料理長、圧力をかける
「奥様を奥様と呼ぶ事の何が問題なんだ?」
ジョンは思わず叫んだ。
もしかして、お館では奥様を特別な呼び方をする決まりがあるのか。だが今まで誰もそんな事を言っていなかった。それにマリーア様を奥様と呼んでいたのは自分だけでは無いはずだ。
考えが迷子になり固まったジョンを前に、庭師とその弟子は「もしかして…」「そんな間抜けなことが…」「じゃあ聞いてきてよ!」「いやお前が行け」などひそひそ話を交わしている。
結局、親方命令に逆らえなかったキッドが立ち上がってジョンに歩み寄ると、被っていた帽子を手に取り視線をさまよわせたまま尋ねた。
「もしかしてだけど。ジョンさんは、マリーアさんがご主人様…アイゼン様と結婚してるって思ってるの?」
「違うのか!?」
驚くジョンを目にして、どうしてそんな勘違いをしているのかと二人は頭を抱えた。
「マリーアさんは、この家に雇われている使用人だよ。すごく上の立場の人だけど。家政婦長っていうんだっけ?」
何がどうなっている?兄嫁やメイド長や、他の使用人達の言っていた事は嘘だったのか??
キッドの言葉と、それを否定するどころか残念な子を見るような目を自分に向ける庭師の姿にジョンは何を信じればいいのかわからなくなってしまった。
三人の思いは一つだ。自分以外の誰かがこの場をどうにかしてくれないだろうか、と。
一石を投じたのは、出入りの商人との交渉を終えて厨房に戻ってきた料理長だった。
「おい、今日は砂糖が手に入ったぞ、南方戦線で連勝してるからだってよ!旦那様たちが頑張ってくださってるおかげだな!!」
興奮しながら告げる料理長。庭師がその場にいる事に気づくと「親方、庭のプラムが熟れてきてるって言ってたよな?これでシロップ漬けが作れる!あれはそのままだと酸っぱすぎて去年はだいぶ無駄にしちまったからな。ジョン、保存瓶を洗って煮沸するぞ、手伝え!」と満面の笑みを浮かべる。
配給で滞りがちな砂糖を入手できたのだ。皆飛び上がって喜ぶだろうと料理長は思っていたのに、迎えた三人は館の廊下に飾られている『能面』という異国の仮面のような表情を浮かべたまま立ち尽くしている。
三人との温度差に料理長は自分の表情も能面のようになっていく気がした。
しばらく四人で見つめあっていたが、いち早く現実に戻った庭師が料理長に事情を説明する。
日頃の料理長とジョンの会話は、仕事に関するものもそれ以外も料理や食材の話ばかりだった。料理長は女どものさえずるゴシップを毛嫌いしていたし、ジョンも自分からそういう話題を持ち出すことはなかった。
ジョンは館に仕えるメイドの紹介で雇われた為、ご家族の事情を知っていると料理長は思い込んでいた。上司の自分がきちんと説明すべきだったのに、それを怠ってしまった。
今、自分のすべき事は何かを理解した料理長は両手をジョンの肩に置いて圧をかけた。
「よし、どうしてお前がそんな勘違いをしたのか確かめよう。他の思い違いが無いかも含めてな。さあジョン、お前が旦那様とご家族についてどう知らされてきたのか洗いざらい吐け」
ジョンのストーリーを進める前にメイド長のエピソードを挟もうと書いてみたものの、他キャラの事情も絡んで長くなりすぎたので止めました。
もう何話かジョンが主軸で、その後ヒロインちゃんが暴れる(物理含む)予定。