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朱殷の琥珀  作者: 朝日奈
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第三章 遺された思い

 大切なものはいつも簡単に砕け散っていくようだ。砕け散った破片みたいな記憶を拾い集めるように、あなたのことを思い出すのはあまりにも苦しすぎる。今、私が大切にしている物すら手放してしまいたいという感情が溢れて、何もかも壊してしまいたくなるから。

 「・・・・・・」

あなたが私に放った言葉は心の奥底に染みついて離れることができない。

ねえ、私はどんな顔をして、伝わることができないあなたに何を伝えればいいの。

あなたと笑いあった記憶が断片的に流れ込んでくる。それは一つの走馬灯のようだ。

あなたの瞳を思い出すことはできない。

いつだってなんどきだって思い出すのは、

あなたの引きつった口元。


 怖い夢を見た。幽霊や悪霊よりもとても恐ろしい夢。

・・・そういえば誰かが言ってたな。本当に恐ろしいのは人間だって、今ならすごく分かる気がする。幽霊も悪霊も姿、形、実体がないんだから私に触れることはできない。いや、触れることはできても、私の心まで殺すことなんてできないはずだ。だからそんなもの怖くも何ともない。むしろ私と友達になって、他愛のないことを話そう。空が青いとかくだらないことでもいい。だって一番怖いのは人間だから。私はずっとそんなこわーい人間と集団行動をして生きてきた。


その人間の中でも周りの人たちが怖いと恐れている人、犯罪者が手の触れられる距離に、わずか数センチを挟んで隣にいる。

目から頬につたわった涙で私の感覚は少しづつ取り戻されていく。

窓から入って来る光の眩しさに今になってようやく気が付いた。ぼやけながらも光が全てを鮮明に映し出して、開ききっていないながらも彼の表情がよく見える。

彼は私が起きたことに気が付いていないのか

けして彼から触れることない、私の涙を優しく拭った。まるで大切なものに触れるような指先に、私はそのままにしてほしいと思った。それはきっと守られているような安堵を感じてしまったからだ。彼は世間で言うところ犯罪者にあたる。未成年である私を突然、誘拐してしまった。未成年じゃなくても犯罪だけど。彼の名前は穏田 陽向。温厚そうな名前とは裏腹に彼は血も涙もない犯罪者たちと同じくくりの「犯罪者」に入ってしまった。

きっと彼には私たちが重要視する倫理観の一つでも欠乏しているんだろう。

みんなそう思うからこそ、私たちは関わることを拒絶する。私だってそうしてきた。それは今まで正しかった。法律という越えてはいけない一線を私たちは越えることはない。それは論理や理屈、人々にとって公平であると審査されて作られてきたものなのだから。

私たちはそれを理解しているからこそ、一度でも罪を犯した犯罪者を何かが欠陥している人間として見た。隣にいる彼も何かが欠陥している。

そうじゃなきゃ犯罪なんて起こさない。

彼は私の冷たくなった手を握る。私はうつろな目で彼を見る。その表情を言葉にすることなんてできなかった。

その瞳を見た瞬間、私は泣きたくなるような気持ちになった。

私はそんな顔をしたことが無いから彼がどんな気持ちかなんて分からない。だけど私は誰かにこんなに優しい眼差しを受け取ったことがない。

犯罪者は何処か人として欠陥している部分がある。でもそれはみんな同じで完璧な人なんていない。

なら私と陽向さんは同じ欠陥を抱えているもの同士、何が違うんだろう。

窓から強い風が入ってきて、私の髪の毛を勢いよく揺らした。彼はそれに気づいて窓を閉めにゆっくりと立ち上がった。

握られていた彼の手が私の手から離れるとき酷く物悲しい気持ちになる。私はまた泣きそうになった。頭が働きだしたのか、私と出会ってからずっと微笑んでいたような表情が少し悲しそうに見えた。

