第一章 重力の英雄
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太陽の昇る時間。ほんのり照らされた空はまだ眠そうだ。もう少しで母さんが起こしに来る。人も鳥もまだ寝ていて川の息づかいと澄んだ空気を聞いていた。穏やかな気持ちだった。この朝が好きだった。
「起きろー」
木製のドアがギシギシと開いて、声と人と暖炉で温められた空気が入ってくる。ドアが開き終わる前に僕が起きてると気づいて、少しだけ目を見開いたその人に
「おはよう、母さん」
と挨拶する。挨拶はとても大切だ。とってもだ。
「早起きだねぇ。なんだ、着替えも終わってるじゃないか。なら、他の二人も起こしてくれ。」
母さんのお願いを果たすべく、僕は同じ部屋の兄妹の寝台に近づく。
「デイル、起きて」
呼び掛けながら肩を揺さぶる。母さんが隣の部屋の兄弟を起こす声を聞きながら、ゆさゆさしていると6回ぐらいでデイルは起きた。
「おはよう、デイル」
「おは、よー」
デイルが二段ベッドから降りてくるのを横目に、彼の下に住む、ベアに視線を向ける。眠りに入った時から変わらぬ体勢を貫くデイルに対し、今日もベアの枕は寝る前と反対側にある。大きく開かれた口の端からは、だらしなくヨダレが垂れ、大きく開かれた脚はカエルを想わせる。彼女の芸術的な寝姿を観察していると、
「お待たせ、着替えおわったぞ」
着替えを済ませたデイルが僕の横に並ぶ。神妙な顔を見合せ、静かに頷くと、一切の躊躇いなくベアをベットから落とした。
「さむっ!」
ドサッて音がして顔から落ちた。自分でやっておいてなんだけど痛くないのだろうか。暖かい布団を剥がされて、冷たい床の上で目を覚ました彼女は…鬼の形相で左の拳を振りあげた。
靴の山積みにされた一台の荷車を3人で引いて街を歩く。まだ朝早いので人は居ない。中心部に近いこの辺りでは石畳が敷いてあって引きやすい。今日の朝ご飯はなんだろうとか、最近は靴が多いねとか、僕とデイルで話しながら、目的の家に着く。
「「「おはようございます!」」」
三人で声を合わせて、家の住人を呼び出す。しばらくすると、あくびするみたいに、ゆーっくり開かれたドアが眠そうなおじさんを吐き出す、そしておじさんがあくびを吐き出す。
「おう、靴を返しにきたぜ」
「きれいになってんな、あんがとよ」
寝起きの低い声でデイルから靴を受け取るおっさん。ドアのあくびが終わるのを見届けてから、次の家に向かった。
「はぁ、疲れたぁ」
息があがり、まさに疲労困憊といった様子のベアは、余裕のありそうな僕とデイルにイチャモンを付け始める。
「あんたたち、全然疲れてないじゃない。ちゃんと荷車引いてたの?」
まず訂正させてもらうが、僕たちも結構疲れてるのだ。ベアが著しく疲れてるのはか弱い女の子だから………などではなく、もちろん僕ら二人がサボっているからでもない。靴の配達の帰り道終盤、家までは緩い上り坂で、疲労の蓄積と相まって大変だ。では行きは楽かと問われればそうでもない。荷車がどんどん滑っていこうとするので、なかなかの重労働だ。帰りと違って靴の分の重さもある。
楽なのは中盤、舗装された平坦な道である。朝早いので三人とも吐く息が白い。ここまでは同じだが、僕とデイルは石畳の上でおしゃべりを楽しむ。そしてベアは…ベアは終始全力で息を吸って吐いて、口から出る空気を見て、馬鹿みたいに、というか馬鹿なのだが、「わあ、雲だぁ」というのだ。終始だ。そして毎日だ。というわけでベアが僕らに文句を言うのも毎日で、朝ごはんを見て全部忘れるのも毎日なので、僕とデイルは無視してさっさと食卓に向かうのである。
街中には大きな3本の水路が平行に通っていて、そこから無数の小さな水路に枝別れていく。街の賑わいは主に二つの場所に集中する。
一つは街の中心。領主の屋敷があり、その周りを役所、詰所が取り囲む。服屋、お菓子屋、宝石屋等、高級な店はその辺りにある。
