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オセローグ  作者: 湯けむり子ネコ
第一章 黒き支配者 編
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第一話  嬉野鉄花

 降り続いていた雨は上がり、微かに甘く香る風が重く湿った空気を押し流していく。

 数日ぶりの快晴に嬉野鉄花(うれしのてっか)の足取りも軽く、街はいつにも増して活気を帯びているようだった。


「今日は晴れてよかったです。洗濯物が溜まっちゃって困ってたんですよ」


 すれ違う人とは世間話を交えた朝の挨拶。


「買ってもらったばかりの靴なんでしょ? あんまり汚すと怒られるよ、水遊びも程々にね」


 お気に入りの靴を履き、水溜まりではしゃぐ少女には優しく声を掛ける。

 皆が普段より浮かれて見えるのは、この心地良い陽気のせいなのだろうか。

 オセロアカデミーへの道すがら、鉄花はそんなことを考えていた。




 賑わう街路を抜けた先、街の中心ではオセロアカデミーがその巨大な威容を誇っている。

 各地に支部を置き、魔物に対抗するための手段を備える組織。

 教育機関だった頃の名残も多いが、今では人々の穏やかな生活に欠かせない。

 鉄花はそこに訓練生として通う学徒の一人だった。

 街から戻った彼女はいつもと同じように門扉をくぐり、自室のある寮へと向かう。

 陽射しの心地良さに浮かれていたのは鉄花も同じだったのか、少しのんびりしすぎたらしい。

 時計を確認し、午前の訓練まで時間がないと知ると慌てて足を速める。

 そんな彼女が見慣れない人影に気が付いたのは、歩き始めて間もなくのことだった。

 大きな鞄を背負い、辺りを不安そうに見渡す一人の小柄な少年。

 年齢は鉄花の一つか二つ下、十五歳前後といったところだろうか。

 アカデミーにこのぐらいの子どもがいるのは珍しくないが、しかしここまで挙動不審となると理由は限られる。


「おはようございます。

 新入生の方ですか? 良ければお手伝いしますよ」


 鉄花は慣れた口調で声を掛けながら、立ちすくむ少年に近寄った。

 そのにこやかな姿からは、急ぐ素振りなどもう微塵も感じられない。

 突然のことに驚いていた少年も、声の主を確認すると安堵の表情を浮かべて挨拶を返す。


「実は今朝この街に着いたばかりなんです。

 アカデミーの場所まではすぐに分かったんですが、中も建物が多くてどこに行けばいいのかさっぱりで」


 広大な敷地を持つオセロアカデミーの学区には、学徒用の寮の他にも最低限ではあるが生活に必要な施設が設置されている。

 街の中に街が存在しているような状態なのだから、少年が戸惑うのも無理はない。


「初めて来た人は大体驚くのよ。

 通い慣れていても、たまに迷子になって捜索願いを出されたりするぐらい」


 おどけた調子で彼女は笑う。


「これから学長室に行くんでしょ? 案内してあげる」


「あ、ありがとうございます。

 でも大丈夫なんですか? 訓練があるんじゃ……」


「私のことは気にしなくていいのよ。

 それより早くしないと、学長が待ちわびているんじゃないかしら」


 そう言って少年を手招きし、そのまま校舎の方へと歩き始める。




 正午を迎え、軽やかな鐘の音が休憩時間の開始を告げた。

 訓練中は静けさを保っていた校内に、学徒達が雑談を交わしながらなだれ込んでくる。

 図書館で時間を潰していた鉄花は昼食のため、満席になる前にと食堂へ向かっていた。

 午前の訓練は結局どれも休んでしまったが、すべて学科科目なので取り直すのは簡単だろう。

 明日にでも予定を入れておけば問題はない。

 廊下を歩きつつそんなことを考えていると、食堂の出入り口に置かれた券売機が見えてきた。

 その付近には、困った顔をして佇んでいる見覚えのある姿。


「どうしたの? 早くしないと他の人が来ちゃうわよ」


 彼女が声を掛けると、彼は遠くからでも分かるほど驚きに身を震わせる。


「あ、あれ? あなたは今朝の……」


「私は嬉野鉄花。その様子だと入学手続きは無事に済んだみたいね」


 彼の胸元に付けられた階級章を確認して彼女は微笑む。


