007:やっぱ帰る。
自分を抱きしめている準の腕を振り解こうと菜津の両手が胸の前で交差した。自分で自分の二の腕を掴む指が震えている。準が怯まずにもう一度抱き寄せるが、首筋に唇を寄せようとした次の行為は菜津が体を捻って回避した。
背中を向けられた準は、そっと肩に触れる。ビクっと震える菜津の肩を引き寄せ、「大丈夫」と囁いた。
「悪い、いきなり」
菜津の震えを和らげようと準が優しい仕草で肩を叩いている。その規則的な心地良さに菜津が徐々に自分を抱きしめていた腕を緩めた。
「……ん、もう、いっつもふざけてるんだから」
ジョークに摩り替えようとした菜津の台詞はどこか上滑りな感が否めず、二人の間には気まずい空気が流れた。菜津は自分を抱きしめたままこの空気を脱する言葉を考えたが、焦れば焦るほど沈黙は気詰まりとなり転換させる上手い話題は見つからない。準の手が数秒菜津の肩に止まって、それから腕の上から緩く抱きしめた。
「ちょっと、このままいて。いい?」
菜津は返事に迷ってから、微かに首を上下に動かす。鼓動はいつもよりも早く、煩いほどに耳に響きはするが、背中や腕に伝わってくる準の体温は心地良かった。
どのくらいそうしていたか、菜津にとってその沈黙はあまり気にならなかったものの、準にしてみればだんだんと欲望が湧きあがる。堪えきれずに腕に力が入り、腕の中の菜津は思いもよらぬ密着に一瞬身体をびくりとさせた。
「このまま、いて」
「……準?」
声が掠れたのは欲望を制御するのに必死だったからかもしれない。いつもと様子が違う準に、菜津が戸惑ってそっと名前を呼んだ。それがまるで箍を外す鍵だったかのように、準は菜津の肩を掴むと強引に自分の方へと向けさせ、正面から力いっぱい抱きしめた。突然のことにされるがままだった菜津が我に返ったときはもう、腕の中。
「……準!」
「このままいて」
囁くように同じ言葉を繰り返す準のことを、菜津は思いきり突き放す。思い切りとはいっても所詮は力が敵う筈もなく、二人の間に少し空間が出来ただけに過ぎなかった。
「やっぱ、帰る。――ごめんね」
準を振り切って菜津がくるりと踵を返した。待って、と言おうとした準の唇は意に反して引き結ばれ、何の言葉も紡ぎ出せない。菜津を引きとめようと咄嗟に出した右手も、細い菜津の手首をするりと抜けてしまった。