第五十一話 故郷と恋人と破局
「おいっ! 大丈夫か? なあ、エリザベート?」
クラウドがエリザベートの顔色が見る見る悪くなるのを心配した。幼子にするみたいにそっと背中を支えさすってやる。
がたがたと震えがきてエリザベートは気が遠のいてきそうだった。
(ああ、故郷ランドンが大変なことになってしまったわ!)
エリザベートの顔はショックでどんどん血の気がひいて青ざめていく。
「ごめんなさい。私ちょっと」
聖獣ジスが銀狼の本来の姿に変化してエリザベートの体を包んだ。聖獣の加護の光が溢れ出す。
「エリザベートさん。私の手を握って」
「ごめん、アリア。……私」
「良いんですよ。私に身を預けて。……さあ、すぐに楽になりますからね。エリザベートさん、目を閉じていて」
アリアがエリザベートの両手を握る。するとアリアの手から温かい熱を帯びた魔法陣が飛び出して、エリザベートの体を包みこんだ。
そして洞窟内のすべての生き物を癒やしてダンバの体も包む。
具合の悪くなったエリザベートとダンバが特に集中的にアリアからの癒やしの魔法を受ける。
「ふう……。癒やしの魔法か」
聖獣たちも子猿もクラウドもじっとその温かさに身を委ねる。
ゆっくりとじわじわと体も心も回復していく。
エリザベートはまぶたを閉じた。
数秒だがエリザベートは幸せな時を思い出していた。
大好きだった。
愛していたあの人との恋人としての時間を思い出す。
涙がこみ上げそうになる。
だがエリザベートは涙をぐっとこらえる。
「ごめんなさい。こんな場合じゃないのに」
「いや。毒出しはしたほうがいいと思うぜ。なあに、まだ吹雪がおさまるまではどうせ外には出られないんだ。エリザベート。辛いと思うがダンバにもっと故郷の事を聞くべきだと思うぜ」
クラウドは自分の体験からそう言っているのだった。
辛い経験は自分の心の奥にしまえばしまうほど、上手にしまわなくては己を壊す刃と化してしまうから。
アリアの癒やしの魔法でのおかげで、エリザベートの気分はすっかりいい。
目の前の故郷の現状から逃げるのはやめる。
(――そうだ。私は現実に立ち向かう。負けてはいけない)
ダンバの初期の高山病もアリアの癒やしの魔法によってすっかり回復していた。
「ダンバ、話してほしいの。ランドン公国の今を。現状を私に教えて」
エリザベートは覚悟を決めた。
もう最悪の状態の愛しかったアルフレッド大公の話は聞いた。
これ以上何があるという?
「いいんか? 誉れの賢いアルフレッド大公は人がすっかり変わってしまっただ。どこぞの国の姫君が来てからだな。どっぷりと虜になってさ。みんなはあの姫は怪しく悪い魔女に違いないって言ってるだ。魔族の女かもしれん。アルフレッド大公はその権力でもって大勢の民を苦しめているだ。納める税が何倍にもなり犯罪は横行して仕事は取られてなあ、オラは逃げ出しただよ。あとから聞いただが今ではランドン(公国)は出入りが出来ねくなってるって話しでえさ。国土全体に魔法がかけられているだ」
「う、そ……。嘘よ、……ああっ、そんなっ……!」
信じられない!
嘘だ。
あの人は国を民を誰よりも一番に思っていたのに。
自分は犠牲にしてでも大切な国民を魔物や災害から守り抜き、皆の生活を少しでも豊かにし国民のためになりたい! そう言って目を輝かせてアルフレッドはあんなにも熱心だったのに。
「俺はパラジトや他の国にいてもランドン(公国)の噂は悪いものは聞かなかったがな」
クラウドは顎をさすりながら記憶を辿るがランドン公国はもともとどこの国にも友好的であったから、魔王軍以外には戦争はしていなかったし、代々の大公も穏やかな性分で豊かな国益で貿易も盛んだったはず。
「周りの国々には悟られないように魔界の魔族の女、悪の魔女である公妃がとんでもない魔法をかけたっちゅう噂もあっただ」
本当だろうか。
大公が骨抜きにされるほどの女性だから魔女とされ、たまたま国が上手くまわらない時期で原因を彼女のせいにしているとは考えられないか?
エリザベートは考えられる限りを考えたがやはり己のこの目で見るしかないと思われた。
「そのお話の大公さまがエリザベートさんの大事な人?」
そこにアリアが遠慮がちに聞くとエリザベートは重い口を開いた。
アリアの指摘はここの場の誰から見ても核心をついているかと思われた。
「……ええ。隠しても仕方ないから明かすけど、私はランドン公国のアルフレッド大公と婚約してたの」
遠い昔に思えたけれど。
あの人と恋人同士だったのはそんなに昔の話じゃない。
クラウドがそんなエリザベートをじっと見つめる。
クラウドは薄々エリザベートがいろんな心の傷を負っているのは分かっていたが、明らかになった恋人の存在はクラウドの心をしめつけている。
エリザベートに出会ったばかりでクラウドは自分がこんな気持ちを抱くとは思っていなかった。
亡き妻のナターシャ以外に心が動いたことに、クラウド自身がかすかに戸惑いと驚きを感じている。
エリザベートはアルフレッド大公の明るく笑いかけるほがらかな顔を思い出す。
柔らかい春の日差しのような人。
優しくいつもエリザベートに微笑んでくれた。
国を牽引する者にしては優しすぎるほどの方なのに。
なぜ暴君などに変わってしまったのか?
エリザベートはいずれ近いうちにランドン公国に戻り、彼の国を治める者としての現状をちゃんと自分の目で見て確かめなくてはならないと強く思ったのである。
ずっと焦がれていた。
永く想ってきた大切な恋に破局して切なくとも、アルフレッド大公を救いたいと思った。
出来るなら今すぐにでも駆けつけて故郷ランドン公国を私が救いたいと願った。
本当は今日にでも何もかも投げ出してランドン公国に向かいたいぐらい、気が逸る。
エリザベートは全力で走り出したい気持ちを抑えて。
漆黒の勇者エリザベートの眼前には、あまりにもやるべき問題が山積みである。
今のエリザベートには、一つずつ確実に試練を越えていかねばならなかった。