「とりあえず中に入りましょうか。何か食べたいものはある?」


 そう話しながら食券を買うと、彼女は少年の方へ振り返った。

 彼は興味深げに鉄花の手元を眺めていたが、彼女の意図に気付くと慌てて財布を取り出す。


「すみません、大丈夫です。自分で払います」


「お金は気にしなくていいから、さっさと決めちゃいなさい」


 最初の内は渋っていた少年も、やがて押し切られる形で最も安いメニューを指差した。

 彼の遠慮がちな選択に鉄花は苦笑するが、ここに長居していても仕方ない。

 食券を握る少年を促し、カウンターで注文を済ませる。

 そして待つこと数分、あらかじめ調理されていたのか、すぐに配膳され二人は席に着くことが出来た。

 少年は初めて見る料理を見つめては、時折感嘆の声を漏らしている。


「感心するのもいいけど、早く食べないとせっかくのご飯が冷めちゃうわよ」


 鉄花の言葉を聞き、彼は慌てて食事に取り掛かる。

 皿に乗った肉を切っては一口、付け合わせの葉物で包んではまた一口。

 最初はゆっくり味わうように噛み締めていたが、徐々にその速度は増していく。

 『貪る』という表現がこれほど似合う光景も滅多に見られまい、半ば呆れつつ鉄花は彼を見守っていた。


「……こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてです」


 やがて完食した少年は食器を整え、名残惜しそうに溜息を吐いた。


「皆さんがここに集まる理由が分かりました」


「そんな大袈裟な。味は悪くないけど、良く言っても普通レベルよ。

 それにもしアカデミーの関係者が全員集まったとしたら、この食堂がいくつあっても足りないわ」


 訓練生や正規隊員以外にも、教官や技術者まで含むとオセロアカデミーの学徒は数百を超える。


「午後にも訓練が入っている場合は、校内で昼食を済ませることが多いわね。

 あとは自室に戻ったり、学区にあるお店だったり、街の大衆食堂まで行ってしまう人もいるの」


「確かに、校内の食堂だと座るところがなくなっちゃいますもんね」


 もう満席になってしまった室内に視線を向け、彼は何度も小さく頷いた。


「もちろんそういう理由もあるけど、一番はやっぱり味とかメニューの豊富さかな。

 食事でも娯楽でも、学区や校内は何をするにも質素なの。人気があるのは安さと品質管理のおかげね。

 その点、街の方に行くとすごいわよ? 本職の料理人が毎日競い合ってるんだから。

 評判のお店なら、開店する前から行列が出来たりするのよ」


 ちょっとした世間話のつもりで話題にしていたが、予想外に受けが良かったらしく、彼は目を輝かせて聞き入っていた。


「都会って驚くことばかりなんだなぁ。

 朝に嬉野さんが街から戻って来たのも、学区外でご飯を食べていたからなんですね!」


 無邪気な笑顔を浮かべ、楽しそうな声を上げる少年。

 しかし彼の何気ない言葉に、ほんの一瞬だけ鉄花の表情に陰りが見えた。


「えぇ、美味しいお店を知っているのよ」


 すぐさま取り繕う彼女に違和感を覚えることもなく、彼は興奮気味に話を続けている。


「僕の住んでいた村は田舎だから、お店なんてほとんどなかったんです。

 外との交流も定期的に商人さんが来るので多少あったぐらいで。

 こういう都会には一度でいいから行ってみたいなって思ってました」


 いつの間にか彼の手には小さなロケットが握られ、その目は過去を懐かしむように細められていた。


「……じゃあ夢が一つ叶ったわね。それで、あなたは都会に来るだけで満足なの?」


「え?」


 不意の質問に彼が首を傾げるのと同時に、鉄花はようやく食事を終える。


「今日はまだ訓練もないだろうし、アカデミーや街について教えてあげる。

 ほら、早くしないと日が暮れちゃうわよ」


 強引に少年を立たせると、綺麗に片付いた食器を持って彼の背を押していく。


「で、でも嬉野さんは訓練があるんじゃないんですか?」


「私は大丈夫、新入生を指導するのも先輩の務めでしょ?」


 朝も同じやり取りをした気がして、彼女は小さな笑みをこぼした。




 今や世界の要とも言うべきこの街は、外から眺めると少しいびつな形をしていた。

