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庭師、殴り飛ばされる

「じゃあ改めて聞きたいんですが、どうしてご主人様の従姉で他家に嫁しているマリーア様がリンデン館で家政婦長をしているんですか?」

「いや、知らん」

バッサリと切り捨てた庭師に料理長があちゃーと頭をかきながら「親方、ちょっと言葉が足りないんじゃないか?」と言う。

「言葉が足りないのは料理長もだろう?」

「いや、俺とジョンは日頃からたっぷり会話している」

料理の話題についてはその通りだな、とジョンは他人事のように思った。料理以外の会話が足りず、トラブルに巻き込まれている真っ最中な訳だが。


現実逃避に代用物資を美味しく食べる方法を考え始めたジョンに料理長が言葉をかける。

「聞き方だ。聞き方を変えろ」

突然そう言われても、どう変えればいいのかジョンにはさっぱりだ。開き直って庭師に問いかける。


「俺は何をどう聞けばいいんでしょうか?」


その姿に同情したのか、庭師が大きなヒントをくれる。

「あー、儂はただの雇われ庭師で、リンデン館に出入りする様になってから十年も経っとらんし料理長のように先代様や大奥様と親しい訳でも無い」

じゃあ何で料理長は庭師に流れを託したのかとジョンは疑問に思う。

「それに儂は想像であれこれ話す事を好かんのだ」


ジョンはその一言にはっとする。

想像で補わねばならない話はしないけれど、その身で知っている事は話してくれるのだと。これから庭師の話す事は全て事実で構成されているのだと。

それを踏まえて庭師に尋ねる。

「マリーア様がリンデン館に家政婦長としてやって来た前後の事で、親方の知っている『事実』を教えて下さい」

ジョンの問いかけを聞いた料理長は無言で背中を叩き、庭師はほんの少し口の端をあげてみせた。



「マリーア様は不幸にしてご夫君に先立たれた。その少し後にリンデン館に家政婦長として雇わている」

そこはジョンが聞いていた話と矛盾は無い。

「そしてマリーア様を雇っているのはアイゼン様ではなく大奥様だ」

はい?と気の抜けた一言が出てしまったのは仕方の無い事だろう。

「これは『事実』だ。儂は大奥様から直接命じられた。マリーア様は縁者であるが大奥様が私財で雇った使用人で、家政婦長としての権限を持つがそれ以上では無いと。もし権限を超える指示を出されたら、その場で返答せず大奥様に報告し指示ををあおげと」



ジョンは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

義姉たちの言う「スカーレット様に傾倒している古参の使用人がマリーア様をないがしろにしている」というのは大奥様の指示に従っているだけなのでは。

それを裏付けるように庭師が続ける。

「大奥様は儂だけでなく各所の責任者に『マリーア様は主家の一員では無く使用人と考えよ』

と伝えていた。だが大奥様のお言葉を建前だと受け取る者がいて困るとおっしゃっていた」


戸惑うジョンの耳に庭師の言葉が響く。

「マリーア様はリンデン館に住み移るとすぐに儂を呼び出して庭に関する要求をした」

「どんな要求をされたんですか?」

「花壇に野菜を植えるなとか、汚い子どもを連れてくるなとか、他家の銘花を手に入れて来いとかだな」

「え?おいら出禁にされるとこだったの!?」

キッドが驚きに目を見開く。要求の内容が思った以上に濃かった事にジョンも目ではなく口をあんぐりと開いた。


花と野菜を混植して目も舌も楽しませる庭が昨今の流行である。それを品が無いと嫌う者がいる事は知っていた。だが現状がそうであるならアイゼンかスカーレットがそう望んだという事だ。

そして庭師に他家の銘花を手に入れろというのは、料理人に他家の秘伝のレシピをもらって来いと言うのと同義だ。秘匿のレシピをもらすなど、まともな料理人なら金を積まれてもするはずが無い。そんな要求をしていたと聞かされて、ジョンの頭が急速に冷える。


