第百十五話 抱きしめて癒やしたら
フッと黒の魔法使いランドルフは笑った。からかうような、状況をすこぶる面白がってる時のいつもの微笑みを浮かべる。
クラウドはそんなランドルフをジロっと見た。
「エリザベートをいっそ無理矢理でも抱いてしまえばいいのに。アンタがそれぐらいの強引さがなければ、焦がれ真っ直ぐに愛したアルフレッド大公を一生忘れることなんてできないよ。あの子は」
ランドルフは遠い目をした。
(コイツ……本当は)
クラウドはランドルフの心のうちが少し垣間見えた気がした。
黒の魔法使いランドルフらしからぬ柔らかい眼差し。
彼がその視線を向けるのはエリザベートにだ。
エリザベートにランドルフはそんな表情をなぜする?
(コイツ心配してんのか? ランドルフから漂うのは大切な者を見守る優しげな気配だ。ならばなぜエリザベートをランドルフは裏切るような真似をしたんだ?)
疑問はクラウドに謎を深めた。
ランドン公国はどうなってやがる。
エリザベートとランドルフのあいだには本当はなにがあったんだ?
まあ、いいさ。
今は――まず。
エリザベートのことだな。
元来傷を抉るようにそっとしまった思いを問いただすのはクラウドの性分ではない。
国や世界がかかった戦ごとにかかわることになれば真実を吐くまでキツく言及しようと思うがな。
クラウドは戦斧をひと振りしてから、遠くで稽古するエリザベートをじっと熱さを抑え見つめつつランドルフに毅然と語った。
「俺がエリザベートを無理矢理抱くことはない。俺は決めている。愛し合っていない女は抱かない」
「あーあ。じれったいなあ、君たちは! 体も心も芯から蕩けるような甘い台詞、胸に刻み込むような熱い抱擁にキスがエリザベートの想いをクラウドに向けるきっかけになると思うけどな? それからエリザベートが躊躇っても恥ずかしがっても勢いのままに男らしく迫ってさ、一気に攻めて契りを交わせば良いんだよ」
「しつこい。いっそ俺とどちらかくたばるまで剣を交えるか? ランドルフ。俺はそんなことあいつにしたくないと言っている。無理強いしてエリザベートの気持ちを無視することは絶対にしない」
強引になんてできるか。
もう無理矢理抱きしめたりしないってエリザベートに宣言したばかりなのに。
「まあ、相変わらずおかたいな。ボクは思うに、時には人に強く抱きしめられて癒やす恋もあるんじゃないのかな? エリザベートもアンタも意地っ張りだし、自分のことになるとからっきしで、肝心な時に鈍感なとこあるからね」
クラウドはランドルフの言葉が染みていた。
分かっていた。
自分にもあるからだ。
亡くなった妻のいないパラジト王国での暮らしを思い出す。
夢でもいいから妻を抱きしめたい。そんな儚い慰めの一時を渇望していた。
だが、胸にぽっかりと開いた傷を他で埋めようと仮初めに温もりを求めあてがったって余計に哀しさと虚しさがあとから後悔が押し寄せてくるのは分かりきっていた。
失くした大事な人の代わりなんてどこにもないのを思い知る。
自分もエリザベートも、心の傷はまだ癒えていないのだろう。
あいつも俺も不器用、しかし誠実だ。
俺たち二人の恋人としては関係は始まってもいない。俺の一方的な通わない想いだが、ほんのりと灯ったばかりの明かりのような、あるいは花の蕾。
俺は大切に育てていきたい。