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ヒメジョオンには遠いけど

作者: 綿花音和

 サイトを退会しますか? 『はい』と『いいえ』の選択ボタンの上をカーソルが何度も行き来する。机の上のパソコンをピントのはっきりしないまなこで凝視している。


 灯りを消した部屋。PCのディスプレイの光だけを頼りにぬるくなったコーヒーを飲む。同じ部屋でまさくんが寝ているから、キーボードを叩く力も控えめになる。


 ワンルームアパートに週末訪ねてくる恋人の雅くんは優しい。私が一銭にもならないWeb小説を書くために時間を浪費していることを、非難したりしない。


「うん? 靖子やすこさん、まだ起きてるの?」

「ごめん雅くん。うるさかった? コンテストに出す小説の展開に行き詰まってて……。もう少しで今日は終わるから」

 嘘を吐いた。展開もなにも、タイトルさえ決まっていない。


「早く寝なさいよ。お肌が朝、大変なことになるよ」

 おどけて警告する雅くん。彼の優しさにいつも甘えている。


「はいはい、お肌の曲がり角はとっくに回り切ったから」

「諦めんなよ~」

 雅くんのツッコミが入る。

「あははは」

 笑う私に、雅くんは不安そうな顔をした。

「あのさ、冗談じゃなくほんとあんま無理しなさんな」

 斜め後ろを見ると眩しそうに目を細める恋人。『ごめん、雅くん』心の中で呟く。今日も決心できなかった、不甲斐ない自分。PCをシャットダウンして残ったコーヒーを飲み干す。


「わかったわかった。もう寝るから、隣少し空けて」

「どうぞどうぞ」 

 雅くんがセミダブルのベッドに私の居場所を作る。布団の中に滑り込む。

「ありがとう」

 足を伸ばした。

「うわっ、冷たい。もうあなたは、血のめぐりも悪いんだから」

「三月だっていうのに、夜はまだ冷えるよね」

「ちゃんと、スリッパ履いてあったかくしないから……」

「すまんすまん、雅くんの足で暖とっていい?」

「いいけど。まったく靖子さんは大きな子供だね」

 彼の足に自分の足を絡める。

「ふふふ」

 笑って誤魔化す。そう、私が三つも年上なのに大人になりきれていない。

「雅くん、ありがとうね」

「……」

 規則正しい寝息が聞こえる。眠かったのに、ほんとに心配だったんだね。私、雅くんをほってなにしてるんだろう。やるせなくて、枕に顔を押し付けた。


******


 リアルで小説を書いている人に遭遇した経験はない。物語を書くのが好きですと自己紹介して意気投合することは少ないだろう。


 書くことを意識したのは些細なことがきっかけだった。もうずいぶん昔のことなのに鮮明に覚えている。

 小学三年生の国語の授業で先生に読書感想文を褒められた。

松下まつしたさんの書いた『ヘレンケラー』の感想文が、読書感想文コンクールの学年代表に選ばれました。よく書けていたわ」

「は、はい。ありがとうございます」

 クラスメートから大きな拍手がおきた。人より勉強や運動ができるわけでもなかったから、注目を浴びることに戸惑った。

 

