020:被害甚大だな。
菜津の様子がおかしいことを、椎名も準も気づいていた。しかし椎名は相変わらずのポーカーフェイスで何を考えているのかわからない。準はちらちらと菜津の様子を観察していた。
落ち着きがないというかぼんやりしているというか――もともとしっかりしたタイプではないものの、今日の菜津はおかしい。シフトに入って三十分足らずですでにオーダーを二つも間違えている。
「ごめんなさい、椎名さん……」
しょんぼりと肩を竦めて頭を下げる。律儀なところは昔から変わらない。
「うーん、俺がフォローできる分はだいじょーぶ。でもさ、なっちゃん」
いつもと同じ口調の椎名が菜津に向かってにっこり微笑み、菜津のいるカウンターへ身を乗り出した。
「仏の顔も三度まで。次のミスは身体で払ってもらうからね?」
くすくす笑い付だと、菜津でさえもそれを椎名の冗談だと受け止めて笑う。聞いていた準は椎名の本気度が垣間見えて溜息をついた。
「椎さん、ヘンなこと言わないで下さいよ」
「え、俺今、職権乱用してなっちゃんにパワハラしてたー?」
調理器具と洗い物の音で、菜津には聞こえないタイミングで準が苦情を申し立てる。しかし相変わらずのにこやかさでさらりとかわされた。
「やーらしーなー準くん、ヘンなこと考えてたんじゃないの?」
「誰が!」
「キミが。若いねえ、青少年」
「大して歳変わらんでしょうが」
そうだっけ、と椎名は楽しそうに笑う。このペースにいつも惑わされるんだ、と準は椎名に背中を向けて洗い物に集中した。
「ハイ、Sセット二つね」
皿に盛った料理をカウンターに置く音で、準は反射的に振り返る。セット二つのトレイを菜津がひっくり返さないか気になって――バイトに入った初日にやらかしたんだ、あいつ。
菜津の様子を気にしつつも習慣的に手だけ動かしていた準が、あっと思ったときはもう遅く、セットのひとつからスープの椀が床に落ちた。同時に指先に痛みを感じて「つ!」と短く叫ぶ。
「切ったか? あーあ」
椎名がぐいと準の手を掴んで傷口を見る。眉根を寄せて呟くと、ホールで客に頭を下げている菜津へちらっと視線を投げた。
「被害甚大だなー、今日。ホールもキッチンもなーんか上の空だし? どうしたのっかっなー」
わざとらしい溜息をついて歌うように言うと、椎名は上吊戸から絆創膏を取り出して準に押し付け、洗い物の続きを手に取った。