9話 寮。
喫茶店を出ると、その足で学校の方へと戻る。寮が学校内にあるため当然のことなのだが、一度離れた学校に戻るのはあまり気乗りしない。
その道中、俺と白崎はあまり会話をしなかった。
だが、気まずいというわけじゃなく、話すことがなかったというだけのこと。俺が前で白崎が後ろ。何か考え事をしていたのだろう。チラリと視線だけ振り返れば、難しい顔をして歩く彼女の姿があった。
「――あら、おかえり」
寮に着くと管理人をしている天音さんが小窓から迎えてくれた。
彼女は寮の管理人だが、同時にカウンセラーの資格を持つ兼任教師でもある。
この寮では、クラスから弾かれた六組の生徒しかいない。故に、そうした人が管理人に就くことは必然とも云えた。
「白崎さんも一緒だったの。荷物届いてたから部屋まで運んでもらったわよ?」
「あっ、ありがとうございます」
「でも珍しいわね。再焉くんが女子生徒と帰ってくるなんて。……一応言っておくけれど、あなたたちは恋愛禁止だからね?」
「分かってますよ。まぁ、こいつと恋愛してたら、一緒に帰ってきて怪しまれるようなことわざわざしないですけど」
「それもそっか」
話をしながら、寮用のスリッパに履き替える。そしてそのまま部屋に戻ろうとすると。
「ちょうどいいわ。再焉くんは白崎さんに寮の規則とか教えてあげて」
「俺ですか? いや、それ天音さんの仕事でしょ。教え洩れとかあると困るの天音さんですよ?」
「ん? 大丈夫でしょ? 君、ここ長いんだから」
「長いからって知識と経験が伴うとは限りませんよ。もしその理論が通用するのなら、同じ三年間を過ごした生徒に差なんて生まれません。よって、俺が白崎にいろいろと教えてあげられるとは限らない」
「なにそれっ」
天音さんは吹き出したように笑った。
「再焉くん、それ完璧な言い逃れのつもり?」
「……そのはずですが」
「なら、君の理論の穴を突こうか?」
彼女は楽しげに人差し指をふわふわとさせる。
「逆に考えてみよう。もしも君がこの寮に対する正しい知識、経験を持ち合わせていないのなら、君は今寮にはいないはずだよ」
「……へぇ」
「何故なら、六組の子達は厳しい規則で縛られている。外出、外泊、寮での過ごし方、禁止事項その他もろもろ、あなたは何一つとして破っていない。それはちゃんと寮での正しい知識を持っていたからだ。そして、残念なことに君はこの寮に一年間も居座り続けた。……確かに歴が長いからといって、正しい知識や在るべき経験が伴っているとは限らない。けれど、ここに於いては長く過ごしているほど優秀な寮生であることが証明されている。寮はテストじゃないから良い点を取る必要なんてない。赤点を取らずに過ごしていることこそが、既に優秀な寮生である証明なのよ」
どうだ、と言わんばかりに天音さんは俺を指差した。
まるで俺が犯人みたい。だが、反論などできないほど完璧な結論。俺は降参することにした。
「白崎……取り敢えず部屋に案内する。スリッパとかも荷物の中だろ? 来客用使えよ」
「あ、あぁ、うん」
「素直でよろしい。その代わり、今後白崎さんが寮の規則を破るようなことがあった場合、再焉くんに過失があったと見なすからそのつもりで。そしてそうなった場合、あなたには退寮してもらうわ」
「それ重すぎないですか天音さん……」
顔をひきつらせる俺に対し、彼女は子供っぽく笑った。
「まぁ、退寮と行っても通常の退寮じゃないわ。あなたの場合、学校側に申請しての退寮になる」
そういうことか。俺は安堵しかけたが、寸でで気づいた。
「いや、それ……結局どっちに転んでも地獄なんですが……」
「ふふっ。再焉くん、ここは『誰にも選ばれなかった人』の為にある施設なのよ? あなたには必要ない。むしろ、あなたはここを必要としている人の邪魔をしているの。わかるかしら?」
天音さんは笑みを崩さずに言い放った。彼女もまた、俺が意図的に六組に居続けていることを察しているのだろう。……まぁ、入れ替わりの激しい六組の中で、一年間もここにいればさすがに気づくか……。
「俺は、誰にも必要とされてませんがね」
「うそ」
反論した言葉を天音さんは斬って捨てた。そこには自信たっぷりの笑みがある。
「あなたは、あなたを必要としてるじゃない。だから、誰にもなんて嘘」
この人は……。
「ほら。白崎さん困ってるわよ?」
「……わかりました」
もはや白旗を上げるしかなかった。さすがは、この寮の管理人。一筋縄ではいかない。
「ねぇ、通常の退寮ってなに?」
