5-5
ソ連人がエレベータからゆっくりと降りてきて、固まって動けずにいる私達三人を一人ずつゆっくりと視線でなめていった。自信に満ちた彫りの深い顔にはどこか陰鬱さがあるような気がした。そしてソ連人は観察を終えると私に狙いを付け、不敵な微笑みを浮かべた。
「あなたなら来てくれると思いましたよ。まさか、あの日偶然出会った女性が、我々が演じるショーの重要な登場人物の一人だとは思いもよりませんでしたよ」
私はソ連人の言葉に困惑した。なぜ私がソ連人にとって重要人物だと認識されているのか。私達は無言のままにらみ合う。緊迫した空気が局内に流れる。隣でエリカさんのお兄さんが大きなくしゃみをした。ソ連人は少しだけビクッと肩を震わした後、手を口で抑えながら忍び笑いを浮かべた。
「まあ、安心してください。重要人物であるあなたに危害を加えるつもりはありませんからね」
ソ連人はそう言うと、ゆっくりと一歩を踏み出す。エリカさんが瞬時に私の身体を引き、私の前に出る。しかし、ソ連人は私に近づくこと無く、そのまま入り口方向へとゆっくりと歩いていく。私達三人は互いに顔を見合わせる。一体これはどういうことなのか、誰もその真意を知ることはできなかった。
「おっと、そうだ。佐々木ひとみさんにお伺いしたいことがあったんですよ」
ソ連人は私達から数メートルほど離れた場所で突然立ち止まり、こちらへ振り返った。
「佐々木さん、あなたには病気で入院中の妹さんがいらっしゃいますね」
「は、はい……」
ソ連人の口角があがる。
「差し支えなければでいいんですが、どの病院に入院されているか教えていただけませんか?」
「えっと……聖白科精神病院です」
聞かれた質問に私が反射的に答えたその瞬間、ソ連人の身体が固まる。そして、少しづつ身体が震えだし、しまいには大声で笑い声を上げ始めた。身をよじらせ、お腹を抱え、暫くの間その笑い声は収まらなかった。エリカさんもエリカさんのお兄さんもソ連人の様子をただただ不思議そうに見つめることしかできていなかった。
「繋がりました、繋がりましたよ。ありがとうございます。これでようやく居場所を特定することができました」
「それってどういう……」
「強引な方法はあまり好きではないんですけどね。私と一緒に来てもらいましょうか」
私が口を開きかけた瞬間、ソ連人は腰に手を伸ばすのが見えた。ジャケットの隙間から見えたのは、お兄さんと同じ、拳銃を入れたホルダーだった。
「させませんよ!」
その言葉と同時にエリカさんのお兄さんがソ連人よりすばやく拳銃を取り出し、流れるように引き金をひいた。パンッパンッパンッ。三発の銃声とともに、ソ連人の横の壁に三つの丸い穴が開く。
「引きづってでも連れて行きますからね」
「ひとみ危ない!!」
ソ連人が私に拳銃を向け、引き金を引くのが見えた。しかし、それと同時に私の身体が押しのけられ、横へと倒れていく。一瞬だけ遅れて発砲音が響き渡り、エリカさんのうめき声が耳に届いた。
続けてお兄さんの拳銃から再び銃弾が放たれる。そのうちの一発が偶然ソ連人の左肩に命中した。肩を負傷したソ連人は拳銃を収め、そのまま入り口へと向かって逃げ去っていく。
「エリカさん!!」
私の上に覆いかぶさるように倒れていたエリカさんを私は慌てて抱き起こす。右肩を中心に赤いシミが徐々に広がっていくのがわかった。
「大丈夫、急所は外れてるから……。ああ、でもクソ痛い。こんな痛いのいつぶりだろ」
「喋っちゃ駄目!」
「こんなに痛いの……長男を産んだ時以来だよ」
エリカさんの首ががっくりと落ちる。私は手をエリカさんの口元に当てる。かすかな呼吸の流れが手のひらで感じることができた。死んではいない。私はその事実にそっと胸をなでおろしながら、そっと小さな声でつぶやいた。
「エリカさん……子供いたんだ……」