 片側の大地が南から北へ掛けて緩やかに盛り上がり、オセロアカデミーの外周を半円形に囲んでいる。

 階段状に開拓された斜面にも住宅や商店が立ち並び、景観の良さから富裕層に人気があるらしい。

 その高さはオセロアカデミーを凌ぎ、頂上に設置された灯台からは街全体を見渡せた。


「夜は灯台の明かりで方向を確認して、日中にまっすぐ歩いてきたんです。

 大きな街なので思っていたより距離があって、到着まで時間が掛かっちゃいました」


 鉄花に気になる場所を聞かれ、少年は灯台を挙げてオセロアカデミーまでの道のりを語る。

 それならばと二人は灯台を目的地とし、西門から街に出て街路を進んでいた。

 南門を選ばなかったのは街の様子を見たいという少年のためだったが、その選択は間違いだったかもしれない。

 鉄花がそう後悔したときには既に遅く、彼の旺盛な好奇心は膨らむ一方だった。

 車が一台通るだけで足は止まり、視界から消えるまで見送り続ける。


「村でも見たことはあるんですが、都会だと宙に浮いて走るんですね!」


「あれは最近発売された車ね。元々は街同士を行き来する乗合バスに使われていた技術なの。

 外は舗装されていない道もあるから、快適な旅をって。

 でもそれがあまりにも評判が良かったものだから、一般用に小型化されたみたい」


 そんな彼女の説明を聞いているのかいないのか、少年は忙しなく様々な商店を巡っていた。


「ここは魚屋さんですか? このガラスの箱は一体……」


 そして今度は店頭の水槽に張り付き、彼は不思議そうな顔で中を覗き込んでいる。


「鮮魚を扱っているお店なのよ。朝に仕入れているから、今の時間だともうほとんど残っていないけど。

 注文したときには生きてるんだし、新鮮な魚だって分かるでしょ?」


「なるほど。面白い売り方があるんですね。

 僕の村には魚屋さんがなくて、商人さんも運ぶには加工する必要があるんだって言ってました。

 生きた魚なんて自分で釣るぐらいでしか見たことがないんです」


「あなた、今までどんなところに住んでいたのよ」


 彼女も都会の出身というわけではないが、少年に比べると良い方だろう。

 故郷を思い出しながら苦笑していると、またも別の商店に興味が移ったらしい少年の声が聞こえてきた。


「そうか! じゃあこのお店はお肉屋さんなんですね!」


 小さな檻を前に、彼は中の動物を品定めするように見詰めている。


「鳥肉はあっさりしていて好きなんですけど、小骨が多いから処理が大変なんですよね。

 それにこっちのウサギの方が食べるところが多そうな気がします」


「ちゃんと看板を見なさい。その子達は食用じゃないわよ」


 そんな調子で寄り道を繰り返していた所為か、二人が『山』にある最初の居住区に到着する頃には夕方になっていた。

 壁面に設置された階段を通ったあと、展望用の広場から街の明かりを眺めつつ一休み。

 ここから頂上まで登るには、まだ二つの居住区を通過しなければならない。


「灯台に着くのは夜になるかしらね」


 街の明かりを見ながら鉄花は独り言のように呟いた。

 広場の下方からは、子ども達の元気な騒ぎ声が響いてくる。


「すみません。僕がもう少し早く歩いていれば……」


「別にいいのよ。街だって夜景の方が綺麗に見えるしね」


 申し訳なさそうに俯く少年を慰め、彼女は明るく振舞う。


「それで街はどうだった? まだ一部しか見てないけど」


「賑やかで、明るくて、すごくいいところでした。思っていたよりもずっと」


 彼はどこか遠くを見通すように目を細め、穏やかな表情で簡潔に答える。

 その姿がアカデミーの在り方には不釣り合いな気がして、鉄花は知らず疑問を投げ掛けていた。


「……あなたは、自分が世界を救えると思う?」


 不意に出た言葉に一番驚いたの彼女自身だろう。

 アカデミーの学徒になるということは、大抵はそのつもりで来たということなのだから。

 しかしそんな当たり前の問い掛けに、少年は居住まいを正すとまっすぐに彼女を見据えた。


「僕は世界を救います」


 理想ではなく希望でもなく、彼の一言には確定事項であると言わんばかりの強い決意だけがあった。


「今は世界中で魔物が観測され、僕達がこうしている間にも被害は増え続けています。