俺が管理人室を離れると、付いてきた白崎が聞いてきた。
「通常……というよりは、特殊な退寮があるという見方が適切かもな」
「特殊?」
「あぁ。六組の規則は絶対だ。その中に『寮で生活をしなければならない』という項目あっただろ?」
「うん」
「それを破ると六組から追放される。必要とされない、規則すら守れない者を学校側は生徒として認めない」
「六組から追放ってことは……元のクラスに戻れる……?」
「戻れない。言っただろ? 生徒とは認めないって」
「じゃあ……」
「退学だ。寮の規則を破り退寮するということは即ち、六組の規則をも破ることにもなる。だから用心しろよ白崎? ここでの規則は、自分の首に付けられた縄と同じだと認識しておけ」
「結構厳しいんだね」
「ここが厳しいわけじゃないさ。世の中が厳しいんだろ」
「そっか」
「特に時間は気にしておけよ。ここでは夜九時以降の外出は禁止だ。一度くらいなら厳重注意で済むだろうが、二回、三回と続けば退寮することになる。そして退寮は俺たちにとって退学と同義」
「時間守れないと退学って……やっぱり厳しいと思うんだけど。遅刻する生徒は少なからずいるわけだし」
どうやら、まだ分かってないらしい。ため息を吐きそうになったが、おそらく俺の説明が悪かったのだろう。
「時間を守らないから退学させられるわけじゃない。退寮になるから退学になるんだ。その辺の仕組みをよく理解しておかないと、ここではやっていけないぞ?」
「あぁ、なるほど?」
分かってたのか分かってないのか不安な反応だな。まぁ、取り敢えずはいい。
「そういった退寮が普通なんだ。……だが、たまに特殊な退寮が存在する」
俺は話を進めることにした。
「寮の管理人……つまり天音さんが『この生徒は六組にいるよりも、元のクラスに戻した方が良い。元のクラスに必要な存在である』と断定して学校側に申請した場合、そいつは退寮し、元のクラスに戻される」
「そうなの!?」
「滅多にないがな。実際、俺は見たことも話を聞いたこともない。だが、天音さんにそういう力があるのは事実だ」
「じゃあ、さっきのやり取りって……再円くんを元のクラスに戻す話だったんだ?」
「そうだな。お前が寮の規則を破るような事があれば、の話だが」
「すごくない? それ」
「すごいか? それ」
「すごいと思うけど……」
「なら、すごい俺の話をよく聞いて、規則破りだけはしないでくれ。俺はここでの生活を気に入ってるんでな」
歩きながら簡単に寮の設備を案内していく。普段は寮生がワイワイしてるロビーや、部活動停止中でもトレーニングできる部屋、食堂とゴミコンテナに風呂などなど……改めて思うが、ここは設備が整い過ぎている。
そして、二階にある自室まで来ると白崎の部屋である205号室を指差した。
「――あそこが元五組の独房だ」
「独房って……」
「さっきも説明した通り、食堂は六時から八時まで。風呂は九時まで解放されている。ただ、点呼が始まるのも九時だから、そこら辺は気を付けてくれ。就寝は十一時。その時に全館内の電気が消灯される。部屋の電気もな? スタンドライトは使用していいから、勉強するならそれでやるしかない」
「わかった」
「朝の点呼は六時半にあるから寝坊しないようにしてくれ。勉強してましたは言い訳にならない」
「早いね……」
「だいたい女子はそれより早く起きてるな? 男子もいる前で、寝ぼけ眼のだらしない格好で点呼受けてるのは綾田くらいだ」
「綾田……あぁ、元二組の」
「あぁ、ここの住人だ」
俺は、綾田あやの部屋である202号室を親指で差した。
彼女には女子という自覚がないのか、いつもギリギリまで寝ている。そして素っぴんのまま男の前に自分を晒すのだ。
無防備過ぎて笑えない。それに比べて零士は、いつもちゃんとしていた。ちゃんとし過ぎてて逆に危ない。守ってやらねばといつも思う。
「他に分からないことがあったら聞いてくれ」
「うん。ありがとね」
基本的な事を白崎に教えると、俺はそのまま自室である201号室に入った。
「疲れた……」
こんなつもりではなかったのに、疲労感がすごい。
そのままベッドに横になると、眠気が襲ってくる。
少しだけ寝るか……。
そうやって目を瞑った時だった。
――コンコン。
ノックで目を開ける。
起きてガチャリと扉を開けると、そこには白崎。
「……なんだ?」
「いや、その……手伝って欲しくて」
「手伝う?」
「うん。荷解き」
「……なるほど」
どうやらまだ休むことはできないらしいな……。