 ホームルームが終わると、普段ほとんど話さないようなクラスメートも私の席の周りに集まってくる。喜びより緊張が強かった。

「やすこちゃん、すごーい」

 たまに話をする子が讃えてくれた。

「おれ知ってる。こういうの文才があるっているんだろう」

「○○って物知り~」

「今の気持ちは?」

 ふざけて、男子がインタビューするようにペンケースを私の口元に向ける。

「嬉しいです」

 おずおずと答えた。

「以上松下さんのコメントでした」

 ませた男子が締めくくる。十分休憩が終わってみんなが散っていくとホッとした。

 私の感想文は佳作をとって、地方の新聞に掲載された。両親も祖父母も喜んだ。文章を使って主張したり感情を表現することにいつしか夢中になっていった。


******


「靖子さん、なにか考え事?」

 過去の栄光を思い出し、私の箸は止まっていた。

「ううん、なんでもないよ」

 雅くんのコップにお茶注ぎ足す。


「味噌汁うんまい!」

 雅くんの皿を見ると、朝食はほとんど残ってなかった。

「残さず食べてくれて、ありがとう」

「靖子さんの味好きだから。もしかして胃袋掴まれてる?」

「そういう作戦かもね。私の料理なしではもう生きられないのだ!」

 大きく口を開け笑う。雅くんもくすくす笑ってる。楽しいのに、心には満たされない領域があった。

 いつも通り、食べた皿を雅くんが台所に下げた。

「ありがとう」

「こちらこそ、ご飯作ってくれてありがとう」

 優しい人。

 シンクに水を貯めた。食器の汚れと一緒にもやもやした淀みを流したかった。


******


 近所のコインパーキングに雅くんを送って行く。


「靖子さんを抱きたかったのに。今回はお預けか、しくしく」

 雅くんが、両目を人差し指でこすった。

「ごめんよ。次は営もう」

「言い方!」

 笑って突っ込む雅くん。ふと真顔になった。

「上の空みたいだし、なんか悩んでるんやろ。心ここに在らずは淋しいよ」

「ごめん……」

「力になれないこともあるやろうけど、頼ってほしい。話くらいは聞けるよ」

「ありがと」

 鼻の奥がツンとした。

「ほんと聞くだけかもしれんけど」

 地面を見る雅くん、彼らしいな。

「煮詰まったら、頼むね」

「そんじゃまた、週末」

「うん」

 雅くんの車が見えなくなるまで、手を振った。  


******


 家に帰って、すぐベッドの上に横になりスマホからTwitterにアクセスする。

 Twitterのタイムラインには、Webの発のコンテストや文学賞を通過したという喜びのツイートが溢れている。三月末は文芸誌の〆切も多いから、原稿進捗をツイートをあげて自らを鼓舞している人たちもいる。

 『頑張ってください』『ありがとう!△さんも一緒に頑張ろうね』ツイートとリプライを見くらべながら、浮かぶのは共感ではない。粘っこい嫉妬の感情だ。見ない方がいいのに、あぁ! 画面を閉じることができない。スマホをサイレントモードにし目を無理やり閉じる。こんなときは寝てしまうにかぎる。


 日が沈んで薄暗い部屋の灯りを付ける。昼過ぎからずいぶん長く寝ていたようだ。夕飯の用意もせずに椅子に座り、机の上を整理しPCを起動する。

 ブックマークから、小説投稿サイトにログインする。『姫女ひめじょおと』馴染み深いペンネーム。

 道に咲いているヒメジョオンの和名『姫女苑』が由来だ。どこにでも咲いてるたくましい花。繁殖力も強い。そんな風になりたかった。

 

 仕事をしながら、ウィークデーに小説を書く時間を確保するのは難しい。デキル子でないのは学生時代から変わらない。夕飯はカップラーメン、レトルトカレー、スーパーのお惣菜。食事を作る時間も惜しんで、ようやく十万字程の応募作品を書き上げ、願いを込め送信ボタンを押す。  

 何度もその行為を繰り返した。コンテストの中間発表の時期になると、どきどきしながら出版社の㏋を舐めるようにスクロールしたが、決して『姫女音』という名は、見つからなかった。

 

 壁打ちの孤独に耐えられず、小説投稿サイトに逃げ込んだ。登録してしばらくは、楽しいことばかりだった。まず小説を書く仲間が見つかった。書くことを好きな人間が自分の他にもたくさんいることを知って心強かった。それに、読者にたくさん評価されれば、人気ランキングに名前が載って、たくさん読んでもらえる。夢がある! そう思っていた。

 

 PCのディスプレイを見つめ、ため息を吐く。現実は厳しい。

 私が丹精込めて書いた作品は広く知られることもなく、投稿してから数日経てば無名の作品たちの海に沈んでばかり。場所を変えても、ほとんど読まれないのは同じだった。

 ひなたで咲くヒメジョオンにはなれず、日に数人いるかいないかの閲覧者数に、一喜一憂する弱い書き手だった。はたして私の書く小説に需要はあるのだろうか?