 「おはよう美祝」

悲しそうな微笑みに口角が上がったように見えて、私は少し時間をおいてしまった。

私は陽向さんの顔をあまり見て話していなかったのかもしてない。ずっと気づかなかった。

微笑んでいるだけの表情ではなかったこと。


 何もしない一日はあまりにも長い。朝、とりあえず陽向さんとゲームをして遊んでいたけれど流石に飽きてしまった。陽向さんのことを知りたいけど何しろ話題がない。テレビは陽向さんとのニュースで気分が良くないし、この家にはありとあらゆる娯楽が欠如していた。私はインテリアとは言い難い砂時計を寝っ転がって眺めている。まるで猫になったような気分だ。さらさらと砂が落ちていく、目に見えて時間が過ぎていくが不思議な気分だった。私は今までどうやって生きてきたんだろう。何をしても空回りしているように感じて、手から砂がすり抜けていくように思っていたのに膨大な時間にそれと同じような虚無感を感じている。変なの、虫かごから逃げて鳥かごの中に入り込んでしまったみたいだ。

 「陽向さん。この砂は甲子園の砂?もしくは星の砂?」

 違うだろうけどとりあえず冗談を言ってみる。

 「違うよ」

まあ、そうだと思ってたけど。

 「それは鳥取砂丘の砂時計」

なんか絶妙にずれている回答に私は笑いそうになる。

 「それあげるよ」

陽向さんは眺めていた砂時計を私の手のひらに置いた。私は全て砂が落ちる前に砂時計を反対にした。私は鳥取砂丘に行ったことがない。もちろん世界最大級のサハラ砂漠も。

 「ねえ、陽向さん。鳥取砂丘の砂ってサハラ砂漠の砂と同じなのかな」

 「粒の大きさはどちらも細かくて似てると思うけど、成分までは違うんじゃないかな」

 「陽向さん博識だね」

 「ただの考察だよ」

それじゃあ、サハラ砂漠に行って、鳥取砂丘の砂を落としたら、分かるのだろうか。

見た目は一緒なのに機械を使えば、この土地の砂ではないと排除されてしまうのだろうか。

まるで私たちみたいだな、と思った。私たちはみんな同じ人間なのに、経歴という成分で犯罪者と一般の人たちに分かれてしまう。ただ違うのは砂なんてみんな同じだろうと多くの人たちは言うのに犯罪者だけはそうはいかないこと。不思議だなあと思う。山のように時間があるからこそ宇宙規模に物事を考える。

普段の私ならこんなこと考えたりしない。

私は陽向さんのことを横目でちらっと見る。

どこか遠くを見ている瞳には悲しみが浮かんでいるよう見える。この家には最低限の生活用品しかなく、この砂時計を受け取ってしまったらわずかに残る大切なものがなくなってしまうのではないかと心配になった。

陽向さんが私を見る。彼の曇りなき瞳には心を奪われるような優しさが溶け込んでいる。

だから陽向さんと離れたくないんだろう。

 「ありがとう、陽向さん」

私はありがたく砂時計を受け取った。陽向さんとの今を形に残しておきたくなった。

でも私だけいただくのは申し訳なくて、私は髪飾りとしてつけていた三つ葉のクローバーのヘアピンを陽向さんに見せる。

 「お礼にこれをあげるね」

 「えっ」

陽向さんは手を左右に振って

 「いや、大丈夫だから。美祝似合うし、つけておいた方が可愛いよ」

と断る。

 「陽向さんも似合うって」

私が多少、強引に陽向さんの長い前髪を上げるようにつける。前髪を上げた瞬間、すごく綺麗な顔をしていることに気が付く。

つけた結果、チャラ男になった。

 「あははは」

あまりの雰囲気の変貌に私は笑ってしまった。

取ろうとする陽向さんを私は必死に止める。

 「笑ってんじゃん」

 「そういう意味じゃないよ。似合ってるけ普段の辛気臭い雰囲気からイメージが違いすぎて笑ったの。似合うよ。確かに似合うけどチャラ男みたい」

 「それ良くないよ」

不機嫌そうな陽向さんの顔、普段表情が分かりにくかったからとても嬉しかった。

似合うのは予想外だったけど。どちらの陽向さんも私は好き。陽向さんはその後もつけてくれていた。私は陽向さんを見るたびに彼は優しく微笑んでくれる、それは何とも言えない幸福感に満たされていくような感じがする。陽向さんが私を優しく見てくれるのは人と接する上での真心なんだろうか。

