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私がバールを振り下ろすと、マリモは「イーイチイチイチ!」と甲高い叫び声を上げながら動かなくなる。じんわりと湧き出た首筋を汗を素手で拭うと、後ろからエリカさんがタオルを手渡してくれた。
「あと、もうちょっとだね。今日中は無理かもと思ってたけど、もしかしたら行けるかもね。ひとみが頑張ってくれたおかげだよ」
エリカさんの褒め言葉に私は照れ笑いを浮かべた。脇を突かれたときのようにくすぐったかったが、やはり人から褒められて嫌な気持ちにはならない。後ろを振り返り、私が仕留めたソ連の生物兵器の亡骸を見下ろした。元はまんまるだったマリモはバールで殴打されて形が変形し、体液と思われるような赤黒い液体がアスファルトの上に滲み出していた。
エリカさんが携帯を探知機を取り出し、次のターゲットが潜んでいる場所を探り始める。その間手持ち無沙汰だった私は何気なしに周りを見渡してみる。新宿駅からは離れた路地裏。人の気配はなく、両脇にそびえるビルの窓から投げ捨てられたであろうゴミが足元に散乱している。
「通信がクソ遅いわ。イライラする」
エリカさんが苛立たしげに端末画面をタッチするのを横目に見ながら、私は足元に転がっていた空のペットボトルを足で蹴ってみる。ペットボトルはコロコロと、路地のさらに奥の方へと転がっていった。私が何気なしにその転がっていくペットボトルを目で追っていると、路地奥の丁字路に見慣れた黒くて丸い影を見つける。
「あ! いた!」
私の声に反応したのか、マリモはびくりと身体を震わせ、丁字路を右へ曲がり姿を消した。私はバールを手に握り、急いでマリモの後を追う。
「待って、ひとみ! そんなに慌てたら駄目だって!」
「だって、このままだと見失っちゃう!」
私は一瞬だけエリカさんの方を振り返ってそう言った。私は散らかったゴミや地面に張られたパイプ管を飛び越えながら、マリモを追って丁字路を右に曲がる。マリモは小さな体を一生懸命動かしながら、少しづつ少しづつ前へと進んでいた。もう少しで追いつく。私がそう思ったその瞬間、私とマリモが追いかけっこをしている路地の向こうから背の高い外国人が突如姿を現した。
私はスピードを緩め、立ち止まる。外国人はゆっくりとマリモへと近づいてきて、そのままマリモを優しく抱き上げた。マリモは「イーイチイチイチ」とお決まりの鳴き声を上げた後、外人から強くビンタされ、動かなくなる。そして、外人はマリモを追いかけていた私に目を向け、疑り深そうな表情を浮かべる
短く刈り込まれた金髪。彫りの深い顔。季節外れの黒いトレンチコートを羽織り、袖から覗いている手の甲には金髪の毛がもじゃもじゃと生えていた。しばらくそのままの状態で固まっていると、後ろからエリカさんが追いついてきた。そして、エリカさんがはっと小さく息を飲む音が聞こえた。
「ソ連人……」
私は後ろのエリカさんの方を振り返り、もう一度目の間の外国人へと視線を映す。外国人はトレンチコートの前開き部分を掴み、勢いよくコートをコウモリみたいに開いた。私はソ連人のコートの裏地に目を凝らす。そこには、赤い糸で『Made in China』と刺繍されていた。