「勿論全て大奥様に報告した。儂以外にも苦言を呈した奴がいたらしくて、特大の釘を刺したからしばらくおとなしくなるだろうと笑っておいでだったな」

「おいら、クリステル様は怒ってるより笑ってる時の方が怖いって聞いたよ」

キッドの発言を肯定も否定もせず庭師は続ける。

「その後の要求は問題ないものが多くなった。あのハーブが欲しいとか黄色い花を増やせとか」

全てを拒絶するのではなく、クリステルが問題無いと判断すればマリーアの要求は通っていた。



そこでジョンは気づいた。

「待ってください。だとしたら今の状況はおかしくないですか?マリーア様にはキャサリン様に罰を与える権限は無いのでは??」

継子とはいえ奥様の指示なら従うのは当然、とジョンは思っていたがそもそもマリーアはアイゼンの妻どころか親族としての権限すら限定されているのだ。

「そうだな。本来ならその通りだ」

では何故本来と状況が違うのか。説明を求めるように庭師を見る。


「スカーレット様が亡くなって、アイゼン様は帰宅する気配が無いしキャサリン様はまだ未成年。そこで先代様が当主代行として差配をする事になったんだが、ある日館にやって来ると儂を殴り飛ばしたんだ」

「えっ、先代様って現役の軍人ですよね?民間人に手をあげたらいけないって規則がありませんでしたっけ?」

話の急展開ゆえか、ジョンの指摘もどこかズレている。

「軍属の者の民間人への暴力や脅迫を禁ず。いい決まりなんだが抜け道が多くてな。この場合は雇用関係にある者に必要な指導をした、と言い逃れ出来る」

眉間に皺を寄せながら説明したのは料理長だ。先代と縁の深い彼だから複雑な思いがあるのだろう。


ジョンが何度か見かけた事のある先代は長身で眼光鋭く威圧感があった。それに対する庭師は平均的な体格な上に、脚が悪くて歩き方がぎこちない。怪我は無かったのか、と問うと鼻で笑われる。

「ふん。日々の鍛錬から遠ざかっているお偉いさんの一発なぞ、下町の荒くれ職人どもに比べたら大した事無いわ」

避けようと思えば避けられたのだが『大奥様に説教されればいい』と思ってわざとくらってみせたのだと庭師が言うと興奮した弟子が続ける。

「あれは本当に凄かったよ!相手の拳をくらった上で、派手に吹き飛ぶフリをしながら飛び退く事で勢いを殺す。しかも事前に『投げ出されれも怪我しない方向』を確認してさ。おいらもマネしてみたんだけど、狙った方向に吹き飛ばしてもらうのって難しくってさ」

キラキラした瞳でまくし立てるキッドに庭師が「そんな余裕があるなら逃げろ」と真顔で助言する。この師匠にしてこの弟子ありだな、とジョンは思った。

「先代様、親方が派手に吹き飛んだ上にしばらく動かなかったからすごくうろたえてたよね」

「あの脳筋にはいい薬だ」

料理長まで頷きながら「シュタインは物事の裏を読めないからあれ以上の出世が出来ないんだ」なんて不穏な発言をしている。

それよりジョンは、この話がマリーアがキャサリンを謹慎させている件にどう関係あるのかさっさと教えて欲しかった。



続く庭師とキッドの説明をジョンがまとめるとこのような流れらしかった。


まず先代が庭師を呼び出してマリーアの要求を聞き入れない事を責め、今後は全て言う通りにしろと命令。

庭師が断ると「お前はクビだ」と宣言。

庭師は「儂が雇用契約を結んだのはアイゼン様だ。先代様が勝手に儂を解雇出来る根拠はありますかな?」と反論。


「当主の俺が決めたのだ。いいに決まってるだろう」


当主代行であって当主では無い、というツッコミをするほど庭師はヤボではなかった。

いちおう前当主ではあるが、当時家内を取り仕切っていたのはクリステルでシュタインは報告を受けるだけだった。


この国で『当主』や『家長』とは集団における概念であって法的に定められたものでは無い。そして全ての国民は国の財産だと憲章にも記されている。子どもが親に逆らって生きるのは難しいのが現実だが、立前は未成年であっても決して親の所有物では無いのだ。