 

 サイトを退会しますか? 『はい』と『いいえ』の選択ボタンの上をカーソルが今夜も行き来する。


******


 週末。インターホンが鳴る。雅くん、来訪。 

「今日もお疲れさまです」

「ただいま」

 

 雅くんの鞄と背広を預かり、部屋に運ぶ。住んでいるアパートは、ドアを開けると玄関右手に台所があって、短い廊下を挟んで風呂とトイレがある。突き当りに内扉で区切られた八畳ほどの洋室。そこが私の安住の地だった。


「お茶のむ?」

 冷蔵庫から二リットルのペットボトルを出す。

「ありがとう」

 部屋の真ん中にある二人がけのソファーに並んで座り、低い丸テーブルにグラスを置く。緑茶をごくごく飲み干す雅くんの喉仏の動きを隣で盗み見ていた。

「なにじっと見てるの? 僕、恥ずかしい~」

「ぐふふふ。いいなと思って」

「笑い方が下品だよ。僕はお高いので観覧料とりますよ」

「えー。対価は晩御飯で許して」

 雅くんが来る日のおかずは、いつもシフト休を利用して下準備を終えている。今夜はミートボールにレンコンのきんぴら、豚汁だ。自分の食事はおざなりだが、雅くんが来る日は特別だった。


「おいしかったー」

 食べ終わり、お腹を撫でながら、ソファーに沈みこむ雅くん。彼の喜ぶ顔を見られると嬉しい。

 食器を洗い、テーブルの上を片付けた。隣に座り、どちらかともなくお互いの指を絡める。二人の時間がたしかに好きだ。

 

「靖子さんは、ほんっと涙もろいよね。たぶん感受性が豊かなんだろうな」

 ベッドの上で、私の髪をくるくる指に巻きつけて遊びながら雅くんが真面目な顔で話す。

「今日観た映画、主人公の感情の揺れが伝わってきて……。涙を堪えられなかった」

「僕にはない特性だよ。だから靖子さんが羨ましい」

「そうなの?」

「そう」

 雅くんは深く頷く。 

「私にはない長所が、雅くんにはたくさんあると思うけどな」


「具体的に述べよ」  

「はぁ? なんか上からやの。まあよろし、述べてみるわ」

「靖子さんも上からじゃん」

 くすくすと笑い声が重なる。


「まず、意地悪じゃない」

「そうか? 続けて」

「感情に流されることが少ない」

「ほう、続けて」

「頭がいい」

「へぇー」

「気が長い」

「ふむふむ」

「一番の長所は私を好きでいてくれるところ」

「なる、靖子さんを好きなのは当たってる」

「よかった」 

 二人唇を重ねる。今夜こそはサイトを開かず、深く眠りたい。


******


 雅くんの寝息を聞きながら、暗闇の中考える。小説を書くことを卒業したほうがいいんだと思う。

 サイトも退会して、Twitterのアカウントも消して現実に戻ろう。そうしたら、他人の成功を羨んだり、自分の作品が認められない惨めさに苦しまなくて済む。私が悩んで小説を書く必要なんてない。書店に行けば古典からベストセラーまで本は溢れている。Webにアクセスすれば、簡単に物語の世界にダイブできる。

