016:逃げんなよ。
厨房からホールを眺めながら、椎名はにっこりと笑った。その笑みの先にはホールの制服を着た準が、引きつった笑顔で客に向かっている。ぺこりと一例するとオーダー表を持って厨房へと差し出す。
「オーダー入りますよ。……そのニヤニヤ笑い、止めたら?」
「いやー準くんホールのカッコ、似合うね〜、俺、惚れそう」
「何馬鹿言ってんだか……仕事仕事!」
準の頬が微かに赤らんでいるのは確かに着慣れないホールの制服も原因のひとつだが、椎名が嬉しそうに自分を観察するその視線も拍車をかけていた。
「まあ、なっちゃんに介抱してもらったんだからさ、それくらいお礼しないとね?」
「ったく、菜津の奴……!」
不貞腐れて準がカウンターに背中を預けた。確かにバイトを代わるのは構わなかったが、食事に連れてくとかそっちの方が良かったとひそかに溜息をつく。しかしそこでちらと椎名を見てまあいいか、と思い直した。
もしも準が代わらなければ今日は椎名と菜津でラストまでだ。二人きりにするのを阻止できただけでもいいとしよう、と準は無理矢理自分に納得させる。
「いらっしゃいま――」
ドアベルがカラリンと音を立て、咄嗟に作り笑顔で振り向いた準の顔が凍りついた。にっこり笑いながら手を振った二人連れは紛れもなく、噂の主、菜津と光輝だったからだ。
「あ、いらっしゃーい」
「いらっしゃいましたー、オーダーお願いしまーす」
目敏くその姿を見つけた椎名が厨房からにこやかに声をかける。菜津と光輝の視線を受けて準の頬が一層赤く染まった。楽しそうな菜津の声がテーブルから聞こえてきて、準はさすがにがっくりとカウンターに突っ伏した。
「ホラ準、お客様がご指名だよ? 十一番テーブル」
「椎さん、代わって……」
「こらこら、逃げんなよー。お姫様のご指名なんてそうないでしょ? そーれとーもー」
じろりと眼だけで見上げる準の耳元に椎名が唇を寄せる。言葉が紡がれる前に準は何を言われるかわかったような気がしてあからさまに眉を顰めた。
「俺がお姫さまをお迎えに行こうかな?」
何も言わずに身体を起こすと、準はふたつのコップとメニュー表を持って十一番テーブルへと向かう。その後姿を見ながら椎名が楽しそうにくっくっくっと肩を揺らした。