次の日の朝、私が目を覚ますと陽向さんは昨日あげたヘアピンをつけてくれていた。一瞬知らない人がいると思って私は飛び起きた。てっきりつけてくれるのは昨日だけだと思っていたから、嬉しかった。いつも目元が髪の毛で覆われていたから、視界が見えやすいのかもしれない。

 「陽向さん、今日は何しよっか」

私が尋ねると陽向さんは

 「ちょっと待ってて」

と言って何かを探しに行く。

 「どうかな?」

陽向さんが渡してくれたのは、陽向さんが一番好きだと言っていた本、オスカーワイルドさんの幸福な王子だった。

 「見たことあるんだっけ?」

彼は首元を掻くよう仕草をしてから私の目を見た。

 「話の内容は少しは知ってるけど、きちんと読んだことない」

私は本の表紙を指で撫でる。その本はたくさん読まれていたんだろう。古くて薄く意図的に何かをこぼしたわけではないようなシミがいたるところに残り、年季が入っていた。

 「読んでみようかな」

私がそう言うと陽向さんは優しく笑った。

私は本に視線を戻す。

私は陽向さんのことを何も知らない。だけど陽向さんが一番大切にしている本を読めば彼がおのずと大切にしていることも分かるだろうか。正直に言えば私は自己犠牲の本なんて好きではない。だけど彼の思想がわかるなら。私は本のページをめくった。


この日の陽向さんはいつもと様子がかなり異なっていた。

 「陽向さん、大丈夫?」

朝から何回この言葉を彼にかけただろう。

本当は全く大丈夫ではないのは知りながらこの言葉以外にかける言葉が見つからなかった。

 「大丈夫だから」

目の下のクマが酷い。視点もはっきりと定まらず、いつもの安心できるような笑顔とはあまりにもかけ離れている。顔色が悪く、やせこけた頬はたった一日でこんなにも人が変わってしまうのかとぞっとさせる。

でも私にできることは陽向さんの身を案じて話しかけることばかりだ。

陽向さんの行動はいつもと同じ。ただ朝ご飯を食べた後、彼は食べ物を吐いてしまった。

風邪かと思って体温計を貸してもらい、図ってみたけど、熱があるわけではなくそれどころが平熱よりも低い。せき込んでいるわけではないから急激な温度変化からくる夏風邪、冬になると多くなるインフルエンザなどの流行的な感染症と言うわけではない。原因が分からないからこそ尚更、心配になった。

 「陽向さん、寝た方がいいんじゃない?」

昨日、ほとんど眠っていない。普通は目が少しずつ眠気で下がっていくはずだが、それどころがばきばきに目が開かれている。それはまるで交感神経が過剰に反応してしまっているみたいだ。それでも陽向さんは平常を装っていた。

 「眠くないんだ」

優しく変わらない言葉づかいに、恐ろしくなる。この話を何度もしているのだ。もううるさいって怒ってもおかしくない。陽向さんがあまりにも落ち着いて淡々と同じ言葉を返すから、何を言っても彼には届かないのではないかと思ってしまう。

 「美祝、今日は行かなければいけないところがあるんだ」

 「えっ」

私は心臓が喉から出てしまうのではないと思うほど驚いた。彼は今、そんな状態じゃない。

正常な判断ができず、なにしろ陽向さんは犯罪者なのだ。下手に注目されてしまっては警察が来てしまう。少なくとも今はやめた方がいい。

 「陽向さん、一生のお願い。行かないで、せめて体調がよくなってからにしよう。お願いだから。」

私は陽向さんの腕を掴む。いつもとは違う陽向さんのことが怖くて、顔が見れない。

 「ごめん。これだけは譲れないんだ」

陽向さんは私の腕を掴んで、そっと自分の腕から離した。深くまで帽子をかぶって家を出る。

 「陽向さ・・」

私のことなんて見向きもせず、陽向さんはどこかへ出かけてしまった。

私の置いてあった帽子を深くかぶる。

陽向さんをこのままほっておくことは危険だ。

私は陽向さんの後を追う。目的地が決まっているのだろう歩き続ける背中を追うのは足が速くて難しかった。そこで私は初めて気づく、陽向さんは私に合わせて歩いてくれていたんだということに。