 昨日まで近くにいた人だって明日にはいないかもしれない。

 僕はこんなことが当然のように起こる『日常』が許せないんです」


 先ほどまでと一転した雰囲気に気圧され、鉄花の口は上手く回らない。


「あなたはどうして、そこまで……」


 まとまらない頭で必死に言葉を探し、そして大事なことを一つ聞き忘れていたのだと気付いた。


「あぁ、ごめんなさい。さっきから『あなた』ってばかりで」


 場の空気を和らげるために笑顔を作り、彼女はようやく声を絞り出す。


「あなた、名前は?」


 少年が質問に答えようとしたとき、二人の耳に子どもの悲鳴が届く。

 尋常ではないほどの恐怖を含んだ声に、鉄花は反射的に広場の端に駆け寄り下を覗き込んだ。


「あんな大型の魔物が現れるなんて……」


 まず目に映ったのは地面の大穴と、そこから這い出てきたのであろう魔物の巨躯だ。

 頭部に太く長い鋭利な一角を持ち、形状は魚類を思わせる流線型。ヒレの動きはまさに『空を泳ぐ』を体現している。

 次に目を引いたのは逃げ遅れた少女、腰が抜けて動けないのか、近くで一人うずくまっていた。


「それにあの子も、なんで……!」


 その少女には見覚えがある。新しい靴を買って貰えたのが嬉しくて、いつも街中を走り回っていた。

 元気に遊ぶ彼女を今朝見たばかりなのだ、間違えるはずがない。

 周囲には学徒の姿も見えるが訓練生らしく、戦闘慣れしていない彼らは狼狽えるばかりだった。


「僕が行きます。嬉野さんは避難してください」


 鉄花の横にいた少年は、いつの間にか広場の柵を乗り越えている。


「ちょっと待って! あなた訓練を受けたこともないのに、一人でなんて無理に決まってるじゃない!」


「じゃああの子はどうするんですか? このままだと無事では済まないですよ。

 それとも嬉野さんは勝てる相手としか戦わないんですか?」


「そ、そんなことは」


 なおも反論しようとする彼女を手で制すると、少年は柵を蹴って飛び出した。


「目の前の人も助けられない人間が、世界を救うなんて言う資格はないんです!」


 二人のいる広場は、地上から見ると建物の三階分程度の高さがある。

 彼は壁面の岩を器用に掴み、壁を蹴り、体勢を整えるために空中で一回転。

 落下の勢いを削ぎつつ華麗に着地する様は、こういう状況でなければ見惚れてしまうほどだ。

 少年に大事がないことにひとまず安心するが、我に返った鉄花は慌てて近くの階段に駆け寄る。


「あの子、あんな無茶をして……!」


 さすがに同じような真似は出来ないため降りる手段は限られる。

 スロープ付きで設計された階段の緩やかさが、焦る彼女にとってはただ煩わしかった。

 数分にも満たない僅かな時間を経て、ようやく鉄花は現場に到着する。

 そこで見たのは子どもを庇うように立つ少年。彼の手に握られた剣は他の学徒のものだろうか。


挿絵(By みてみん)


「今なら間に合うから、早く逃げて!」


 彼女の必死の叫びに対し、少年は体はそのままに顔だけを向ける。


「それは出来ません。ここで退いたら被害が大きくなるだけですから」


 彼が落ち着いた声でそう言うのとほぼ同時、意識が外れたと判断した魔物が体を捻り、咆哮とともに突進を繰り出した。

 体を回転させることで凶悪さを増した頭部の一角は、彼の体を粉砕するには充分な威力となっているだろう。

 両者が激突する瞬間、鉄花は思わず顔を伏せてしまった。

 そんな彼女が最初に聞いたのは鉄同士がぶつかるような金属音、そして少し遅れて大きな地響き。

 その後の静寂に、恐る恐る目を開けた彼女が見たのは、怯える子どもに優しく話しかける少年の姿だった。


「怖かったね。でも大丈夫だよ、魔物は僕が倒したから」


 地に伏した魔物は彼が倒したものなのか、彼女は目の前の状況を飲み込めずにいた。


「……あなた、名前は?」


 鉄花は少年に近付きながら、ずっと聞きそびれていたことを再び口にした。


「ヒメです、無限崎(むげんざき)ヒメ。自己紹介が遅くなっちゃいましたね」


 彼の照れたような笑顔が、彼女にはとても眩しく感じられた。


挿絵(By みてみん)

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