もう一つはこの街最大の広場、通称『泥の広場』。一本の大きな水路に貫かれる広場、を囲うように酒場に屋台、武器屋、防具屋、薬屋などが並び、冒険者ギルドと迷宮の入り口もここにある。その名の通り地面は土色に染まり、所々から覗く、くすんだ白がなければ、その下に石畳が広がるとは信じられない。
くるぶしまであるズボンと土汚れた長靴を履いた、愛想の良い顔をした商人。必死に泥を水路に落とす孤児や貧民。俺たちの夢がこの先にあるのだと、迷宮に向かう冒険者。人と泥と活気に満ちるこの場所は、美しい景観とは言えないが、観光名所として旅人には人気がある。
朝食を食べ終わった僕らは、広場に向かう。迷宮から帰る冒険者が腕には戦利品を、脚には泥をたっぷり持ち帰ってくる。前者はギルドが買い取り、後者は僕らが水路に落とす。
立地の関係で貿易に不向きなこの街の運営は、迷宮からもたらされる利益によって成立しているため、街が税金から清掃費を支払ってくれる。とはいえ、泥を片付けるより、迷宮に潜って魔物を片付ける方が実入りがいいのは当然なので、必然的に景観を維持するのは子供である僕らの役目なのだ。そういうわけで朝食から昼食までの間は、汗水、泥水流すのだ。僕が黙々と作業していると、
「おぉ、今日もご苦労さん」
そう言って、一人の爺さんが話しかけてくる。
「サムロ爺さん、こんちわー」
サムロと呼ばれる、齢60を超えているだろう爺さんは、僕らがちゃんと働いているかを確かめる監督役だ。といっても、目尻のシワが与える印象どうり、優しくて気さくな人だ。何でも若い頃、この街の酒場に居た看板娘に一目惚れして、告白するも、きっぱり振られたとか、今でもその酒場に行っては奥さんに小言を言われるとか、いつもニコニコしている。
「デイル君、元気だねぇ。ベアちゃんはなんだかご機嫌だね。何かあったの?」
「ベアはもうすぐ誕生日なんです。学校に通えるのが楽しみなんですって。」
「そうかい、そうかい。もうベアちゃんも6齢か。寂しくなるねぇ」
「学校のない日は遊びに来るわ」
ベアがそういうと、サムロ爺さん顔を綻ばせた。
サムロ爺さんから給料を受け取った僕らは、昼食にパンを買って食べると山菜を摘みに向かう。食べれるものはスープに、そうでないものは薬屋さんに材料として買い取ってもらう。
「見て、キノコがあるわ」
ベアが指差すのは、白い斑点のある紫のキノコだ。
「それ食べれないから」
「…じゃあこっちは?」
鮮やかな赤のキノコだ。
「それ食えねぇぞ」
僕はスープの具材を、デイルは周辺の警戒、ベアはキノコ担当だ。ベアの集めるキノコは大抵薬の材料になる。当人は食べれるキノコを探しているらしく、僕らも最初は熱心に教えたのだが、物の見事に毒性のあるものだけを集めてくる。一体どんな怪物を退治しようというのか、一つとして食用の物はなかった。
正直言って判別自体は難しくない。紫だとか赤だとか、主張の激しい奴らは食べれなくて、地味目な茶色いのが美味いのだ。ベアもすぐに覚えるだろうと思ったが、ここに一つ論理の罠があった。目立つからこそ毒キノコにばかり目が行ってしまうらしい。結局、彼女には今は勉強中なのだと諫めているが、毒キノコ担当からキノコ担当になることはないだろうと僕は密かにそう思っている。
山菜を家に、キノコを薬屋に届けた後、荷車を引いて街に向かう。夜ごはんを食べに冒険者たちが迷宮から帰ってくるので、彼らの靴を集めて、洗濯し、明日の朝に届けるのだ。この街特有の仕事である。毎日泥だらけになるので、そのままでいいと言う人は少ない。屈強な冒険者も病気には敵わない。健康な体は彼らにとって全てに勝る財産だ。
