015:今だけでいいから、このままでいてくれる?
「菜津さん、駅まで送りますよ」
「――ありがと。ねぇ光輝くん、バイト戻らないの?」
菜津の帰りに合わせて店に居合わせた光輝が腰を上げ、駅までの道程を二人で歩く。菜津が軽く訊ねたそれに、光輝は「うーん」と眉根を寄せた。
「ええ、今のところは客で充分ですよ」
「そなの? 頻繁に来てるんだし、厨房入っちゃえばいいのに」
笑いながら菜津が言うと、急に左腕をがくんと引かれる。その菜津の数十センチ先を大型トラックが通り過ぎ、その風で菜津の髪がなびいた。
「……あー、びっくりした」
「ご、めん…あたしもびっくりした……」
珍しく光輝が焦った表情で言うと、さすがの菜津もあっけにとられて呟いた。身体に感じた風の強さが危険の近さを物語っていた。
「……光輝くん?」
菜津が不思議そうに名前を呼んだのは、トラックが過ぎて気分も落ち着いたところでまだ、光輝が自分の手を握っていたからだ。どうしたんだろう、とちらりと光輝を見ると、眼鏡の奥の瞳が僅かに微笑んだ。
「今だけでいいから、このままでいてくれる?」
そう言いながら、繋いだ手を軽く掲げてみせる。菜津がその意図が読めなくて多少困惑しつつ返事に詰まっていると、光輝はにやりといつもお得意のからかうような笑みを浮かべた。
「菜津さん、時々子供みたいに危なっかしいから、保険」
「……馬鹿にしてる〜」
「さっきので僕、寿命三年は縮みましたからね、その分ケアしてもらわないと」
悪戯っぽい光輝の笑みと皮肉った口調はまったくいつも通りで、一瞬感じた邪な予感は菜津の中で消えうせていた。
「これがケアになるの?」
「ま、利息分くらいかな。元本はしっかりカラダで返してもらいますよ」
きゅっと握った手に力を込めると光輝はさらりとそう言い、菜津が膨れるのを見て肩を竦めて笑う。拗ねた菜津の表情が可愛い、と手には自然に力が篭る。
「なんか……」
「何?」
恨めしそうに上目遣いで見上げる菜津に、光輝がにっこりと優越に似た笑みを返す。その表情に菜津が小さく溜息をついた。
「光輝くん、準に似てきた」
「それ、褒め言葉になってるのかな」
「……微妙」
ぎゅ、ともう一度返事の代わりに菜津の手を握り締める。そのぬくもりを感じ、光輝はそのひとときだけとはいえ、とても幸福な気持ちでいた。