012:たまにはこっち見てよ。
ぼんやりと考え事をしていたらしい。菜津は自分を呼ぶ声にはっと気付いてやっと我に返った。振り返ると光輝が苦笑しながら近づいてくる。
「……ごめんね、なんかボケッとしてたみたい」
言われる前に謝ると、光輝はにっこりと笑って首を振る。「いや」と小さく呟くと今度はその笑顔をいつものからかい笑いに摩り替えた。
「誰かさんのこと考えてた?」
菜津が一瞬息を呑んだのを光輝が気付かないわけはなかった。が、それに言及するつもりもない。十中八九、椎名のことを考えていたんだろうことはわかっている。
「ううん、今夜の賄い何かなって」
ふざけて笑いに摩り替えようとする菜津が光輝には逆に切なく感じて、その瞬間抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。勿論、それに耐えはするのだが。
「今夜、菜津さんと誰?」
シフトはほぼわかっていたが、光輝が改めてそう訊ねたのは多少なりとも椎名に反抗心があったのかもしれない。言ってから、もしかしたら菜津が泣いてしまうのではないかと酷く恐れた。
「うーんと……椎名さんかな」
「準さんじゃないんだ?」
笑顔の菜津の顔に、一瞬雲が走る。どうやらまだ仲直りはしていないらしい、と光輝はひそかに不器用な先輩に同情した。しかし日頃から募っている嫉妬はそんなことじゃ緩まない。
「あ、うん。準、ここのところ忙しいみたいで」
「気にしてるんですか?」
菜津の返事を途中で切替すように光輝は言った。瞠目する菜津に感情的に言葉を重ねる。
「準さんのこと、気にしてるんですか?」
「え……別に……」
眼を逸らす菜津に明らかに言い過ぎたと光輝は後悔し、素直に謝ることにする。
「ごめんなさい、僕ちょっと言い過ぎてますね」
「ううん、いいの、大丈夫」
「でも、菜津さん」
苦笑気味で首を振った菜津は何?と微かに首を傾げて光輝の次の言葉を待っている。妙に真面目な光輝の視線にどきりと胸が鳴るのを慌てて、抑えた。
「たまにはこっちも見て、なんて我侭言ってもいいですか?」
咄嗟に菜津がイエスもノーも返せなかったのは、口調こそ笑いが混じっていたがその瞳の真摯さゆえかもしれない。一瞬、くらりと揺れて泣きそうになったのを自制する。