朝早く集合して夕飯までに帰るというのが、この街の冒険者の一般的な生活リズムで、遅刻したメンバーがいても、命の危険のある迷宮には万全の状態で挑むのが定石。迷宮は奥に進むにつれ稼ぎが良くなるし、単純に探索時間か短くなれば稼ぎが細くなる。そういう場合はあらかじめ稼ぎのノルマを決めておいて、減った分は、遅刻した者の分け前から補填される仕組みだ。短い時間で同じ収入が入ることになるので、遅刻を咎める者はいない。むしろ寝坊しろと思っているのが大半だ。公平な規則だと広く受け入れられているが、当人からしたら堪ったものではない。そういう意味で朝早くに届けに行く僕らの仕事は寝坊せずに済むという以外な評判を得ていたりする。
「「「こんばんわ!靴の回収にきました!」」」
「お前らか、いつもありがとよ。明日は休みだから届けんのは明後日にしてくれや。」
毎朝あくびするおっちゃんが出てくる。汗臭い。
「すみません。次の日に届けるという決まりなんです。」
「そこを何とか。少し色付けてやってもいい」
デイルが目を輝かせる。輝いた瞳に、銭が浮かんで見えてくる気がするほどだ。
「わかった!やるぜ、やらせてくれ!」
食い気味なデイルに若干引き気味なおっちゃんだっだ。
この時間は息が白くないのでベアも元気だ。家に帰ると兄さんたちが帰っていた。泥だらけでちょうど今帰ったのだろう。
「お帰りー、みんな怪我してない?」
「ベア、ただいま。全員無事よ、擦り傷はあるけどね」
「そんなことより、今日は肉食えるぞ」
「じゃーん、僕たちが捕った白兎の肉でーす」
「肉食えるのか?!」
僕ら全員が体を清潔にしてから夕食が始まる。家族が集まる唯一の時間。暖炉に暖められて、とても快適。ご飯もたくさん食べられる。幸せな時間だ。
「兄ちゃんたち、今日も迷宮の話してくれよ」
「今日は3層まで潜ったよ」
「白兎を見つけてな」
デイルは迷宮に興味があって、兄さん二人に冒険の話をせがむ。
「ベアもうすぐ誕生日ね、何か欲しいものある」
「ゆで卵たべたい!」
姉さんとベアは女の子同士と言うことで気が合うらしい。
「はい、マハト。あーん」
「あーん」
僕はというと弟の面倒を見ている。僕ら7人の兄弟の中で最も年下のマハトはまだ、スプーンの練習中。消化に悪いのでお肉も食べれない。気がついたら僕はお世話を押し付けられていた。まあ、別にいいんだけど。マハトの成長を見るの楽しいし。
夕食が終わると次男は年少組の部屋に来て童話を聞かせてくれる。姉は自室で瞑想を、長男は外で素振りをしている。
「今日はなんの話してくれんの?」
「私は龍退治がいい。とびっきり強くて悪いやつ」
「僕は英雄のお話がいいな」
「うーん、龍も英雄もだいたい全部話したしなぁ。そうだ、大義賊ハルフリードの話にしよう」
「「「義賊?」」」
「うん、良い泥棒のことだよ」
「そして、大義賊ハルフリードの仮面は今もこの世界のどこかに眠っているのです。おしまい。どう面白かった?」
「とっても面白かった!ありがとうアハル兄さん」
お話が終る頃にはベアは寝てしまった。
「じゃあねー、おやすみー」
「おやすみ兄さん」
アハル兄さんが出ていくと、さっきまで眠そうだったデイルが話しかけてきた。
「いいよな。兄さんたち。俺も早く迷宮に潜りたい。冒険者になりたいよ。たくさん稼いで、美味いもん食って、上等な服来てさ、大きな家に住むんだ。周りのやつらに称賛されて…。なあ、アルムラート。ベアが6歳になれば、俺たちは学校に行ける。そこでたくさん勉強してさ、修行もたくさん頑張って強くなって、そんで…そんでさぁ、俺と冒険者になろうぜ」
デイルが冒険者になりたいのは、知っていた。思いの強さも、しっかりと伝わってきてる。僕だって同じ気持ちだ。それに僕は…
「私もやるわ」
「「ベア、起きてたの?!」」
「今起きたの。あんたたち、そういう大事な話は三人で一緒にするの。仲間はずれなんていや。」
「ごめん」
「わりぃ」
「私たちは冒険者になる。三人でね。」
俺は剣士になる。早く学校行きたいね。今日のお肉美味しかった。そんな話をして今日を締めくくる。デイルは裕福な暮らしがしたい。ベアはワクワクする冒険がしたい、三人で一緒にいたい。そして僕は…
「僕は英雄になりたい」