第百話 エリザベートとクラウド
エリザベートはあとで帆船に残った仲間たちを迎えに行こうと思った。
(明日ララに挨拶に行って、船の手配とダンバと農園のことを頼もう)
エリザベートは目まぐるしくやらなくてはならないことを、考えていた。
ダンバは早速農園を見たがったので、聖獣ジスがすぐそばの農園を案内しに行った。
「あーっ!!」
「どうした?」
エリザベートのこじんまりとした家の小さな炊事場で、クラウドは仲間たちのために腕をふるおうと食材をチェックしていた。
(人数が多いからな。食材が足らないな)
あとで買い出しに行かねばなと思っていたところだった。
エリザベートはもともとオレンジ芋を売るために家を何日か開ける予定だったのだ。そのため食料の買い置きはしておらず、帰って来てみれば、改めて見るまでもなく、貯蔵庫にもどこにも夕飯に出来そうな食材はほとんど何もなかった。
(使えるのは玉ねぎにオレンジ芋に人参ぐらいか)
クラウドは頭にあれこれ献立を考えていた。
「んっ? エリザベート、どうした?」
もう一度聞くとエリザベートは大事なことに気づいていたのだ。
焦っている。
「大変なの! みんなに泊まってもらうのにうちには毛布とかないの。寝具が全然揃っていないのよ、クラウド」
プッとクラウドが吹き出し笑った。
「ハハハッ……!」
クラウドは腹がよじれるほど思いっきり笑った。なんだかとても可笑しかった。
「なっ、なんでよ。大事なことでしょ?」
「おいおい。伝説の漆黒の勇者さまが仲間の毛布の心配かよ。おかしな奴だ。エリザベート、この島は暖かいんだから何もかけずにここで雑魚寝で充分じゃねえか?」
「そうはいかないわよ」
「この家には屋根がある、ちゃんとした壁がある。雨風しのげりゃ、充分天国だ。戦になりゃ野宿もするんだ。俺は全然平気だがな」
エリザベートは納得しない。
それにアリアはレディだ。
可愛いお客様や大事な仲間に布団がなしだなんて。
とりあえずアリアには私のを貸すにしても。
……それはね私だって野営では我慢するけど、家に帰って来ている時ぐらい毛布にくるまって安心して眠りたいし。
「――あっ。そうだ!」
エリザベートは思い出した。
ララが「客が来たら使いな」って、新しい寝具を何組も屋根裏部屋に置いといてくれたんだった。
ジスと二人だけで住んでてお客様は来たこともなく、今まで一度も使ったことがなかったから忘れていた。
「あ〜、良かった。思い出したよ。クラウド、毛布とか屋根裏部屋にあったのよ。ララがくれたんだった。私、取りに行ってくるね」
「俺も行くよ。お前はなんだか危なっかしいし、たくさん運ぶなら一人じゃ大変だろ?」
二人は揃って屋根裏部屋へ向かった。
暗がりなので先にクラウドが上がり、念のため魔物や害虫やら何か危険が潜んでないか確認した。
「クラウド〜? 何か居ても自分で退治するから平気。そんなに隅々まで見て警戒しなくても大丈夫だよ」
エリザベートは腕っぷしには自信がある。
だって、自分は勇者なのだ。
幼い頃から体も心も鍛えてきた自負もある。
「そりゃあそうだけど。俺は男だからそこは甘えてくれ、エリザベート」
クラウドは苦笑混じりに提案する。
エリザベートはあれこれ考え事をしながら階段を登っていたのだ。
しかも自分の家とはいえ、屋根裏部屋には用事がなくてあまり近寄っていなかった。
ふらっとエリザベートの視界が揺れた。
エリザベートは階段から足を踏み外しかける――。
「きゃあっ!」
「エリザベート!!」
さらには焦った足が滑ってエリザベートは階段から落ちそうになる。
慌ててクラウドが間一髪エリザベートの腕を掴んだ。
(間に合ってよかった)
一瞬クラウドの血の気がひいた。
転落したら怪我するだろうが。
「お前、階段を昇りながら考え事をしてたのか?」
「う、うん……」
「気をつけろ、エリザベート。危ないぞ? ほんっと世話がやけるぜ。……お前は勇者のくせに危なっかしいな」
エリザベートを引きあげて抱き上げたら、クラウドにエリザベートの体が寄り添うかたちになった。
クラウドは自分の想いが湧き上がるのを必死におさえた。
急に大型帆船のことを思い出した。
この腕のなかでエリザベートが死んでしまうと心が叫びをあげていた。
エリザベートを失ってしまうと心が悲鳴を上げていた。
「お前が生きてて良かった」
気づけばクラウドはエリザベートを抱きしめていた。
「……クラウド?」
エリザベートは恥ずかしげに離れようとしたが。
「離さないと言ったらお前はどうする?」
困らせたくないと思うのに歯止めは聞かない。
エリザベートは俺をどう思っているのだろうか?
クラウドは衝動を抑えられなくなる前に聞いた。
「エリザベート……。お前にキスをしてもいいか?」
クラウドはエリザベートの頬に手を触れる。
断られたらやめるつもりだった。
「なあ? ……嫌だったら断れよ、エリザベート。俺は無理強いはしない」
「クラウド」
「いいのか? 口づけても? エリザベート」
エリザベートは断らなかった。
こくんとエリザベートは首を縦に振った。
躊躇いがちにクラウドはエリザベートの頬に手を添える。
クラウドのゴツゴツとした男らしい手が触れるとエリザベートは胸の奥がきゅっと甘い疼きを覚えた。
エリザベートの黒曜石の瞳が濡れて揺れてクラウドの碧眼の瞳を見つめている。
……そして二人はゆっくりと重ねるようにキスをした――。
口づけた唇は甘く、互いに熱さを感じていた。頭も体の芯もピリピリと甘さで痺れて。
きゅっと胸が震える。
一度交わした口づけは胸を焦がしていくのだ。
離れかけて、またクラウドはエリザベートに口づけた。
エリザベートは強い心地良さに気が動転していた。
クラウドの熱く激しい胸の内を注ぐかのようなキスは、エリザベートを蕩けさせ、じんわりと溶けさせる。
腰が砕けてしまいそうだった。
強く抱き寄せられて、止まらない口づけに息が出来ないほどに切なく甘く苦しくて、でも求め合う。
エリザベートとの口づけにクラウドはただただ愛しさを込めていた。
一滴の迷いのない、エリザベートへの想いを……。
永遠に続けばいい。
抱きしめる確かな感触が、エリザベートとクラウドの絆を強く絡め繋いだように思えた。
いつまでもこうして二人きりでいられたら。
叶うはずのない言葉がクラウドによぎる。




