよう、メル。久しぶりだね」
「え?」
名乗る前に名前を呼ばれ、メルはさらに困惑してしまった。
通信先のフィーも同じようだ。彼女には珍しく、息を呑む声が聞こえた。
ごく低確率だが、異世界人がメルの名前を知っていても不思議ではない場合がある。以前ここを訪れた友達から話を聞いていたとか、そもそも明星瑠璃自身が二度目の訪問という可能性も。メルの方は彼女のことを覚えていないが。
すると瑠璃は、さらに驚くべき事実を口にした。
「驚かせちゃったみたいだね。私はラピスだよ。十五年前に魔族に殺された後、日本人に転生したんだ」
「えっ、えっ、えっ?」
「メルとルビィとフィーの四人で、昔はよく遊んでたよね」
『…………』
頭の中が真っ白になったメルは、無意識のうちにフィーに確認を取っていた。
「本当に……ラピスなのかな?」
『転生前の素性までは分からないよ。でもメルはともかく、私とルビィとラピスの名前を知ってるってことは……ほぼ間違いないと思う』
フィーが断言した、その瞬間――、
「ラ、ラ、」
メルの目尻に涙が溢れた。
「ラピスぅ~!」
恥も外聞もなく喚き声を上げたメルが、瑠璃に抱きついた。
二十二歳と十四歳。八つも違うのに、見た目はほとんど同年代。それどころか、泣きじゃくるメルの頭を撫でて宥めようとする瑠璃の方が年上っぽく見えた。
けど、それも仕方のないこと。
「ごめんね、ラピス。あの時、守れなくって……」
「大丈夫だよ。森に行きたいって言ったのは私だし、まさか魔族が現れるなんて誰にも想定できなかった。メルの責任じゃないから、気にしないで」
「うぅ。ごめん、ごめんね……」
とはいえ、あの中で魔族を撃退できる可能性があるのはメルだけだった。そのメルが腰を抜かしたせいでラピスが犠牲になったのだから、感じる責任も大きくなるというもの。この十五年間、彼女に謝る夢を見たのも、一度や二度ではない。
それが今や現実となったのだ。
謝り、そしてラピスが許してくれたことで過去が変わるわけではないが、メルの心は少しだけ軽くなった。
「お互い過去のことは忘れよう。もう終わったことだしさ。メルとは今の話をしたいな」
「ねえ、フィー。ラピスと少しお話してもいいかな?」
『……いいよ。話すだけならね』
含みのある言い方は、こっちの世界に入れてはダメと言外に言ってるようなもの。もちろんメルも承知済みだ。
上司の許可も取れたため、二人はその場に腰を下ろした。
「メルはカーネさんの後を継いで女神業をしてるんだよね? フィーとルビィは何してるの? 元気?」
「二人とも元気だよ。フィーは解析課の課長で、私の補佐もしてくれてる。この会話も外で聞いてるよ」
「おーい、フィー! ちゃんと太陽の光には当たってるかい?」
「……『余計なお世話だよ』だってさ」
「にしても解析課の課長かぁ。昔から天才肌だったもんね。私も研究職が向いてると思ってたんだ」
「逆にルビィはギルドの受付嬢やってるけどね」
「うそ! あの引っ込み思案のルビィが? 人と話す仕事を? 大丈夫? ちゃんとやれてる?」
「もちろん。なんたってルビィはナイスバディに成長したんだから」
そう言って、メルは胸とお尻を強調する仕草をした。
なるほど、その肉体で冒険者を魅了してるわけかぁ。と、二人で笑い合った。
「そういえばラピスって二ホンに転生したんだよね?」
「うん」
「一度聞いてみたかったことがあるんだけどさ、『導きの間』に来る異世界人の半分くらいは二ホン人なんだよね。何か原因っていうか、心当たりある? 異世界に理解度が高いと迷い込みやすいみたいなんだけど」
「それはたぶん異世界転生や異世界転移の創作物が多いからだと思うよ。昔からあったけど、最近は特に増えたみたい。異世界でスライムになったり、主人公が死に戻りで何度もタイムリープしたり、悪役令嬢に転生したり」
「ふうん?」
スライム? 死に戻り? 悪役令嬢?