 自分の文章がどう受け取られるか考えず、好き勝手に楽しく書いていた昔に戻りたかった。


 考え続けるうちに、情けなくて苦しくて、いよいよ眠れなくなった。 


「靖子さん、大丈夫?」

 気付くと雅くんが私の顔を覗き込んでいた。


「雅くん起きてたの?」

「うん、なんか辛そうな気配を感じたから。灯り付けていい?」

 頷く。

「ちょっと待っててね」

「はい……」

 雅くんはしっかりした足取りで台所へ向かった。寝息は偽り、狸寝入りだったんだ。私は身体を起こし、ベッドの縁に腰掛けた。

「どうぞ、熱いから気を付けて」

 戻って来た雅くんがゆっくり隣に腰かける。マグカップをそっと渡された。

「ありがとう」

「ホットミルク、とりあえず飲み」

 温かくて、甘い。ささくれだった心に沁みわたった。どれだけ心配をかけてたんだろう。


「雅くん、ありがとう。ごめんよ」

「このおバカさんは」

「ごめん、馬鹿です」

 謝ることしかできない。

「ほんとに悪いと思ってる?」

 珍しく尖った声。

「思ってます」

 雅くんが長いため息を吐く。

「靖子さん、少しは僕を頼りなさいよ」 

「いつも頼りにしてる」

 雅くんがいてくれるから、頑張れてることがたくさんある。仕事も家事も一人だったら、もっといい加減にしていた。


「そうかい? 靖子さんは肝心なことを言わない」

「そんなことないと思う」

 声が上ずる。

「僕にはそう思えない」

 返答に困る。雅くんには、自分の汚い醜い部分を見られたくない。他人の成功が羨ましくて、妬ましくて、小説を書くのを辞めようかとうじうじ悩んでいることを知られたくない。

「嫌われたくないの」

 私は幼稚だ。

「靖子さん、そういうところあるよね」

 雅くんは不愉快そうだった。

「怒った?」

 怯えてたずねる。

「あのさ……、嫌いだったら別れてるよ。言葉にしなくても、一緒にいればわかることって多いんだよ。僕をみくびるな」

「ごめんなさい」

 ただ、申し訳なく恥ずかしかった。私は小説だけではなく、雅くんにも真っ直ぐに向き合ってこなかった、彼の真摯な想いを無下にしてきたのだ。


「好きだから、靖子さんがPCに向かって悩んでるのも見守るし、肉欲も我慢できる」

「あ、ありがとう」

 涙声になる。

「素直でよろしい。というわけで、白状しなさい」

 雅くんが優しく笑った。その顔を見て、ようやく私は降参した。雅くんは、言葉を詰まらせながらの長い告白をじっと聴いてくれた。


「話し疲れたでしょ。お茶持ってくるね」

 雅くんが注いでくれたお茶を飲み干す。話し終えたけど、どう思われたかが気になって落ち着かない。

 再び隣に座る雅くん。指先が触れ合う。

「靖子さんらしいな」

「えっ」

 雅くんは穏やかに笑っていた。

「人の世には羨望や嫉妬がつきものやない? 僕だって、お腹の中にそういうのあるよ。面白い小説が書けるから人格者でもないんじゃない」

「そうなのかな」

「靖子さんは、負の感情をさらけ出すのが、怖いんだろうな。僕は、せっかく書き続けてきたんだから無理やり卒業はもったいない気がするけどな~」

「もったいないかな」

「話してくれて、嬉しかった。ま、靖子さんがしたいようにすればいい。ふぁ~あ、少しは気持ち落ち着いた?」

「うん」

「休みだし、もうひと眠りしようよ」

「うん」 

 久しぶりに安心して眠ることができた。

******

 あの夜から半年。いつしか、見せたくない自分の姿も登場人物に託して描くようになった。ヒメジョオンには遠いけれど、読んでくれる人が増えた。書くことを卒業する日は来ないだろう。

 

 週末、今夜も雅くんが来る。

「フルーツタルト切れたよ。そっちに持っていくね」

 雅くんが慎重にタルトの載った皿を運ぶ。うやうやしくテーブルに皿を置く。

「おー」

 感嘆の声が出た。

「靖子さん、誕生日おめでとう!」

「ありがとう、雅くん」 

「靖子さん、そろそろ二人で住める家を探しませんか?」

「うん」

 静かに頷いたが、顔が熱い。一人暮らしを卒業する日は近いのかもしれない。

 


読んでくださってありがとうございました。

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