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「いやはや、ひどい目に会いましたよ」
エリカさんのお兄さんはすりむけた肘を私とエリカさんに見せびらかしながらそうぼやいた。薄皮がめくれ、青黒い大きな痣ができている。エリカさんが痣の部分を人差し指でおもむろに引っかくと、お兄さんは猫のような叫び声を上げた。
「ごめん、ごめん。本当かどうかわかんなかったからさ」
お兄さんはぶつぶつと独り言を言いながら、まくっていたシャツの袖を元に戻す。いつもと同じ私の部屋で、三人の大人が座椅子を囲んだ状態で腰掛けている。部屋の窓からは低層アパートの頭と、所々に雲が浮かぶ夏の青空が見えた。
「いつもは決してへましないんですよ。ただ、ちょっとだけ油断したと言うか。あの時間帯のあの場所にはソ連人はいないはずなんですよ、今までの経験上」
「言い訳はいいからさ。このまえ上から通達されてきた情報についてひとみに説明しなよ。ひとみにだって関係ある情報なんだからさ」
エリカさんがそう言うと、お兄さんはわざとらしく咳払いをし、説明を始めた。先日エリカさんとともにやったソ連の生物兵器退治。今後もこの仕事は続けていく必要がある。しかし、それに加えて、もう一つやってほしいことができたお兄さんは言った。
「祖国から送られてきた情報なんですがね、なんでも、ロシアスパイが最近動き出しているらしいんです。もちろん、もし機会があればの話なんですが、そこらへんの調査も行っていただけたらと」
「ロシアですか」
私は手を顎にあて、考え込む。
「それってなんでしたっけ」
「ほら、ソ連のお隣の国だよ。この前もちらっとだけ話したけど、ソ連とは昔から仲が悪くてさ、よくドンパチやっちゃんてんのよ」
エリカさんはそう私に説明した後、お兄さんに向きなった。
「でもさ、ロシアはずっと前から日本で活動してるじゃん。理由はもちろん知らないけどさ。それとは別にソ連絡みの諜報活動が始まったってこと?」
「いや、どうもそういうわけじゃなさそうなんです。あくまで憶測の域を出ないのですが、そもそもソ連がJRを狙っていることそれ自体が、ロシアが日本でやっている活動に関係しているんじゃないんでしょうか。そして、そのことに気がついたロシア側が慌てて動き出したというのが祖国の判断で……」
ちょうどそのタイミングで一二時ちょうどになり、テレビから毎日平日に放送されているバラエティ番組のオープニング音楽が流れ始める。私とお兄さんとエリカさんは自ずとテレビ画面へと視線を移し、階段を降りてくるサングラスの司会者を注視する。陽気な音楽が流れ、番組出演者の紹介へと移り、そのままお決まりのコーナーへと進行していく。
そのまま私達は黙ってテレビ画面を見続けた。最初のコーナーが終了し、CMに移る。それと同時に私たちは再び向きなおる。
「それで……」
お兄さんが重々しく口を開く。
「何の話でしたっけ」