いくつかは他の日本人も口にしていた言葉だ。けど理解するには時間がかかりそう。とりあえず日本人が多い理由は、創作物のせいだと分かった。
「二ホンってどんなところ? 魔法はないんでしょ?」
「うん。科学十割の世界だよ。魔族も魔獣もいないから、人と人……というか国と国の戦争が多いかな。日本は比較的安全だけど」
「やっぱり科学の発展には、人同士の争いは避けて通れないのかぁ」
「それは仕方のないことだと思うよ。戦争があったからこそ、今を生きる私たちは便利になった世の中を享受できてるんだから。その中でも、一般人として個人的な大発明はやっぱりアレだね。ウォシュレット!」
瑠璃が少々興奮気味に言った。
「うぉしゅれっと?」
「トイレ関係の機械なんだけどね。水が自動でお尻を洗ってくれるの」
「水が、自動で、お尻を洗う?」
なかなかイメージできず、メルは首を捻った。
「そっちの世界って、まだ水道は通ってないんだっけ?」
「ラピスのいた頃でも王都にはあったはずだよ。ここ数年でダリナ市の一般家庭にも水道と電気が通るようになったかな。印刷や写真の技術も進歩したし、王都では自動車も開発中なんだって。十五年前とだいぶ変わったと思う」
「科学って、どこの世界でもだいたい同じような過程で進歩するんだね」
瑠璃が感心したように頷いた。
それから少しばかり、お互いの近況報告も交えて、二人は他愛のないお喋りに興じた。
「ねえ、メル」
不意に呼びかけてきた瑠璃の声音は、今までと少しだけ雰囲気が違っていた。
どこかよそよそしげな態度で、申し訳なさそうに視線を伏せている。
「絶対に無理だとは思うけど、一つお願いしてもいいかな?」
「……うん」
もしかして、こっちの世界に入れてくれとでも言うのだろうか。
しかし違和感がある。話を聞いている限り、日本はメルたちの世界よりもだいぶ豊かな国らしい。肉体が死んでいるわけでもないなら、今さら移住する意味なんてないはずだ。
どちらにせよ、たとえラピスが相手であっても通すわけにはいかない。
メルは首を横に振る準備をして、その時を待った。
だが紡がれた言葉は、予想を遥かに上回るものだった。
「近いうちに魔王様がここに来ると思うからさ、できればそっちの世界に入れてあげてほしいんだ」
「…………は?」
『………………』
呆気に取られるメル。
フィーの息を呑む声が、通信越しに聞こえてきた。
「魔王様って?」
「三十年前に、メルの世界で討伐された魔王のことだよ」
「その魔王が『導きの間』に来るって?」
「うん」
フィーがこの場にいたら、お互い顔を見合わせていただろう。
魔王が『導きの間』を訪れる? なんで? どうやって?
あまりにも突拍子がなさすぎて、メルは言葉を失ってしまった。
「ごめん、急だったよね。詳しく説明するから」
「う、うん」
「メルとフィーはさ、神魔大戦が始まった理由を知ってる?」
また変な方向に話が飛んだなと思いつつも、メルは今では一般常識になっている事実を答えた。
「突然変異で生まれた魔族が魔王を名乗って、人類を侵略してきたからだよね?」
「うん、そうだね。でも、それだけだと神々が人類に手を貸す理由がないと思わない? 人類も魔族も、同じ世界に生きる生命体なのに。どうして神々は人類にだけ肩入れしたんだろうね?」
「それは……」
研究者の見解はメルも知っている。
人間は神を信仰するが、魔族は神の教えを真っ向から否定する種族。たとえ全能な神であろうと、自分たちに寄り添う方を贔屓するのは当然である。という結論だ。
だが瑠璃は首を横に振って、メルの知識を否定した。
「違うよ。答えはもっと単純なことだったんだ」
「それは、どういう……」
「魔王はね、この世界の魔族じゃなかったんだよ」
「――ッ!?」『…………』
二人は絶句するも、何となく思い当たる節はあった。
それは科学の発展についての項目。
たとえ人類が滅亡することになろうとも、それは異世界から持ち込まれた技術であってはならない。これは神からの警告だった、というわけだ。
魔王は異世界からやってきた生命だった。
外来種が原因で人類が滅亡することを神は嫌った。
だから魔王を駆除するために、神々は人類に手を貸した。
そして魔王を討った時点で神魔大戦は終わり。魔族の残党を滅ぼすことなく、神々は早々に神界へと引き上げていった。
「魔王様はいろんな世界を渡り歩いて、人類を滅ぼすことを生業としている災厄みたいな存在なんだ。この世界を狙ったのも、今まで滅ぼしてきた数多くの世界の一つにすぎなかった」