陽向さんがそこまでしていきたい場所ってどこだろう。思い出の場所とかになるのかな。

私が知っている限り鳥取砂丘くらいしか思いつかない。少なくとも情緒が不安定な人間が行く場所ではないだろう。陽向さんはある場所で足を止めた。私は隠れていた建物の壁から身体を乗り出して、中の様子を見ていた。

店員さんと何かを話している。店員さんは何かを手でジェスチャーして陽向さんは深く帽子をかぶる。陽向さんは顔を隠すようにして言った言葉は「大丈夫です」といっているように見えた。陽向さんはお会計をして、お花を受け取った。お花の束はバラやスイートピーなどの一般的に人気のある華やかな花ではなく、それは控えめな印象をもつ、渋い色の花だった。陽向さんはそのまま家とは逆方向に歩いていく。どこまでいくんだろう。

後ろにいても気づかれなさそうだと思った。

何時間も私たちは歩き続けて、少しづつ住宅街などの人気がなくなっていく。空はすっかり夕焼けになって彼の影が長く帯びる。私はすごく怖くなった。陽向さんが何を考えているか分からない。このまま夕焼けの中に消えてしまってもおかしくないのではないかと思う。陽向さんは目的地についたんだろう。静かでたくさんの人たちが長くから眠る場所に入っていく。どんな言葉をかけても届かない泥の底のような場所に淡々と足を踏み入れていく。・・そこは墓場だった。陽向さんはある墓石の前に立つ。遠目から見てもはっきりと分かった。

 穏田家

それはそう書かれていた。

陽向さんは買った花を置く。手にはライターとお線香を持っている。ライターの火が強風に揺らされて上手くお線香の火をつけることができない。やっとつけることができたと思ったらそれを置く前に、墓石の上に落としてしまう。火は静かに、燃えていた火種が消えていく。彼の手は震えていた。

丸まった背中が震えている。彼はもうぼろぼろだった。

 「あああああ」

悲鳴に近い声だった。

 「ああああ あああああああ」

彼はずっと限界だった。痛々しくて、苦しくて私は見ていられない。

 「陽向さん」

気が付けば先に体が動いていた。私は彼を背中から抱きしめる。過呼吸になってしまった陽向さんはそれでも必死にお線香をあげようとしていた。私はライターの火をお線香に着ける。それを陽向さんと燃え尽きた灰が多く残っている入れ物に手向けた。

 「ありがとう・・・・・ごめんなさい」

陽向さんはすごく苦しそうに私の服を掴む。

 「ごめんなさい・・ごめんなさい」

何度も何度も謝って、崩れ落ちそうな体を私は支え続けた。夕焼けはすっかり夜に変わって墓石の上に月が乗っている。陽向さんは月に謝っているみたいに見えた。

さんざん泣いて、悶えて、傷ついてようやく陽向さんの情緒が安定してきた。

墓石をただ見つめたまま

 「今日は妹の命日なんだ」

呟くように、言葉と一緒に一筋の涙が零れる。

 「何もしてあげられなかった」

震えが収まった背中はまるでこれからすることを自然と受け入れるよう

 「生きていてても意味がないんだ」

 「・・・・・・」

私は陽向さんの手を強く握る。生きててほしい。死んでほしくない。それなのにその言葉を安易に言ってはいけないような気がした。

私はずっと陽向さんのそばに居ることはできないから。

 「美祝、僕はずっと一人だったんだ。」

 「・・・・・・」

 「君と出会えて幸せだった。」

遺言みたいな言葉に声が出せなくなる。たとえ離れてしまうとしても私は陽向さんが死んでしまうなんて考えられない。この人を手放したくない。心臓が音をたててドクンドクンと重い金槌を振り下ろされるような音をたてていた。