親の命令は絶対だとヒロインを追い詰める父に「そいつの言う事を聞く必要は無い!」「国の財産である子どもを虐待する事は国益を損なう行いだ」と法律家のヒーローが裁判を起こし理論で殴るざまぁものが流行った事で『当主=絶対君主』という一昔前の認識は変わりつつある。その作品の影響で役所も相談窓口を設けたり、立場の弱い女性や子どもが逃げ込めるシェルターを立ち上げた篤志家もいるくらいだ。

リンデン館でも意思決定する者がいないと困るのでシュタインを当主代理と定めたが、アイゼンの意思を確認せず庭師を解雇する権限は持ち合わせていない。だがシュタインは旧時代の石頭代表であった。


「俺はアイゼンの父親だ!子どもは親に従うものだ!!」

「話になりませんな。幸いな事にお声がけして下さる方が多いので、リンデン館をクビになっても儂は困りませんが。とはいえ、リンデン館を解雇された理由は皆さん聞いてくるでしょうな。それに儂をリンデン館に紹介したカーマイン閣下の顔を潰す事になりますが問題ありませんか?」

そう庭師が返すと激昂した先代が殴りかかり、庭師が吹き飛んでみせて騒ぎになったと。



ジョンは知らなかったが、スカーレットの父であるカーマインをシュタインが嫌っている事は有名なのだとか。

そしてシュタインは騒動の最中に「()()()()()()()()()()()()マリーアの言う事をきくのは当然だ!」と発言していた。聞いた者がアイゼンとマリーアの結婚が本人たちの間で決まっていると勘違いしてもおかしくない内容だ。忖度した一部の使用人が前倒しでマリーアを『奥様』扱いしていたのはシュタインが原因だった。


そしてジョンが気になっていたマリーアの権限は、ささいな事までシュタイン(口を出すだけで動くのはクリステルなのだが)に伺いを立てていられない、そもそもシュタインだってずっと首都にいる訳では無いという実情から「アイゼンが館に戻るまで」という条件で与えられたと説明される。

アイゼンはもう半年以上帰宅していないが連絡が取れない訳ではない。手紙に検閲が入ったり面会の手続きが面倒な上に護衛という名の監視がつくだけで。マリーアに与える権限についてはクリステルがアイゼンと書面でやり取りした上で顧問弁護士に相談して契約書を作ったそうだ。

ジョンが雇われる時もこの契約の「不足した使用人の補充を任せる」という条項に基づいてマリーアが面接したと説明される。そしてキャサリンへもいとこおばとして躾ける事は出来ないが「館内の風紀を乱す者に処罰を与える」権利を行使する事は可能だった。

実は料理長はクリステルが謹慎の件を知ったらすぐ駆けつけるだろうと思っていたのだが、何故か全く音沙汰がない。キャサリンとクリステルは仲の良い祖母と孫だったのにだ。その事で「大奥様も素行の悪いお嬢様をとうとう見限った」と陰口をたたくメイドもいる始末。

そして近い将来女主人となるだろうマリーアに忖度する者が増えてゆく。



「家政婦長の意向を無視したと儂に噛みついてくるメイドもいる。儂は儂の雇い主であるアイゼン様と家政婦長の雇い主である大奥様の指示に従っているに過ぎんのだがな」

「ねえ。ここまで話したんならジョンさんの前にいた料理人さんの事も伝えた方がいいんじゃないかな」

キッドがジョンの前にてけてけと歩み寄る。



「あのね。前の人はマリーアさんの、というかマリーアさんを持ち上げるメイド長やジョンさんのお義姉さんを含む一部の使用人からいじめられて辞めちゃったんだよ」

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