「ちょっと待って。なんでラピスはそんなこと知ってるの?」
「三十年前に討伐された魔王が、次は日本に転生したからだよ」
何度目かも分からない衝撃に、二人はまたも二の句が継げなくなった。
まったくもって理解が追い付いていないが、一つだけ確かなことがある。
魔王は今、日本人だということだ。
「それでね、魔王様は人類滅亡を達成できなかったメルたちの世界にリベンジしたいんだってさ」
『リベンジ? 意図的に異世界へ転生できるとなると、まさか……』
何かに気づいたフィーが焦りだした。
姿は見えずとも、彼女の動悸が速くなっていくのが手に取るように分かる。
「どうしたの?」
『魔王の得意な魔法は空間転移だったはず。もし日本人の身体で魔法が使えるなら、『導きの間』とか関係なくこの世界に転移できるかもしれない』
「あっ……」
フィーの説明を聞き、メルの背筋に寒気が奔った。
しかしフィーの言葉をそのまま瑠璃に伝えると、彼女は残念そうに首を横に振った。
「それは無理なんだ」
「どうして?」
「魔王様が生まれたことを危惧して、神々は他の世界から転生や転移ができないように細工をしたの。というより、一ヶ所に集約したって言った方が正しいかな」
「もしかして、それが『導きの間』なの?」
「うん。私や魔王様みたいに中から外に出ることはできるけど、外から中に入るためには必ず『導きの間』を通らなくちゃならないんだ。だからこの世界のどこかで異世界人が勝手に入って来るってことは、できないんだよ」
「…………」
おそらく、瑠璃の言ってることは正しい。もし魔王がいつでも転移できるなら、すでに魔族を統率し、改めて侵攻を始めていると思うから。
「それでラピスは……魔王が来たら通してくれって言うの?」
「うん」
「なんで……」
いろいろな心情が混ざり合い、口にした「なんで」がどういう意図で紡ぎ出されたのかメル自身にも分からなかった。
『なんでラピスは魔王に肩入れするの?』
通信越しに聞こえてきたフィーの言葉で、違和感が解消された。
事情を知っているあたり、魔王とラピスが知り合いなのは間違いないだろう。しかし彼女はまるで魔王を慕っているよう。わざわざ魔王『様』と呼んでいるのが、その最たるものだ。
「自分に協力するなら、地球……日本がある世界には手を出さないって約束してくれたから。それに、魔王様には個人的にもお世話になってるからね」
「身内なの?」
「そんな感じ。最初から魔王様の近親者として生まれるようになってたみたい」
『そういうことか……』
フィーが苦々しげに呟いた。
「フィー? 何か分かったの?」
『ラピスが魔族に殺された時のことを思い出して。魔族は贄は一人で十分って言ってた。このための生贄だったんだ』
「あっ……」
『それに今思い返してみれば、メルだけ指をさされてなかったと思う』
つまり今日この時のために、十五年前から計画されていたというわけだ。
女神の代が変わることを見越して、メルを懐柔するために。
『メル。今まで通りだ。ラピスも魔王も絶対に入れちゃダメだよ』
「…………」
そんなことは分かってる。誰が何と言おうと、誰も通すつもりはない。
けど自分が拒むことで多くの日本人を危険に晒すどころか、ラピスすらも再び死なせてしまうかもしれない事実は、メルの心を痛ませた。
『メル』
フィーのやや強めの声でメルは我に返った。
瑠璃の目をまっすぐに見つめる。
「ラピスにとっては、日本の方が大事なんだね」
「そりゃそうだよ。七歳で死んじゃった世界よりも、二倍も生きた世界の方に思い入れがあるのは当たり前でしょ。それに、これからも生きていく世界だしね」
こればかりは瑠璃を責めることはできそうになかった。
震える拳を握り締め、メルは力強く宣言する。
「ごめん。ラピスには悪いけど、魔王を通すことはできない」
「うん、大丈夫。魔王様も、絶対に断られるだろうって言ってたから」
食い下がろうともせず、瑠璃は笑った。
「魔王様はこうも言ってたよ。女神様に断られたんなら、無理やり入るしかないって」
「それは……どうやって?」
「知らない。聞いてないもん。でも、これからメルとは敵同士だね。私も日本を守りたいから」
そう言って、瑠璃は踵を返した。
「それじゃあ、またね。メル」
「ま、待って……」
メルの制止にも構わず、瑠璃はまっすぐ歩いていく。
そして扉の前で一度だけ振り返ると、そのまま元の世界へと帰っていった。




