その8
権蔵の凄んだ顔つきは、現在の次郎兵衛とならず者たちの関係を端的に示している。権蔵たちの狙いは、おうめと並之助を家からさらって人質にすることで次郎兵衛を精神的に追い詰めることが目的である。
「おうめと並之助にいったい何をするつもりだ」
「何をだと? おれたちがここにいる意味がどういうことか分かっているだろうな」
熊六は左腰から刀を抜くと、並之助の首に刀を当てた。あまりの恐怖に、並之助は大泣きしながら土間の床におしっこをもらしてしまった。
しかし、この程度のことはまだ序の口である。権蔵はおうめの顔に刀を近づけると、次郎兵衛にこう言い放った。
「人質を助けて欲しければ、その場に刀を置け! もし従わないなら、おれたちの手でこの2人を殺すからな」
権蔵の言葉は、家族同然の存在を人質に取られている次郎兵衛を苦しめている。それを察したのか、人質になっている並之助が精一杯の大声で次郎兵衛に訴えかけた。
「おじちゃ! ぼくはどうなってもいいから、刀を置かないで!」
並之助の声を聞いて、次郎兵衛の心の中は揺れ動いている。
「人質を助けるのを優先すべきか、権蔵たちとの対決を優先すべきか……」
次郎兵衛は迷った末、右腰につけている刀を鞘に入ったままで床に置いた。それは、おうめと並之助を助けたいという次郎兵衛の一心である。
「床に刀を置いたぞ。さあ、約束通りここにいる人質を放せ!」
「次郎兵衛よ、非情になり切れないところが命取りになるということが分からないようだな」
権蔵は自らの約束を反故にすると、次郎兵衛に非情な脅し文句で迫ってきた。
そのとき、廃屋の中へならず者たちが刀を抜いて次々と入ってきた。次郎兵衛は、命取りと言う言葉の意味を思い知ることになった。
「ようやく分かったようだな。おれたちの本当の狙いはなあ、おめえを徹底的に始末するためさ」
権蔵たちにとって、目の上のたんこぶである次郎兵衛を斬り倒す絶好の機会である。次郎兵衛は、ならず者たちに周りを囲まれて絶体絶命の危機に陥った。
「ならず者たちの罠だったか……」
敵に囲まれた次郎兵衛であるが、その目つきは常に冷静である。それは、ならず者たちの微妙な動きを読み取ろうとしていることからでも明白である。
すると、1人の敵が背後から刀を振り下ろした。この気配に気づくと、次郎兵衛は素早く身をかわしながら床に置いた刀を持った。
ならず者たちは、これを見て次々と次郎兵衛に襲いかかった。しかし、次郎兵衛は素早い刀さばきで前方の敵を立て続けに斬り倒した。
敵による後方からの攻撃も、次郎兵衛は振り向きざまに刀で次々と倒していった。
こうして、ならず者たちは床の上に何体もの屍となって横たわった。この状況に、熊六は次郎兵衛のほうをにらみつけながら怒りをにじませた。
「よくも、おれたちの仲間を……」
熊六は、自らの刀で次郎兵衛に向かって振り下ろした。権蔵の側近というだけあって、次郎兵衛も熊六の刀さばきのうまさに手間取っていた。
それでも、敵の攻撃をかわした次郎兵衛は刀を振り下ろして熊六を斬り倒した。
「左利きの次郎兵衛め!」
ならず者たちで残ったのは、親分の権蔵ただ1人となった。
権蔵は、仲間たちの屍を見るたびに怒りと憎しみで震えている。その怒りと憎しみは、相手である次郎兵衛に向けている。
「絶対に許さないぞ……。今からこの場で血祭りしてやるからな……」
「そのセリフはこっちのほうだ」
権蔵は鋭い目つきで刀を握ると、次郎兵衛に向かって襲いかかった。一方、次郎兵衛のほうも権蔵を倒そうと刀を振り下ろした。
2人の戦いは、お互いに譲ることはなかった。それは、刀同士が何度もぶつかり合うほどである。
一進一退の状態が続くと思われたそのとき、次郎兵衛は権蔵の動きを見ながら一瞬の隙を見つけた。
「権蔵め、これでどうだ!」
左利きからの刀さばきで斬りつけた次郎兵衛だが、権蔵はその場で倒れることなく必死に抵抗を続けた。
これを見た次郎兵衛は、何度も続けざまに権蔵を斬りまくった。さすがの権蔵も、致命的な傷を負うとそのまま床に崩れ落ちて息絶えることになった。
次郎兵衛はならず者たちを全て倒すと、土間の奥にいるおうめと並之助のそばに寄り添った。
すると、並之助が次郎兵衛にしがみつくとそのまま離れようとしなかった。
「おじちゃ、おもらししちゃってごめんね……。うええええ~んっ」
「並之助、そんなに泣かなくても大丈夫だ。ならず者たちは、この手で斬り倒したから心配しなくてもいいぞ」
次郎兵衛の優しい言葉に、並之助はすぐに涙を手でぬぐった。せっかく泳げるようになって自信をつけたのに、こんなところで涙を流したら元も子もないからである。
この様子に、同じように人質になっていたおうめもホッと一息ついている。自分よりも並之助のことを心配しているところは、誰よりも子供を思う親心と言えよう。
しかし、長い間人質となっていたおうめと並之助はあまりの疲労困憊で体力が消耗していた。これを見た次郎兵衛は、2人を連れてこの廃屋から出ることにした。
そのとき、廃屋の上から軋む音が次郎兵衛の耳に入ってきた。その音は、建物が間もなく崩れ行くであろうことを警告するものである。
「このままでは、廃屋ごと埋まってしまう! 急いでここから出ないと」
その間にも、上から塵や木片が次々と落ちてくるようになった。次郎兵衛はおうめと並之助の手をつなぐと、間髪入れずにその廃屋から外へ脱出した。
しかし、次郎兵衛が後方を振り向いたその瞬間である。
「あと一歩遅かったら、全員命を落としていたかも……」
轟音を響かせながら全壊したその建物を見て、次郎兵衛は命拾いしたことに感謝するばかりである。
そんな次郎兵衛に、おうめはある言葉をかけた。
「あたしたちを助けてくれて、何とお礼を言ったらいいか……」
「そんなことを言わなくても……。わしは当たり前のことをしたまでさ」
おうめは、決して奢りを見せない次郎兵衛に好印象を抱いている。おうめと並之助にとって、次郎兵衛は父親以上の頼もしい存在と改めて感じることになった。