 「陽向さん」

どうか、

 「・・・・・」

どうか、あなたが生きるための今がほしい。

 「陽向さんにとって妹さんってどういう存在だったの」

陽向さんは空を見つめていた。

 「かけがえのない、家族の光みたいな存在だったよ」

月を眺めている姿はまるで家族への思いをはせているように思う。

 「何一つ、叶えてあげられなかった。こんなに早く死んでしまうのなら、無理やりにでもやりたいことをやらせてあげられたら良かった」

懇願するような声に私の早打つ心臓が答えた。

これだ、って思った。私は俯いていた顔をあげる。陽向さんを生かす理由になれるんじゃないかと思った。

 「妹さんの叶えたいことって?」

 「もう意味ないよ」

 「陽向さんの問題じゃない」

私の断言に陽向さんは戸惑っているように見える。それでも私は話を続けた。

 「叶えてあげてよ。」

 「妹は居ないのに?」

 「遺影はあるはずでしょ」

 「・・・・・本人は見えていないよ」

自嘲する声は震えている。

 「・・・・私だったら叶えてほしい。思い出一つ持てないまま死なれるなんてふざけんなって思う」

 「・・・・・」

 「陽向さんは謝っていたよね。もし私だったらそんな間抜けな兄、許してなんてあげない」

 「だって」

陽向さんの引きつった表情に私は一瞬、息がつまりそうになる。でもここで引くことはできない。

 「考えてよ、もっと妹さんのこと。死んだから終わりなんてそういうことじゃないでしょ」

陽向さんの目に微かな光が宿る。洋服のポケットからぱさっと何かが落ちた。

私はそれを拾う。真っ暗闇の中で肌触りからそれが本であることに気づく。

私が渡した本をじっと眺めていた。

 「まだ僕が君に出来ることはあるのかな」

陽向さんは本のページを開かずに、途中から物語を語り始めた。ずっと練習をしていたみたいに饒舌で物語が自然と入ってきやすかった。

 「僕ができることは毎年、本を読むことでしかないと思ってたんだ」

 「・・・・・・」

 「ねえ、美祝。感想を聞かせてくれる?」

私は驚いた。私はこの本が好きではないと言ったから、求めるものは違うと思う。

 「妹にこの話を読み聞かせる前に死んでしまったから」

 「私の感想は私の個人的な意見でしかないよ」

陽向さんは驚いて、そうかと頷く。

それでもいい、彼はそう言った。

 「・・・私はこの本、あんまり好きじゃないかな」

相槌を打つ陽向さんの表情は私の言葉を真剣に受け止めてくれていた。

 「私ね、自己犠牲って悲しいことだと思うの。」

目頭が熱くなってくる。なんで泣きそうなっているんだろう

 「幸福な王子がサファイヤの瞳を一つでも残すことができたら、ツバメが南の国に渡ることだってできたんだよ。金箔の一つでもつけていてくれたらどんなに広い世界でも見つけることだってできた。」

陽向さんは私の話を遮ることなく聞いてくれていた。

 「ツバメはもう少し長く生きられたのに。そんな悲しいことってないよ。人々は最後、幸福な王子やツバメに助けてもらったことを忘れて、溶かしてゴミ箱に捨てちゃうんだよ。今までしたことが何になったの。」

怒りの混ざった声になってしまう。

こんなことに怒ってもどうしようもないのに

 「・・・ツバメも、愛した人の遺体もゴミ箱に捨てられたんだよ」

 幸福な王子は哀れだ。

一番大切にしなければいけないのはツバメだったのに。愛する人が雑に扱われて苦しくないの。

本当に後悔がないって言い切れる?

私は思うことを全て言い切って息がかなり乱れていた。そんな私を陽向さんは優しく抱きしめてくれる。

 「・・・もっと自分を大切にしてよ」

私は実在することのない幸福な王子に思いをはせる。また目の前にいるあまりにも似すぎている優しい人を想う。

虫も鳴かない静かな夜に時季外れの蛍が飛んでいた。













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